◇新春のメッセージをもらって◇

とある同級生からLINEで頂いた私へのメッセージ。
(私に対して)「自分のペースを一貫して生きているのが本当に羨ましい・・・」

 話によると彼は、自分を取り巻く周囲からの制約が増えてしまい、身動きが取れなくなっている・・・のだという。

彼は私の年賀状しか見てないから、その写真の印象から、私が日々優々と生活しているように見えているのだろう。Facebookに書き連ねている私の職場の実情や両親のこと、妹のこと、住んでるマンションのことを知らない。

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方や、そのFB仲間からは「(精神が)病んでいる・・」と言われることもある。

では、会社ではどうか?
私は仕事用、プライベート用のスマホを使い分け、SNSをやってないことにしている。

加えてスキーやその他、アクティビティの話題を職場では一切出さない主義で通して来た。(最近、一部の先輩に話を始めたが・・・)

21年前(1998年7月4日)当時の上司から業務中に喫茶店に呼ばれ、これから1年をかけて行う社内システムの総入替え作業を前にこう言われた。
「今後、趣味は捨てなさい。会社では、仕事以外に心うばわれているものがあるのはマイナスとされる。私が道を付けてあげるから(役員への)私のいう通りにやりなさい・・・」と。

当時から、仕事とプライベート、つまり「二本の河」(ふたつの生き方)を両立させてこそ人生・・・と考えていた私は、この言葉に唖然となった。
昨今はワーク・ライフ・バランス(Work–Life balance)という言葉が一般化して来たが、それでもこの言葉は21年前でも異常なことだったと思う。

以降、一種の二重生活が始まった。
この出来事以降、趣味でとやかく言われないように、職場で一番の模範社員となるよう意識して来た。
雪山から戻って帰宅がどんなに遅くなっても、翌朝にはスッキリした顔で出社し、どんな要望にも返事一つでキビキビと応え、自分の仕事は後回しにしても、依頼は一番で済ませるよう心掛けた。
もちろん、後輩、他部門の上司に関わらずである。

その後、この上司はとんとん拍子で出世し、地場で初の社長に就任した。
他方、後輩である私を上手く使い、自身の飲酒運転に加担させたりもした。

この上司の通りに生きていたならば、恐らく今頃は次長ぐらいにはなっていただろう。退職時は部長ぐらいだったのではないか・・・と思う。

また、この上司からはこのようなことも言われた。
「会社は基本、365日営業すべきだ。そして責任者(課長以上)は、1時間でも良いから毎日出社すべきである。」
責任を預かる立場の者が常に職場に居ることで、判断・決済・指示・・・が素早く行えるというもの。実際、この上司はそれに近いことをやっていた。
そして夜は三ノ宮に馴染みのママや女の子が十数名・・・

恐らく、この上司は21年前、大事業を前に、自分にリスクが無いように、私に甘い汁をちらつかせて、仕事に専念させようと仕向けたのだと思う。

実際、この二重生活を行うのは大変だったが、むしろ、雪山から戻った翌日は、疲れていても仕事の回転が良いことがわかってきた。
そして、それは21年後の今も続いている。

新年メッセージをくれた同級生は、このような経緯を全く知らない。

  

※写真は、新宿の母ならぬ「神陵台の母」(小1の時の恩師)からの年賀状。
我が母と同学年(昭和8年)ながら、このセンス・・・もちろん、既成デザインの年賀状だが、これを選択したところが如何にも神陵台の母らしい・・・