本日はひろさちや著「仏教とキリスト教―どう違うか50のQ&A」の完読と「仏教の釈迦・キリスト教のイエス」の再読。何度か再読を繰り返せば、そのうちに思考構造が整理出来ると思う。
今のところ、この2大宗教を比較しながら理解するのは、やや困難である。しかし、たどり着くところは同じではないか?当時の人々が何を求めていたのか?
それは原始的「社会規範の維持」だったのか?はたまた、単純に「死」「変えることのできない定め」「苦痛」の回避だけだろうか?
バラモン教、ユダヤ教、それぞれの発祥や、現在、世界的に加速している「無宗教性」にヒントがあるかもしれない。
今年は「タテ社会日本」「母性原理社会日本」「空気を読む」をキーワードに、いろんなことが開花して行った年であるが、その一方でコロナ禍から始まった流れ
→ウィルス・生物→死→チベットの死者の書→仏教・・の系統と、キリスト教由来の流れが、最終的に磯さんのFbでのUP・・
「9月11日【函館忘備録03】日本最古の正教会『函館ハリストス教会』」
によって、仏教徒とキリスト教が結びついた年でもある。
このキリスト教の流れを逆に追って行くと・・・
・「自分で考えろ」「さぁどうする」(2020/08/04)安藤忠雄
・悟り(2020/07/19)悟りと俯瞰の発見
・ただ一撃にかける(2020/07/14)
・炎のランナー(2020/07/11)
・池江璃花子は潜在意識からのメッセージを受け取ったのか(2020/07/04)
・求めよされば与えられん話・その2(2020/06/12)
・求めよされば与えられん話・その1(2020/06/11)
・祈り(2020/05/12)
・デズモンド・T・ドスのこと(2020/05/11)
最終的には、沖縄戦(Twitter)→沖縄行、に開始点が有るとは、驚きである。
さて、今年はたまたまこんな風に「キリスト教」のキーワードにヒントを得た年であったが、突然に我が宗教ブームが訪れたというわけでもない。
高校卒業後の3月「三ノ宮センター街事件」(1982年)
「第1次宗教紛争」(1984年・1991年)、「第2次宗教紛争」(1996年)
・「三ノ宮センター街事件」(1982年)
FbにもUPしたが、バイトの帰りに三ノ宮センター街で宗教団体に声を掛けられ、のこのこと集会所へと着いて行き、論破して帰った・・・得意の倫理社会と理工系の知識が活用された事例。
・「第1次宗教紛争」(1984年)
当時、地元の同級生の中に某有名宗教団体の信者が数名存在し、また、大学内その他、至る所に勧誘の手があり、それら勧誘員との問答。
彼らの言い分の特徴は「信じていれば良いことがある(金持ちになれる、恋愛が成就する、有名企業に就職できる・・などなど)」「お祈りをすれば願いが叶うGive-and-Take型」そしてその根拠は「先祖の霊が守ってくれる」「(偉大なる)教祖様が言ったことだから正しい」の一点張り・・・だった。
そんな彼らに対し僕は「真理は自分の手でつかみ取ってこそ意味がある。」と主張。その返答は「もし自分の考えが間違っていたらどうする?取り返しがつかない。教祖様が正しい方向へ導いてくれる方が確実である。」
1991年には、職場の同僚だった新興宗教団体の夫婦に、新入社員1名が引っ掛かり、その彼から内幕を聞くことができた。「お布施を積めば金がどこからともなく降って来る」「薬は毒」「病気は無菌室で治す(お布施が必要)」「月1回、乗り合わせで某所にある本山へ」
・「第2次宗教紛争」(1996年)
「仏教とキリスト教―どう違うか50のQ&A」「仏教の釈迦・キリスト教のイエス」
「第2次宗教紛争」(1996年)の際に購入。相手方の説得に使用した。本当の仏教と、歪んだ日本の仏教が解説してある。
歪んでいたとしても、日本流のしきたりとしては詳しく記述してあり、お葬式の際に参考にさせてもらっている。
映画の公開は1994年・・・それに先んじて購入。「中道」を意識するようになったのはこの頃から。映画もブッダ・ストーリーの部分は好きである。
購入は1991年頃だったか?
「死とは?」「脳死とは?」が世間で議論された頃だった。