コロナ騒動Ⅱ(2020/0412)

最近、「エビデンス」という言葉が使われるようになってきた。エビデンスとは日本語だと、「証拠」「根拠」とかいう意味になる。(健康法の話題でよく聞く)

 

太平洋戦争当時の日本の意思決定は、エビデンスの欠けた、感情主体(決意、気力、熱意)のものがほとんどで、エビデンスを積み上げた先の議論・・・例えば「作戦実行見積り」が曖昧なものが多かった。まぁ、それは今の日本社会でも変わらないのかもしれない。

 

例えばコロナ騒動・・・スーパーの店内、感染者が手のひらくしゃみを受け、その手で商品を握り、直後に他の客が商品を触って、鼻や口の周囲を触れば、それは感染すると考えて良い。これは風邪など感染症エビデンスとして、既に確立されている話である。(逆に、飛沫などが届かない距離であれば感染しない・・のもエビデンスとして確立されている)

 

現在、スーパーでのコロナウィルス感染はあって当然と考えなければならないが、では東京都内と岩手市内でのスーパーの感染リスクはどうだろう?
共に注意はしなければならないが、特に都内の場合は必要以上に感染リスクを意識しても構わないはずだ。

 

・・・はずだ、と書いたのは、この感染リスクが可視化されておらず、人によって判断が曖昧となってしまうからである。

そして、職場や家庭などの小集団(中根千枝)の空気を支配(山本七平)するリーダーが「そんなこと気にしてたら何にも出来んサー」などと言えば、社会全体の空気が如何なるものであろうと、その小集団と過ごす間は従わねばならない。
コロナ騒動に限らず、受動喫煙問題、未成年の飲酒の問題、しかりである。

 

話は変るが、上記のような社会批判めいた文章を書いた場合、ある国ではUP後40~50分程度で公安警察がやって来て厳重注意。場合によっては逮捕(戻ってこない)となる。

戦前~戦中の日本でも、自分の意にそぐわない相手を「赤」として通報し、葬り去る事例はあった。

私の父の思い出に、T尋常小学校高等科に勤務していたとある赤の先生が任意同行を受け、戦後に戻ってきたらしい・・・というのがある。父の同級生に確認したが、そんな話は知らないという。父の記憶違いなのか?

もしかすると、赤の先生と言うのは父達の担任だったJT先生ではないのか?昭和15年当時、JT先生は正教諭にも関わらず徴兵され、その後ビルマで戦死した。

もしや赤の先生と言うのはJT先生本人だったのではあるまいか?また、噂の赤の先生とJT先生は仲が良かったのではないか?


このような想像が今回のコロナ騒動をきっかけに脳内を巡るのである。