思い出の土石流事故(2021/07/09)

熱海・伊豆山で発生した土石流災害は、河口から2km以上も離れた山間に造成された「盛土」が崩壊し、海まで一気に流れ下った(走って・・・)点に特徴がある。この災害の報道を見た時、実家前の2級河川で発生した事故・災害を2件思い出した。共に小中学校の頃の話である。

【泥が一気に流れ下る】
あれは中3(1978年)の秋頃の出来事ではなかったかと思う。
山田川(2級河川)の上流にある汚泥貯池が決壊し、大量の粘土質の泥が海にまで到達。河川敷で作業していた作業員数名が亡くなるという事故があった。作業員1名の遺体だけがなかなか見つからず、遺体は数日後に西舞子7丁目7付近の護岸側で発見された。
今のところこの件をネットで調べてみるもヒットしてないが、同級生諸氏には、この件を記憶されている方もいるかもしれない。
その日は快晴で、たしか土曜日だったと思う。通学路を下校時、海が見える高台に来た時、海が茶色に染まっていた。
よく見ると台風の時などの増水時によくあるように、河口付近から半円を描く状態で海が茶色になっている。にわか雨があったでもなく、これは妙だな・・・?と異変を感じた。
急いで高台の階段を下って山田川の土井出河原橋の袂へ行くと、そこには異様な光景が広がっていた。
川幅一杯に粘土を溶かしたような液体がゆっくりと流れ下っている。試しに石を投げてみると、輪っかが形を変えずにそのまま流れて行く・・・
大急ぎで帰宅し、自転車で山田川を遡行する。
すると、西脇のバッティングセンター付近では護岸を越えて道にまで泥が溢れていた。
たしかその日の神戸新聞の夕刊は大見出しで事故が報じられていた記憶がある。山田川上流の造成地にあった砂利の洗浄汚泥を貯留しているダムが決壊した・・・というような内容であった。
神戸市立図書館では神戸新聞記事のアーカイブが閲覧可能だから、調べてみればわかるかと思う。
今回、初めて国土地理院の航空写真で当時の状況を調べてみた。
確たるものは無いのだが、1979年の写真には造成地の大きな泥貯めが写っている。仮にここが決壊したとして、山田川の上流に到達するには造成地を縦断する必要があるのだが・・・

岸辺のアルバム
山田川での大事件としてもうひとつ。
同級生・H君宅の近くの山田川の護岸が台風の増水で崩れ、橋のたもと(東北側)の家々が大きく傾いた件。これも神戸新聞の地方欄に写真入りで大きく掲載された。
ドラマ「岸辺のアルバム」(1977年)のモデルにもなり、多数の家屋が流された1974年の多摩川水害に似た状況だったので、非常に印象に残っている。
小学校高学年~中学頃だった記憶はあるが、この件に関しては神戸中央図書館の「神戸新聞マイクロフィルム」で記事の存在を確認済み。

 

話は少し変わるが、事故から少なくとも43年が経過している。これを両親らの太平洋戦争の思い出と重ねると、昭和63年頃に思い出している感覚なのだろう。

 

f:id:skihakuba2drnobo:20210709174445j:plain1979年の造成地。巨大な泥貯めはこれぐらいしか見当たらない。もしこれが決壊したのであれば造成地を横切って、写真右下方向へ流れ下る必要があり、些か難ありというところ。

f:id:skihakuba2drnobo:20210709174449j:plainあくまでも「イメージ」・・・(別府の坊主地獄の写真を記憶に合うように加工)

f:id:skihakuba2drnobo:20210709174455j:plainこの付近では泥が堤防を越えて道にまで流れ出していた。当時の堤防は黒い部分。

f:id:skihakuba2drnobo:20210709174459j:plainこちらは護岸決壊した場所。傾いてしまい建て直された住宅も、年月により再び建て直されたようだ。