都合の良い人が不都合な人になる瞬間(2020/09/26)

世間には良い意味での「都合の良い人」が少なからず存在する。無駄口を言わず、人からの依頼を責任感を持って次々とこなして行く人々である。

この「好都合な人」に陥らないようにするには断り上手になれ・・・とよく言われる。また、「部下・後輩を上手く使え」とも言われる。

はたしてそうだろうか・・・? 

 

本来、縦割りで部署間の融通が利かない日本の組織にあって、上記事の女性は下図のような状況に陥っていると言える。


本来、縦割りで部署間の融通が利かない日本の組織


上記事の女性は下図のような状況に陥っている


 

こういった方は、往々にしてプライベートでも複数の「役」を請け負っていることが多い(・・・はずだ)

そして、彼女がどれだけ忙しくても、依頼をしてくるのは「職能ポジションが上」「職場の先輩」であるのは間違いない。ここに「タテ社会日本」の恐るべきシステムが存在する。記事の彼女は3年前から働き始めたということだから、以降の新入社員以外は全て先輩格となる。関連する部門の先輩格からの依頼は断ることはできない。安倍元総理でさえ先輩議員からの依頼は断れない・・・

ところが悲しいかな、依頼する側(先輩格など)も仕事を抱え込んでおり、仕方なくこの女性に仕事を回してしまうことが多い・・・のだと思う。

これは僕の経験談なのである。

 

公共道徳観念(欧米なら神)←→先輩後輩・格上各下、親分子分

 

彼女は道徳観念において頼まれ事を実行する。それはあくまでも道徳観念上であり欧米的に考えれば神との契約である。

一方、パシリとしての後輩と見た場合、格上者は自分が親分で、子分を引き連れていると勘違している。

そこの差異が大きく、頼み事・要求の度が過ぎる場合、彼女は意見を述べるだろう。

その具申すること自体が親分子分の関係では「反抗」となる。

「反抗」には「罰・制裁」が加えられることになる。

しかし、彼女の信念は公共道徳観念(欧米なら神)であるから、その理不尽な状態に於いて断固立ち上がる時が来るのである。

 

 本当の親分子分か?

素振り・恩着せがましさ、がある。

それなりの出で立ち。反社会的なもの。

 

民主主義との関連性(2020/09/23)

ひろさちや著「仏教とキリスト教―どう違うか50のQ&A」「仏教の釈迦・キリスト教のイエス」よりヒント。

 

いまのところ、直接、キリスト教の考え方が、民主主義へと繋がるきっかけのようなものや、「父性原理・キリストの教え」「母性原理・菩薩」(2020/07/12)などに繋がるものは見いだせないでいる。

両者に極端な違いは無く、むしろ、目的とするところは同じではないか?という印象である。

ただし、悟りの境地に至るまでの過程が両者では異なるように思う。

 

キリスト教

①まず神を信じる(神と個人の個別契約)

②神に全てを任せる(信じている限り神が良しなにしてくれる)

③良くも悪くも神の意思(全てを受容する) 

③-2、神の意志に従わないことは罪であり罰を受ける

   (社長の指示より神の指示が尊い

④それぞれが個別契約なので、個人主義の原点となりえる

⑤それぞれが神と個別契約であり、他人と同じである必要が無い

⑥神の前で誓いを立てれば、上官の指示に従うことが神の意思となる

⑥-2、かつての皇軍、なぜ日本では逆が無いのか?毛語録?

⑥-3、Dドスの神と上官の指示はどちらが偉い?という問題 

キリスト教的】

①「結局、上手く行った」「人生全てに意味がある」

②「菩薩の救い」

③隣人愛(施しの精神)施しは神の意思

 

 

【仏教】

①出家(俗世間の趣向から決別)

②自己の修練(努力)により悟りの境地へ至る

③悟りの境地に近づいている者、そうでない者とに階層が生じる

④努力した度合いが評価対象になる

④-2総じて上位ポジション者が偉くある

⑤亡くなった人は全て仏となる

⑤-2、先祖を仏として仏壇に祀るのは日本の伝統からして理にかなっている

【仏教的】

①「人生全て勉強」

②「スポーツトレーニング」

③寄付・慈善事業は徳を積む修練の一部(多ければ良い)

④自主的なトイレ掃除、周辺清掃

 

6月21日の忘備録(2020/09/22)

はてな」にはUPしてなかった話題として・・・

Facebook・2020/06/21

第1波の時はそれぞれの局面が約2週間から20日ほどで結果として表れていたように思う。しかし、第2波では、7月の連休の結果が8月10日頃にピークとして表れた以外、よくわからない・・・

【6月21日の忘備録】
K値を見る場合、傾きが非常に重要なので、傾きが変化した局面(ポイント)に注目する必要がある。
K値が変化したポイント間のインターバルと、単純な日当り感染者発表数の変動ポイントのインターバルに近似が見られ、
かつ、3月の連休~3月末~緊急事態前言発動~の各インターバルに重なることから、僕は行動自粛などの影響は大きかったと感じている。

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 こうしてみるとピタリと適合する・・・
「17~20日後に変化が現れる」
だから、昨今言われている「発表5日前の感染」は不適切ではないか?
グラフはK値に鑑みたものだが、単純なニュース発表でも同様だ。
3月連休の結果が4月11日にピークとして表れた17~20日後・・・という経験値を基にしている。
【これまでの経過】
・3/21春の連休→(4/11頃)
・3/29志村けんさん死亡の報→(4/19頃)
・3/30・31感染経路不明者の調査で判明(西浦教授)
               「その人達の接触歴は夜の街で終えている。」
・4/7東京・大阪・兵庫他・緊急事態宣言→(4/27頃)
・4/16全国・緊急事態宣言→(5/6頃)

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【2020/09/22に第1波グラフ・再取り込み】
・3/21春の連休→(4/7頃)+17
・3/29志村けんさん死亡の報→(4/14頃)+16
・3/30・31感染経路不明者の調査で判明(西浦教授)
               「その人達の接触歴は夜の街で終えている。」
・4/7東京・大阪・兵庫他・緊急事態宣言→(4/24頃)+17
・4/16全国・緊急事態宣言→(5/3頃)+17

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【別の視点】
日本の場合のみだが、第1波と第2波のカーブには近似が見られる。これは他国には見られないので、あくまでも日本の場合のみであるが、連休や緊急事態宣言などの局面には関係無く、感染拡大~収束が繰り返されるという可能性は無いか?(緊急事態宣言に意味が無かった・・・という説につながるもの)

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もちろん、連休などの局面があって、結果、グラフの山の高さが決まると考えられる。

我が宗教紛争(2020/09/20)

本日はひろさちや著「仏教とキリスト教―どう違うか50のQ&A」の完読と「仏教の釈迦・キリスト教のイエス」の再読。何度か再読を繰り返せば、そのうちに思考構造が整理出来ると思う。

今のところ、この2大宗教を比較しながら理解するのは、やや困難である。しかし、たどり着くところは同じではないか?当時の人々が何を求めていたのか?

それは原始的「社会規範の維持」だったのか?はたまた、単純に「死」「変えることのできない定め」「苦痛」の回避だけだろうか?

バラモン教ユダヤ教、それぞれの発祥や、現在、世界的に加速している「無宗教性」にヒントがあるかもしれない。

 今年は「タテ社会日本」「母性原理社会日本」「空気を読む」をキーワードに、いろんなことが開花して行った年であるが、その一方でコロナ禍から始まった流れ
 →ウィルス・生物→死→チベット死者の書→仏教・・の系統と、キリスト教由来の流れが、最終的に磯さんのFbでのUP・・
「9月11日【函館忘備録03】日本最古の正教会『函館ハリストス教会』」
によって、仏教徒キリスト教が結びついた年でもある。

このキリスト教の流れを逆に追って行くと・・・

・「自分で考えろ」「さぁどうする」(2020/08/04)安藤忠雄
・悟り(2020/07/19)悟りと俯瞰の発見
・ただ一撃にかける(2020/07/14)
炎のランナー(2020/07/11)
池江璃花子は潜在意識からのメッセージを受け取ったのか(2020/07/04)
・求めよされば与えられん話・その2(2020/06/12)
・求めよされば与えられん話・その1(2020/06/11)
・祈り(2020/05/12)
・デズモンド・T・ドスのこと(2020/05/11)

最終的には、沖縄戦Twitter)→沖縄行、に開始点が有るとは、驚きである。

 

さて、今年はたまたまこんな風に「キリスト教」のキーワードにヒントを得た年であったが、突然に我が宗教ブームが訪れたというわけでもない。

高校卒業後の3月「三ノ宮センター街事件」(1982年)

「第1次宗教紛争」(1984年・1991年)、「第2次宗教紛争」(1996年) 

 

・「三ノ宮センター街事件」(1982年)

  FbにもUPしたが、バイトの帰りに三ノ宮センター街で宗教団体に声を掛けられ、のこのこと集会所へと着いて行き、論破して帰った・・・得意の倫理社会と理工系の知識が活用された事例。

・「第1次宗教紛争」(1984年)

 当時、地元の同級生の中に某有名宗教団体の信者が数名存在し、また、大学内その他、至る所に勧誘の手があり、それら勧誘員との問答。

彼らの言い分の特徴は「信じていれば良いことがある(金持ちになれる、恋愛が成就する、有名企業に就職できる・・などなど)」「お祈りをすれば願いが叶うGive-and-Take型」そしてその根拠は「先祖の霊が守ってくれる」「(偉大なる)教祖様が言ったことだから正しい」の一点張り・・・だった。

そんな彼らに対し僕は「真理は自分の手でつかみ取ってこそ意味がある。」と主張。その返答は「もし自分の考えが間違っていたらどうする?取り返しがつかない。教祖様が正しい方向へ導いてくれる方が確実である。」

1991年には、職場の同僚だった新興宗教団体の夫婦に、新入社員1名が引っ掛かり、その彼から内幕を聞くことができた。「お布施を積めば金がどこからともなく降って来る」「薬は毒」「病気は無菌室で治す(お布施が必要)」「月1回、乗り合わせで某所にある本山へ」

 

・「第2次宗教紛争」(1996年)

 

 


「仏教とキリスト教―どう違うか50のQ&A」「仏教の釈迦・キリスト教のイエス


「第2次宗教紛争」(1996年)の際に購入。相手方の説得に使用した。本当の仏教と、歪んだ日本の仏教が解説してある。
歪んでいたとしても、日本流のしきたりとしては詳しく記述してあり、お葬式の際に参考にさせてもらっている。 


 映画の公開は1994年・・・それに先んじて購入。「中道」を意識するようになったのはこの頃から。映画もブッダ・ストーリーの部分は好きである。


 購入は1991年頃だったか?
「死とは?」「脳死とは?」が世間で議論された頃だった。


 

神を信じれば何が起こる(2020/09/17)

ひろさちや著「仏教の釈迦・キリスト教のイエス」を完読。

自分自身の神のイメージと、宗教的神のイメージが異なることがわかった。

いったい、人々は何を求めて世界的二大宗教を支持するのか?

神とは誓いを立てるための荘厳な存在だと考える。

結婚式が良い例だ。

家族の健康と繁栄を祈る→誓う。

誓いを立てたからには実行しなければならない。

→そのために力を借りる(与えてもらう)

→すると、ひょんな折に回答が得られる。

→上手く行けばそれで良し。神に感謝するだけで良い(寄進は不要)

大切なのは感謝することである。すると、喜びのループが出来上がる。

問題は何を誓いに立てるか?だ・・・

そこに戒律が存在する。

誓いは戒律に沿った形で行われる必要がある。

「求めよさらば与えられん」「中道」「諸行無常」なども思考のベースに置く。

 だいたいこんな感じで日々を繰り返すことになるが、宗教的な部分に重なるのは少ない気がした。

 「父性原理・キリストの教え」と「母性原理・菩薩」(2020/07/12)にも関連して、何かがわかると考えていたが難しい。

ベスト・キッド(2020/09/17)

映画「ベスト・キッド」(1984年)のセリフにこういうのがある。

「バランスが大事だ。空手だけでなく人生も。」
          Lesson about balance. (バランスについて学ばねばならない)
          Lesson not just karate only. (それは空手だけの話ではない)
          Lesson for whole life.(それは人生全般についてである)

これは仏教における「中道」を意識したセリフだと感じている。

「中道」というと、全般的に、英訳「Middle Way」のまま、「中立」と捉えている人が多いように思う。それは間違いではないが、かなりの誤解だといえる。

その昔、神戸新聞のコラムで興味深いものを見つけた。文面から察するに、911直後、米大統領の演説直後だと思う。そのコラムの抜粋は以下のようなものだ。

 亡くなった作家の遠藤周作さんのエッセー集から思わずうなずきたくなるような一文に出会えた。言うならば「三分法の考え方の勧め」である。私たちが習慣的に身につけている二分法の考え方は、幸福と不幸、健康と病気、善と悪というように全てを対立した二つに分けて考える思考方法。ところが遠藤さんは、「まったく幸福とは言えぬが、しかしそれほど不幸でもない三つ目の状態だってある。人生や人間は二分法では割り切れず、その中間か、もしくは対立したものを併合している状態だってある。だからこれを三分法と言って良い」としたうえで、「私は皆さんに今後の人生ではできるだけ二分法の考え方を捨てて、三分法の考え方に慣れていただきたい」としている。
これで思い浮かぶのが米大統領の演説。「どの地域のどの国家も、今、決断を下さねばならない。我々の味方になるか、あるいはテロリストの側につくかのどちらかである」。
二分法の典型例だ。明快で力強くはあるが、今後の世界に危うい思いを禁じ得ない。

 ここで言う「三分法」というのは、遠藤周作氏が考えた言葉だったのかもしれない。文面からすると、書き手は日本の中立的立場を求めているように思える。

しかし、遠藤周作氏としては「中道」や「中庸」を言いたかったのだろう。その、中道と中庸という言葉をネットで調べてみると、

「中道」
  ①一方に偏らず、穏やかなこと。中正の道。「―を歩む」
  ②目的を達しないうち。中途。半途。途中。
  ③富士参詣の登山者が、富士山の中腹をめぐること。「―めぐり」
  ④〔仏〕 仏教の基本的教義の一。両極端に偏らないこと。対立する見解や態度を克服した立場。対立の内容については、快楽主義と苦行主義、自己を永遠とみる常見と死後はないとする断見、有と空、空と仮など、教派によって諸説がある。

「中庸」
  ①考え方・行動などが一つの立場に偏らず中正であること。
  ②過不足がなく、極端に走らないこと。また、そのさま。
  ③古来、洋の東西を問わず、重要な人間の徳目の一とされた。
  ④中道。「―を得る」「―にして過甚ならず/西国立志編(正直)」

 このように中道・中庸という考え方は、極端を廃して「バランス良く」を目指すことであって、英訳「Middle Way」の言葉通り「ど真ん中」を行くものでも無く、また「中立」でもない。

「中道」は適正を維持するために「ころあい」を見つけ出す哲学とさえいえる。


その「ころあい」についてだが、以前、「職場の教養」という小冊子に、このような説話があった。

 ジュースが1本ありそれを2人で分けるとしたら、あなたならどうしますか
そう聞かれた場合、大抵の人は「丁度半分になるように分ける・・・」と答えるでしょう。しかし、中道的に考えると「丁度半分に分ける方法」を思案する前に、お互いが半分の量で満足することを、まず「覚えなければならない」ということになります。つまり、二人共にジュースが、まるまる1本でなければ満足できない・・・としたらそれは争いに発展してしまうということです。

 この二人の於かれた状況下での「ころあい」は、互いに「ジュース半分」が正解・・・ということになるだろう。
中道という考え方で一番難しいのは、「於かれた状況下で自分のころあいがどこにあるか?」を知ることに尽きる。例えば、それが野菜ジュースで、一方が野菜ジュース嫌いなら、きっちりと分け合う必要もない。

そう考えると、その人にとっての「ころあい」は、本人はおろか、第3者にもわからないのかもしれない。

例えば、サラリーマンをしながら全日本並みのトレーニングをするとしたら、やはり「ころあい」を超えていると言えるが、その方がサラリーマンをしながら全日本を目指しているのならば、それはその人の「ころあい」となる。しかしその姿は、第3者である同僚の目には奇異(極端)に映ることだろう。

このように、何かを目指す時、ある時期に極端なことに取り組んだとしても、僕はそれが「ころあい」と理解すべきだと考える。

いずれにせよこの世は「諸行無常」なのだから。

職場の中途入社員の定着率の悪さ(2020/09/14)

職歴1~3年未満で転々として来た人を「早期離職者」と呼ぶらしい。

先日、泊り勤務の研修講師を延べ3日やった。相手はビル菅業を転々として来た49歳で、ビル菅業の経験者であれば教える内容も最小限で済むと思いきや、いざ蓋を開けると「ビル菅業の何たるか」が全く理解出来ていない・・・どころか、サラリーマンとしての適性を欠いた人物だった。

そんな「早期離職者」の彼が、この現場で5年、10年と続くはずもない。前途多難であろう。しかし、34年前の僕がそうであったように、万が一のことが起きるかもしれない。手抜きはせず、時間をかけて全力で教えたのは言うまでもない。 

さて、僕が今の職場に入社してから5年半となるが、新人さん(中途社員)の定着率は極めて悪く、この間、21名が入社、17名が退社・移動で出て行った。この21名の中で泊り研修に至ったのは、たったの7名・・・内2名が研修直後に退職、3名が現場移動、1名が年始から何とか持ちこたえており、先日1名が研修を終えたところ・・・というあんばいだ。

この定着率の悪さは僕の周囲も認めるところだが、離職率を計算してみると70%にもなる。(僕を含めた既存社員6名+入ってきた21名=延べ27名で計算)

 現場責任者は極めてパワハラであり、この定着率の悪さの原因を、責任者の人間性と観る向きもあるが、果たしてそうだろうか?

入ってきた人の殆んどが「早期離職者」である。

そして、ほぼ大半が、今回の彼と同様、普通のサラリーマンが出来ない人・・・なのである。

この現状・・・あれっ?10年前、以前勤めていた会社と全く同じだな。

そう、2005年頃から2010年にかけて、僕は定着しないスタッフに翻弄され、極めて追い込まれた状況にあった。そして、他の複数の要因もあるが、最終的に22年間勤めた会社を退職するに至った。88年の入社以降、サービスメカニック4年→情報システム部10年→経理部に至り8年。3か月後には課長職を控えての退職であった。

本社で複数の役を掛け持つ中、所属部署、及び、営業拠点を含めた「定着しないスタッフ」への対応は、その多忙さゆえに「拠点事務サポートスタッフ」といった部門を創設させてよいほどの悪い状況であった。

当時、僕はこの定着率の悪さを、人材派遣会社の抱えるスタッフの、質の悪さ・・・にあると考えていた。この人材派遣会社のCMを見ると今でも吐き気がする。

新しいスタッフが配属される→営業拠点へ出向いて経理講習→お金が合わない・滅茶苦茶→月締めが出来ないので出向いて合わせる→数ヶ月~数年繰り返す→辞める→新しいスタッフが配属される。

これが複数の営業拠点で延々と繰り返された。研修方法が悪いと、逆切れされたことも何度かある。後ろ指刺されないためにも、手抜きせずに教えるスタンスは、当時の経験によるものだ。現在と極めて似た状況である。

 そして当時も、普通にOLができる人なら問題無いのにな・・・と考えていた。実際、中継ぎ1ヶ月だけ、営業職の女性に経理事務を依頼したことがあったが、きっちりと合わせて来た。

つまり・・・

職を転々とするから仕事がマスターできない・・・ではなく、仕事がマスターできないから(人間関係が悪化し)離職に至る・・・ではないか?

そして、

①現在の求職者の「早期離職者」が占める率が高いのではないか?

②そのため欠員が発生した場合「早期離職者」が入社して来る確率が高い。

③結果として早期離職されてしまい、再び欠員が発生する。

④欠員→補充→退職の無限ループ。

  

そこで、「中途社員」「早期離職者」をキーワードにネットで調べると

・新入社員の3人に1人は早期離職している。

・35~49歳で転職を経験した人のうち、前職が早期離職となったのは約4割。

・35~39歳では早期離職者が約半数に迫る。

・中小企業での中途社員の3年以内の離職率は3割を超えると言われている。

などなど。

 

常識的に考えてみると、5年、10年仕事が続けられる人が、一種の「求職市場」に登場するのは、5年に一度、10年に一度・・・ということになる。(もちろん、あくまでも例え話である)

だとすれば、「求職市場」における各離職年数というのは、毎年転職を繰り返す早期離職者が圧倒的に多くはならないか?

だとすると、1名の欠員に対し、欠員は放置できないから会社も直ぐに補充をかける。ところがそこに早期離職者が補充されてしまう確率は極めて高い。

結果として早期に離職され、なかなか定着を見ない。

この無限ループに陥ってしまうのか?

そんな中、数年に一度の割合で、普通のサラリーマン・OLが入ってくれば、そこで欠員の定着・・・という次第。当に僕自身がこの5年間で経験したこと、そのものである。

実際、以前勤めていた会社でも、普通のOLさんが入って来たことで、一気に全てが解決した事例を複数見て来た。

金融破綻~リーマンショックを経て、企業は余剰なスタッフを抱えることを止めた、最小・最低限のスタッフでの経営を推進して来た。結果として一人のスタッフが複数の役を負い、過労死ラインでの業務が公然と行われている。

そんな中、1名の欠員が発生するということは大問題であるから、直ちに補充をかけなければならない。ところが、有効求人倍率が高い値で推移している現在では、応募を選り好みしている訳には行かない、無作為に採用・・・となる。

ネットで見つけた有効求人倍率推移表によると、僕が辛酸をなめた2005年からの5年間というのは、リーマンショックにより有効求人倍率が下落したものの、バブル期以降で言うと高推移していた時代である。もちろん、現在も同様だ。

 

https://nobo3mcnabsaadkobe2.hatenadiary.com/entry/2020/09/14/180810

 

 

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