今年の終戦特番(20200818)

今年も終戦特番が組まれる時期が来た。今年の録画は予定も含めて・・・

綾瀬はるか 戦争を聞く」
「母と暮らせば」
あゝひめゆりの塔
渡辺恒雄 戦争と政治〜戦後日本の自画像〜」
「証言と映像でつづる原爆投下・全記録」
「忘れられた戦後補償」
「#あちこちのすずさん」
「あとかたの街 ~12歳の少女が見た戦争~」
「Akiko's Piano 被爆したピアノが奏でる和音」
「サヘルの旅~痛みと生きるということ」
「原子の力を解放せよ~戦争に翻弄された核物理学者たち~ 」
アウシュビッツ 死者たちの告白」
「戦争童画集」

 さて、これらの録画を視聴するのは、毎年のことながら時間を割くのも大変で、他に本も読みたいし・・・実に体力勝負と言える。正直、僕は映画は一日2本までしか観れない。気分が悪くなるのだ。

・・・が、幸いなことに??これら終戦特番の録画を、全てじっくりと見入るわけではない。「母と暮らせば」や「あゝひめゆりの塔」のように、あぁ・・こりゃぁダメだな・・・と思う番組は早送りか、飛ばし観で済ませている。

ダメだな・・・と思ってしまう理由の一つに「演技や演出の過剰さ」がある。

叫んだり泣いたり・・・で、戦争の悲惨さを表現しようとしているのだろうが、恐らくそれは普段、戦争や紛争のことを考えない日常で暮らしている人々が、想像を巡らせて創作された悲惨さなのだと思う。

そんな中、今年も熱を感じた番組がいくつかあった。

まずは「#あちこちのすずさん」・エピソード「終戦の年の盆踊り」

そして 「サヘルの旅~痛みと生きるということ」・・・である。

特に「サヘルの旅」は強烈で、心理学的にも深いものがあった。

番組は、ディレクターの語りによって、サヘルの2013年に初めてイランの出身地に里帰りするシーンから始まり、育ての親であるフローラさんとの日常、来日当時のエピソードを交えながら、バングラディシュの孤児施設・シングルマザーの暮らす施設の訪問、イラクの孤児施設、そしてISに蹂躙された少数部族の未亡人たちが暮らす施設への訪問・・・へと展開して行く。

 

孤児施設関係では子供たちに笑顔で出迎えられ、別れの際はその人なつっこさに涙しながらの旅であったが、実際にストリートチルドレン達が暮らす現場では、対処法がわからず混乱、自分の無力さに涙するサヘルであった。

(※ストリートチルドレン達は施設の子供達と異なり、眼光鋭く、野生の人間に近い感じを受けた)

(※ある意味、野生のオオカミと対峙するような感じに見えた)

 サヘルはこれまで、里親となってくれた母親のフローラさんに対して、罪悪感を感じていた。フローラさんはサヘルと養子縁組を行うために、あえて(無理やり)避妊手術を受け(当時のイランでは子供をも授かれないことが里親の条件だった)、また、心理学士の道を捨て、家族との縁を断ち、母国を捨て、サヘルを養女にした。

このことが、あまりにサヘルの 

この壮絶な反省を涙ながらに語るサヘルは、バングラディシュの母子家庭施設の母親たちを元気付けるどころか、自分が励まされ癒されていることに気付き始める。

母親たちに「今日からあなたは(私達の)家族の一員よ」と言われ、互いに涙・涙・・・である。

しかし、通訳さんもサヘルの半生を通訳するのは感情が入って大変だろう。

 

かつてのサヘルの敵国、イラク

クルド人自治区の難民キャンプ。NGOの施設に間借りをしているイラン人一家を訪ねる。(ここではサヘルは母国語が通じた)

 

ISと戦いうためにあえて母国イランを捨て、クルド人兵士となったイラン人の青年とその家族。イラン人青年はISとの戦いの最中に白血病を患い、彼を助けるために彼の両親、妹を含めた家族全員が故郷イランを捨て、難民となった。

彼は生きているだけで治療費がかさみ、家族をどん底に貶めたことを後悔している。生きることの意義を見失っていた。家族も同様だったが、しかし、白血病に苦しむ彼を見捨てたり、責めたりはしない。

サヘルは、かつて自分自身が生きる意義を見失っていたことを話る。もちろん母フローラさんが故国や家族を捨てて自分を養女としたことも。

するとその青年の妹が心情を吐露し始める。それに対してサヘルは言葉が見つからず、ただ彼女を抱きしめるのみ。

ところが、似たような境遇の人々が互いに心情を吐露することで、癒しの瞬間が発生することにサヘルは気付く。ちょうど、モモ(momo;ドイツの作家ミヒャエル・エンデによる児童文学の主人公)の能力と同じである。

そしてミッションは更にハードとなって行く。何だか、自分自身に鞭打ってる感じにも見えた。

 

 

 

 

2013年、イラン・ホラムシャハル
2019年2月、バングラディシュ
2019年10月、かつての敵国イラククルド人自治区アルビル
ヤジディ教徒キャンプの施設
「多くの人々が来て、私達の声を世界に伝えると言って帰って行くが、一向に状況は改善しない。」

 

その時、サヘルは人に初めて話をする体験を語り始めた。12歳の時、イランの母親の里に出向いた時、親戚の男性から性的暴力を受けたという

一同、顔色が変わる・・・

「そんな私が、どんな風に人生を生きたらいいのか(これまで悩んで来た)」「皆さんの話を世界に伝えさせて下さい。」

「出会わなきゃならない人がたくさんいた。」
同じ境遇の人々の話を聞くことが癒しになることを学んだ。
そして次のステップとして、女優業など、メディアの注目を集める立場にある彼女は、自分が行動(発信)をする立場にあることに気付く。