「SNSのネタ」と「父性原理と母性原理」(20202/02/23)

「父性原理」は「個」、一方 「母性原理」は「場の共有と共感」である。

 「父性原理」が強い人と、「母性原理」が強い人では、それぞれSNSなどのネタ(内容)に大きな違いがあるように思う。互いに相手の意図が汲めないので、結果として炎上やトラブルの原因となっているのではないだろうか?
そのあたりをまとめてみようと思う。

その前にまず「タテ社会日本」の観点からSNSを考えてみたい。
社会人類学者の中根千枝によると、人間関係において「タテつながり」が強く出てしまうのは、世界中探しても日本だけだという。

日本の組織は5~7人(10名まで)からなる小集団の集合体であり、親分子分に代表される「タテつながり」 の関係により運営される。この小集団では、「感情的結束(エモーショナルな共感)」が重視され、結果として村八分などに見られる強い「排他性」を有することとなる。この小集団の運営では感情的結束を促すため、年間を通じて様々な行事が催される。代表的なものは部・課・班による新年会・納涼会、忘年会の類である。この行事に構成員全員が参加することは、小集団の結束を左右する重要な意義を持つことになる。

裏を返せば、この小集団の中では「個」を表に出す必要は無い。仮に「個」を強く表に出すようなことをすれば、集団内の順位変動にもつながりかねない。従って「自己主張」は、“出る釘は打たれる” 結果となってしまう。

ただし、小集団を牽引する立場のポジションにあれば「個」を出すことは構わない。示した方向に集団は恣意的に流れて行く。その一方で新しい試みに対して賛同を得難い側面もある。また、けん引役が「個」を出し過ぎても問題がある。「俺流」が突出した場合、それが「パワハラ」などにつながるケースも多くみられる。本来、日本の「小集団」でワンマンは出にくいのだが、一旦、ワンマンが出てしまった場合、集団の方向を修正できる人間が存在しない・・問題点を内包しているといえる。

そこでSNSである・・・

SNSは「個」を表現したり「ヨコつながり」を広げるためのツールである。(限られたメンバーだけの、プライベートなグループの作成は可能)

ところが日本は社会の隅々までタテの浸透した「タテ社会」だから、SNSであっても、誰かとつながりを持った以上「タテつながり」が無視できない。
結果として、ヨコでスタートしたはずのSNSにタテが入って来ることになる。

上で示した様に「タテ社会」の流儀において「個」の表現そのものがタブーであるから、最終的にグループメンバーから非難を受けることになる。ただし、ここで考慮しなければならないのは発信者のグループ内ポジションである。タテ社会の小集団内では、そのポジションによって発言権・発言すべき内容が決まっている。「スクールカースト」を例に取れば、1軍、1.5軍は好きなことを発信して良く、表現は恣意的に支持される一方、2軍、3軍は、発信するだけで非難されることもある。(発言権そのものが無い)

さて、前置きが長くなったが「父性原理」は「個」、一方 「母性原理」みんなが支持する内容であるべきと考える。「場の空気を読む」という言葉があるように「場の理論」に準じた内容となる。

 

 

「タテ社会」ではエモーショナルな共感は「小グループ」の結束を維持するための大切な柱である。従ってグループ内排他性の強いLINEは、「タテ社会日本」に合ったSNSといえる。LINEがティーンに人気なのは、その閉鎖性にあると言われる。

Facebookの場合、システム上、同級生だけの関係に両親が入ってくることになる。社員仲間だけの関係に上司が入って来る・・・など。

「個」を表現するツールに、結局、「場」「空気」が入ってくることになる。

 

 

「タテつながり」には「母性原理」が強く働いているので、「父性原理」つまり「個」の立場で書かれた文章を「母性原理」が強い人は快く感じない。

 

 

  

・ イベント参加への意義と違い(会社;コーポレーションの語源)

・「父性原理」によると「個」は「理念」に従って動く(結束する)

 「父性」だから男ではない。「理念」に従って動く女性は「父性」が強いということになる。

・個人は引っ込めるべき、前に出ない。前に出るポジションは決められている。

 

 

東日本大震災の際の日本人被災者の行動と海外の反応

〇見込みの無い新人社員に一生懸命教えるのは優しさか否か?

〇仕事をする上での「契約履行」上の「義務」「責任」と、「楽しい」「積極的」との対比。大切なのは「気持ち」であり、場合によっては「無償」の仕事でも、それで満足させられてしまう(せざろうえない)理屈