デズモンド・T・ドスのこと(2020/05/11)

75年前の5月9日に前田高地の戦いが終結する。
崖に遮断された狭い丘の上を巡る凄惨な戦いの最中、日本兵を含めた75名の負傷兵を救助したとされるデズモンド・T・ドス。

 

彼が、敬虔なクリスチャンであった点が、とりわけ注目されがちだが、思うに彼は、自分自身に対して偽りの気持ちを持ちたくなかったのだと思う。

当時を振り返って彼は「母親が、なりふり構わず自分の子供を救うのと同じだ。夢中だった・・・」と語っている。
彼は保身を考えるよりも先に、他を守ることに意識が向く(行動してしまう)タイプなのだろう。戦場で彼が生き残ったのは偶然で、信仰心の強さは関係ない。

 

75年前の5月4日、彼が衛生兵として所属する部隊・総勢150名は、前田高地(ハクソーリッジ)の崖をよじ登って丘の上に立った。(前田高地の戦い11日目)
しかし丘の上には日本兵が潜んでおり、部隊は激しい抵抗に晒される。この結果、この日も多数の死傷者を出して部隊は撤退。助かった兵士は命からがら、次々とロープを伝って崖下に下りて行った。
しかし、崖上には自力で動けない負傷兵が多数取り残されたままである。


この時、ドスはハクソーリッジの崖の上にとどまり、4時間に渡って、たった一人で負傷兵を一人一人崖の近くへと移動し、ロープを使って崖下に下ろす作業を繰り返した。

気の遠くなるような作業である。

そして翌日、ドスは崖の上で手榴弾攻撃により足を負傷する。
激しい戦火に見舞われながら、今度はドス自身が担架に乗せられたままひたすら救助を待つことになる。その間、5時間・・・

そして、担架で運ばれている最中、銃弾を浴びて左腕も粉砕された。戦後、大工で生計を立てる道はこの時閉ざされた。

 

彼の行動に想いを馳せる時、コロナウィルスと戦う医療従事者や役所関連の業務に携わる人々(他)のことを考えずにいられない。 それぞれに過労死ラインをとっくに越えた状況の中で業務に取り組んでいることだろう。

 思うに「1日が25時間あれば」「いや、26時間あれば」「3時間の睡眠でも大丈夫なら、もっと多くの人々を助けられるのに」「おなかさえ空かなければ、(食事は返上で)もっと働けるのに・・・」そんな風に考えていると思う。

 

極限状態の中で人はいかに行動すべきか・・・

私の大叔父はノモンハン事件で敵中に強行着陸し戦隊長を救助した。また80歳を過ぎた後、クリークに落ちた老女を自ら飛び込んで救助し、佐賀県警から表彰された。そして私自身、阪神淡路大震災を経験し、揺れが収まった直後、腰が抜けた状態から気力を振り絞り、真っ暗な中、近所にあった実家に駆け付けた。

 

世の中には、自分の意識が向いている相手だけを大切にする人(意識が向いてない相手には無礼な態度を取る)がいる一方で、公私を問わず全てを大切にする人がいる。

ドスは典型的な後者だったのだと思う。

 


ハクソーリッジの上に立つドス(当時)


1995年、再びハクソーリッジの上に立つドス(浦添市・當義弘氏撮影との事)


嘉数リッジから、激しい対戦車戦闘で破壊された嘉数集落を挟んで見る、ハクソーリッジとドス・ポイント(2020/03/16撮影)


勲章を授与された際のドス