合気道の理論(2021/10/17)

合気道の崩し・・・その運動の合理性もさることながら、一種の「ステルス」であるという結論に至った。

突然、床が抜けたり、ダッシュをした瞬間に足を引っかけて転んだり、突然、重いものを持たされたり、重いはずのものが実はメチャクチャ軽かったり・・・そんな感じということだ。本人は、なぜそうなったのか?が全くわからない。

こんなことがあった、大学一年の時、レスリング部の同級生が弾みで?合気道部に入部させられて?しまう・・・なんて事件?があった。
この時、彼は、いとも簡単に崩されてしまい、何が何だか訳がわからないままに入部してしまったのだった。彼は近畿大会3位、日体大学長杯4位の実力者である。その後、特にゴタゴタもなく自然に退部できたようだったが(笑)
彼の話を聞いて、僕自身、不思議でならなかったが、その結論がこのほどようやく出た・・・というわけである。

思うに、ヒクソン・グレイシーは試合の中で、一部、合気道の技術を応用していたのでは?と思う(※彼が知って取り入れていた・・・という意味ではなく)
実際にそうでなくても、このように理解することで、僕はヒクソンの強さの一部が説明できる気がした。

一時期、芦原会館合気道化が言われていた時期があったが、確かに動きの合理性の追求もあるだろうが、今にして思えば方向性は全く違った。

また、これまでよく言われて来たような「気」を操る・・・といったものでもない。恐らく「気」を操る・・・的な表現しか、社会が思いつかなかったのだろう。

ここまで来るとは思わなんだ。

コロナ禍におけるエビデンス無視の議論に関する事例として、かつて日本のスキー界に起こった「自然で楽なスキー論」と「ナンバ」のまとめサイトの修復し始めたところから発展し、「身体の内方向への筋力の使い方」「腰の滑らせ・・・」と流れて「合気道」まで行ってしまったのだった。

しかし、どうすれば合気道のような技術が身に付けられるのだろう?

僕自身、二十代前半までは、レスリング、柔道、空手・・・と、全て力と力のぶつかり合いで来たわけだが、ところが、そんな中にあっても・・・いやそんな力のぶつかり合いだったからこそ? 時折、合気道のようなことが、実は起こってた気はする。

そしてこの「域」だが、合気道一般有段者であれば、だいたい操れるようである。

同級生に合気道をやっている方がいるが、これまで技について一度も聞くことができなかった。同窓会に出ると、当時、誰がどの女子を好きだったか?とか、そんな話題ばかりなので、今度会う時はしっかりと聞いてみよう。

youtu.be

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