TOK師匠→合気道への長い旅(2021/10/19)

【TOK師匠→合気道→「笑い」への長い旅 】

「Letスキー」と巡り会ったのが21年前である。当時、知り合ったばかりのスキー仲間のKeiさんから、八方尾根SSのスキー教師がコアなサイトを運営していると教えられたのが2000年の2月末。兵庫県のシーズンも残りあとわずかとなり、4シーズン目に突入していた1級検定の、切羽詰まっていた状況を打破したい一心で、大胆にもその運営主であるTOK師匠にメールをしたのだった。

当時はホームページというものが社会にようやく浸透し始めたころであり、まだSNSなども無い時代。サイトの主催者にメールで問い合わせをするというのは、ごく普通に手紙で問い合わせをするような・・・それぐらいの敷居の高さがまだ残っていたように思う。

ところが当時、僕はノモンハン現地調査の必要性から、全く面識の無い高齢者(70~80代)それも気難しい?帝国陸軍の参戦経験者の方に、突然、手紙を送りつける・・・といったことを幾度となく繰り返しており、そういった点で、全くは面識のないTOK師匠にメールするのは然程の労力ではなかった。

ただし、文章の方は短文ながら周到に考えている。

それでも、後々に返事が来れば良いな・・・程度に考えていたところ、即日のメール返信には驚かされたのだった。
後に、この時のことをTOK師匠に訪ねたところ、関西の雪無し県である兵庫県(だと誤解してた)のスキーヤーからの突然のメールに驚かされた・・・とのことである。

この度の気付きの原点・スタートはTOK師匠の「Let」という考え方、そして師匠の言葉「考える力」「気付き」、また、師匠自身の「生きざま」(実践)によるものと言えないか?

前回も書いたが、今回の気付きの流れは、コロナ禍におけるエビデンス無視の議論に関する好事例として、かつて日本の基礎スキー界で起こった「自然で楽なスキー論」それに関連した「ナンバ」に対するまとめサイト「プルーク暴言」の修復し始めたところに端を発している。

そこから「身体の内方向への筋力の使い方」「腰の滑らせ・・・」と流れて「合気道」まで行ってしまったのだった。
(※最終的には10/21「改めて脱力」「笑いと脱力」まで)

・先日から秋の登山トレーニングを開始したところだが、身体の内方向への筋力の使い方を模索しながら歩いている。そこに「蹴る」という動作と違うものが見えて来る。

・武道ネタの突き・蹴り・・、今改めて「引き」の重要さを痛感している次第。
余談だが、野球の清原和博がボクシングの竹原慎二とスパーリングをする動画がUPされている。清原和博のパンチはそれはそれで凄く、僕など到底及ばないのだが、彼は「出す」ことしか知らないように見えた。

合気道・・・掴む・握るではなかった。

・先日からペンの握り方も変えてみたところ・・・

これらは全て9月上旬から順に連携しており、その気付きの根底にTOK師匠の「Let」という考え方があった・・・と考えられる。

改めて考えると「新スキー論」と同様、コロナ禍がきっかけとなっているのは驚きだ。コロナ禍が無ければ、ここまで至らなかったということか・・・。TOK師匠は、気付きの原点に「プラトーの状態」があると言ったが、長年のプラトーがコロナ禍の様々な事象により開眼・ブレイクスルーしたということだろう。

もちろん、合気道に対する気付きが終着点ではない。人生の複雑な事象の交差の一つである。

(2021/10/21)
「笑い」と「セロトニン

 

Schi Heil !!