「八方達人検定」始動前夜のこと(2020/02/11)

約19年前、2001年の4月7日の夜、私はスキーの師である白馬村のTOK氏が経営するビヤホール「メルツェン」のカウンターに座り、氏の注いでくれたペールエールを飲んでいた。
(・・・記録からするとそのはずである)

隣の席にはM・シフリン似のキュートなNZギャル(Girl)が・・・もちろん居るはずもなく、NZ渡航で長年、相方を勤めたSAK氏が、いつも通り酩酊状態で無言のまま鎮座していた。

それはさておき・・・

「八方スペシャルテスト(達人検定)」のスタートする2シーズン前、私はベースの若杉高原大屋スキー場にてSAJ1級を合格し、氏の所属する八方尾根スキー場では撃沈という状況にあった。

本来、全日本スキー連盟が実施するスキー検定の難易度は、全国一律のはずである。ところが、明らかに八方尾根SSの検定は日本一と称されるほど難易度が高かった。
結果、八方尾根で1級合格することがステータス化してしまい、それは2020年の現在も変わらない状況となっている。

その夜、メルツェンのカウンターでの会話は、自然にSAJスキー検定の話題となっていた。

折しも、1998シーズンから爆発的に普及したカービング・スキーでの滑走技術と、従来のトラディショナル・スキーでの滑走技術の隔たりが問題視されていた時期でもある。

「スキー検定の評価基準に、スキー体力や筋力、斜面走破力があってしかるべきではないか?」

その夜、私はエクストリームスキーの第一人者である佐々木大輔氏を例に、スキーの「うまさ」とは何なのか?をTOK氏に問うたのだった。

佐々木大輔氏は、2017年6月に、北米のデナリ(マッキンリー)の南西壁の滑降に成功した日本のEXスキーの第一人者である。
2001年時点の私の予備知識として、佐々木大輔氏は1999年北米エクストリームスキー大会7位。確か「頭がブチ切れてたで賞」的な特別賞を受賞したスキーヤーだった。
(※この時、SJ誌1997年8月号に特集されていたEXスキーヤー・宮野和貴選手の記事が第一にあったが、知名度から佐々木大輔氏を引き合いに出した。)

単純に「上手いやつは、上手い・・・」


SAJのスキー検定は、スキーの本質からやや外れてしまい、技術志向に偏り過ぎているのではないか?
実はこの時、私の問いかけに対して、TOK氏の明確な回答はなかった。

その後、何度も八方尾根スキー場を訪れ、この話題を何度か重ねて行くうちに、「八方スペシャルテスト(達人検定)」の計画を聞かされるようになった。


であるから、私の一番最初の問いかけは、EXスキー選手権がベースにあったので、「八方達人検定」のスタンスとは、やや食い違うものだったと言える。
(※しいて言えば、リーゼン・ノンストップ走破が該当するかもしれない)

もちろん、TOK氏一人の意見で「八方達人検定」が始まった訳でもないだろうし、スクール内で「八方達人検定」の誕生までにどのようなやり取りが行われたのか?私の知るところではない。それでも、兵庫県に住む一人のスキーヤーの一言が「八方達人検定」を生んだ・・そんな風に想像するのも夢のようでおもしろい。

 

 

 

Schi Heil !!