新旧滑りのスタイル(2021/09/17)

この動画を観てスキーに対する考えが変わった。
チーム・デサントアルペンレーニング動画からの抜粋である。時は何と1987年・・・今から34年も前の滑りになる。

それにしても上手い・・・現在の僕よりも遥かに上手であるし、仮に今、僕がこの滑りをしたなら、周囲は「どうしたの?スキーの神様でも降りて来たの?」なんて驚くやら冷やかされるやら・・・だと思う。

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この滑り、細かく静止画で確認すると、確かに旧来の技術で滑っているが、全体的な雰囲気は、現代のスキートレンドに謙遜無い滑りと言える。

問題は34年前の用具(スキー)だ。もちろんこの動画のモデルは相当な実力者であったはずだが、この方が卓越した技術で滑ったから実現できたトップレベルの滑りなのか?
実はこの滑りの動画の後に、可倒式ポールを滑る動画が納められている。それはいかにも旧来の滑り方で、撮影が34年前というのが理解できるものである。
恐らく、この動画はトレーニングのために撮影されたものであるから、ある程度、制約された条件の中で、偶然にもこのような滑りとなったのだろう。

このようなところから、僕は以下のような結論に至った。

古今東西、いろんなスキー技術論が存在し、何かにつけ用具の進化と同様、最新のものが素晴らしいとされるわけだが、僕はこの動画を観て「単にそう滑った結果」ではないのか?と感じた。

そしてスキー根幹の技術、つまり「※枯れたスキー」で滑るならば、用具の違いによる調整は必要としても、一つの技術で、似たような滑りのスタイルが結果として表れて来るのではないか・・・

とはいえ、そこにはもう一つ大切な要素があると思う。それはこのモデルスキーヤーの滑りが圧倒的に洗練されているという点だ。つまり、上手いスキーヤーの条件とは「どのようなトレンドで滑っているか?」ではなく、圧倒的に「スキー捌きが洗練されている」のが共通項であり、重要だと気付かされた。

※「枯れたスキー」
「枯れた芸」「枯淡の境地」などになぞらえての造語

そして、以前、私のスキーの師匠「太谷多喜男」さんに言われた言葉を思い出しました。「スキーを極めるというのは雪に身を任せることだ。自分からは動かず、雪の力をあるがままに受け止め、来たら引き、離れたら伸ばして、逆らわない…」という言葉です。大谷さんはこうも言っておられました。「水に浮かぶ木の葉を良く見てごらん。岩があればその脇を、川幅が狭ければ速く、広ければ悠然と流れて行くだろう…自分が枯れ葉になった心境でスキーが出来るようになれば一人前だ。無駄な力を使わずに川の流れと一体になることだ…」これを「枯れたスキー」と名付けておられました。

 

Schi Heil !!