真夏から真冬、そして真冬から真夏へ(2021/07/16)

2002年、スキーの長年の相方であったグループ会社のSAK氏に誘われ、初めてNewZealandへスキーに行った。当時、海外旅行は4回目。もちろん海外スキーは初である。バックカントリー・スキーも未だで、この時のNZでのスキー(ヘリスキー含む)が、2003シーズンの山スキーデビューへと繋がる、我が人生に於いてかなり重要なターニングポイントだった。もちろん、英会話も全くダメだった。

到着初日の2002年8月11日は「海外での体調管理」という側面で忘れがたい日となった。それまでの僕の海外旅行経験といえば、グアム(1996年)、モンゴル(2000年・2001年)である。そもそも2回のモンゴル渡航が一般常識で考える「旅行」というよりは「不毛の地での調査」に近いものだったから、人の生活圏であるスキー場へ行くNZ渡航をやや甘く考えていたのかもしれない。いや、現実には次々と起こる事象をクリアして行くのに精いっぱいで、体調管理が疎かになってしまったのだった。

まずは出発前、スキーとブーツ、ウェアを含む荷物のパッキングが難航した。当時は受託手荷物の最大重量は24kgだったように思うが、当然のこと、日本は真夏で南半球のNZは真冬である。衣類は夏冬両方を準備する必要があった。仮に冬→夏への移動であれば現地到着後に脱げば良いが、冬の衣類を着て真夏の国内を移動はできない。加えてスキー用具である。ゲレンデ用ウェア、ゲレンデ用スキー(6kg)とブーツ(4kg)をスキー専用のオールインワンバッグにパッキングし、ハードアタッシュケースに冬の衣類とフィルムカメラ、ビデオカメラを・・・すると総重量は31kgほどになってしまった。

実はここで曲者だったのがスキー専用のオールインワンバッグだった。国内のスキー旅行では便利な代物だが、こいつが単体で4~5kgほどの重量があり、それにハードアタッシュケース(5.5kg)を含むと、それだけで10kgオーバーである。

流石に、スキーとブーツ・ストック、スキーウェアは宅配で空港まで送付したものの、泣く泣く、転がすことが可能なハードアタッシュケースを諦めて、肩から下げる布バックに荷物を押し込んでの出発となった。炎天下、重い荷を担いで関空まで移動は辛かった。

NZへのフライトは自宅を出てから8時間後の21時台であった。そしてエコノミークラスで11時間半、缶詰となり早朝のオークランドへ到着。入国審査、荷物受取り、離れた国内線へ移動し受付・乗換え、約1時間のフライトでクイーンズタウンまで。

ホテルに着いたのが自宅を出てから、時差3時間を含んだ20時間後の現地15時頃だったと記憶している。

後々は、キャスター付きの布製バッグ、山スキー用のウェアを普段に着回し、山スキー&兼用ブーツ、デジカメで写真と動画、機内持ち込み用にバックバック・・・で、かなりの軽量化を図ることになった。

 

 

 

 

 

 


3日目、リマーカブルズ。


2日目、ワナカ観光。


2日目、ワナカ観光。


2日目、ワナカ空港(戦闘機博物館)


4日目、ハリスマウンテン・ヘリスキー


5日目、グレノーキー(OneDay乗馬)