受け止め方の違い(2020/04/28)

今回、SNSなどの文章に対する受け止め方の違いを考えさせられた。

Social Networking Service なのだから、個人と個人のコミュニケーションが主目的であり、そこには必ず社会性が存在することになる。

ある一つの発信があった時、その内容に共感した人々が一つの流れ(ムーヴメント)、潮流、風潮を作り出すことがある。そしてそこから排他性を帯びた「グループ」が発生することも多い。

SNSには社会性が存在している以上、ヘイトなど、表現方法、内容について、一定の配慮が必要となるのは当然である。

内容は個人の自由だから、何を発信しても良いというわけではない。

 

これらの前提を前置きした上で、一つの発信に対する反応というものを考えてみたい。

ある人が夏目漱石の「坊ちゃん」の読書感想をUPしたとする。


親譲おやゆずりの無鉄砲むてっぽうで小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰こしを抜ぬかした事がある。なぜそんな無闇むやみをしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から首を出していたら、同級生の一人が冗談じょうだんに、いくら威張いばっても、そこから飛び降りる事は出来まい。弱虫やーい。と囃はやしたからである。小使こづかいに負ぶさって帰って来た時、おやじが大きな眼めをして二階ぐらいから飛び降りて腰を抜かす奴やつがあるかと云いったから、この次は抜かさずに飛んで見せますと答えた。

 

その感想文は書かれている内容の、とあるAという事象について、私はこのように感じた・・・となる。

「実は私も、ホント同じような経験がある・・・」
 

実は、私が感じたことをまとめるなら日記で良い。SNSの場合、その日記を他人が読むのと同じだ。他人が読むことを考慮して日記を書くことになる。

「実は飛び降り自殺を考え、実行したことがある・・・」←他人が読むことを考慮すればそれが真実であってもタブー

 

さて、相手が存在する限り、それは「私はこのように感じました」の先に「では、あなたはどのように考えますか?」が来るのは当然だ。それがコミュニケーションというものである。

N君「子供の頃、屋根から飛び降りて足首を捻挫したことがあるんです。」
M君「僕は2階の屋根からマットに向かってジャンプしたことがある。」
N君「えっ!それは初耳や。その時の話、教えて・・・」

こうやって話題が外れて行くのも、それはそれで良い。

 

そこで、とあるAという事象に対して、両極端の意見がぶつかり合うこともあるだろう。

N君「子供の頃、屋根から飛び降りて足首を捻挫したことがあるんです。」
M君「最初っからそんなんわかってるやん。常識が無いわ・・・」 

SNSで「共感」を求める傾向が強い人にとっては、意見のぶつかり合いはタブーである。しかし、議論はそれはそれで意義のあることだ。

 

ところが・・・である。何の脈絡も無いところに注意が向く人もいる。

「なんで漱石って肘を突いてるの。悪い癖やね。漱石嫌い・・・」
こういう人が意外に多い。
私はこれまで、こういった反応に対して、逃げずに一つづつ対応していたが、そこから話がずれ込んで荒れることもしばしばだった。(・・・というか荒れることの方が多い)
 
今回、こういう傾向の強い人とは距離を取るべきだと痛感した。そもそも、職場などでもこういう人は阻害されて行くものだ。
苦手な相手でもそれ相応に相手をすることは大切である。自分の文章の書き方が誤解を招きやすいのだと考えて、文章力をUPさせることは大切だ。
しかしそれでも、最終的な解決は「距離」しかないように思う。犯罪者が社会から強制的に「距離」を取らされる(収監される)のもそのためだろう。