レスリング主審の思い出(2020/07/17)

FacebookにUP(2017/07/17)

レスリングの試合の主審②
当時の仲間に会う・・って凄いですね。それだけで、思い出せなかった事が次々と思い出されました。以下、思いだした内容も含めて記述します。

我々の引退後、西高の柔道場を会場にした試合だった。
主審は、井上先生(育英)からの依頼だった。
井上先生の休憩時間の間、代わりにやってほしい・・という内容だった。
「藤原先生(顧問)の許可は取ったんですか?」と聞くと、「俺が頼んだのだから、何も気にしなくて良い。胸を張ってやれ!」みたいなことを言われた。
「タバコを吸う時間も必要やしな。」井上先生は笑いながら、そんなことも言った。
当時、井上先生には、何かと声を掛けて頂いていた。個人的には、松下や立花の陰に隠れて、長年、日の目を見なかったことに対して、同情してくれていたのだと今でも思っている。
インターハイ出場が決まってから、いろんな人の態度が180度、変わったが、井上先生はそれ以前から、しばしば声を掛けてくれていた。
井上先生からの依頼だったので、何としてもやり通さねば・・・と考えた。ある意味、必死だった。
主審の依頼が来た時のプレッシャーは相当なものだったが、時々、先輩達がやっていた思い出もあり、順番だと考え、引き受けることにした。
やってみると意外にすんなり事が運んだ。
味を占めた井上先生から、午後?翌日?、もう一度やってくれ・・・と頼まれる。もちろん、即答でOKする。
主審は軽~中量級の比較的重要でない試合だった。
休み時間に、西高の多くの生徒、先生が見に来ていた。藤原先生が見に来た記憶はない。
付き合う前の彼女が、私が主審をしている姿を物陰から見ていた・・と後に語っていた。
今、改めて考えると、我がレスリング人生のハイライトだったとも思う。引退後だったが、井上先生が華を持たせてくれたのではないだろうか。