粘土場と煙突(20200817)

明治初期に撮影された舞子海岸と現在の比較。
撮影は舞子砲台跡付近から・・・
昔、舞子駅浜側のマクドナルドがあった場所・・・と言う方がわかりやすいか。

舞子砲台跡付近から舞子延命地蔵の前あたりまで、現在ではマンション群となっているが、その昔は旅館街だった。
戦前はかなりの盛況ぶりだったらしい。

たしか小学校3年の頃だったと思う。
同級生に、この旅館街の、最後の一軒となった旅館の娘さんが居た。西隣は既にボーリング場となっており、ボーリング場のエントランスで遊んだ思い出がある。
ボーリングブームが去った後、周囲は次々とマンションに建て替えられて行ったが、最後までその旅館は残ってたように記憶している。

さらに西に行くとプールがあった。かなり冷たいプールで足も届かない深さだったが、ここで水泳を習った思い出がある。結局、泳げるようにならず、息を止めて潜るようになってしまった。

 


旅館の客なのだろう。浴衣姿の若者・・・
当時の砂浜は100mほど沖まであったようだ。
集落の手前が東川。


延命地蔵は中央の三角屋根の民家、やや右手辺りだろうか。右の石垣が舞子砲台跡。
延命地蔵は正面の松林の先になる。


現在の状況・・・
砂浜はほとんど消滅している。
小学校の頃はもっとひどかったように思う。


こうしてみると、瓦工場のあった付近まで、よく見通せるのがよくわかる。


明治初期の写真を詳しく見ると、白壁の三角屋根の建物が2棟見えるように思うが、あながち間違いではないかもしれない。