笑いと脱力(2021/10/21)

緊張しないこと→「笑い」長らく忘れていた。

資格試験を受けていた頃は、試験中にとにかく意識をしたものだ。特に第一種電気工事士など、実技試験の局面で意識をしていた。

意識が出来ると、脳内の血流の循環がスッーっと改善するような、そんな感じになった。指先もスムーズに動くようになる。セロトニンが関係しているようだ。

セロトニンの継続放出については座禅にて訓練。
実生活の全ての側面にて訓練可能である。

次回の山トレで試してみよう。

(2021/10/23)
毎時44~45分、明るい・白馬の蒼空、ピントを外す、目の周囲の弛緩、マインドフルネスではだめ。
ミスは無くならない、面白い事を見つける視点(人が座っているだけで面白い)
食後はベルトを外す。ドライアイ涙・下向く。
突きは「出し」より「引き」

就寝中の目の周囲の弛緩が難しい。

 

「悟りってどんな状態?」悟った50人に心理学的手法で詳しく聞いてみた結果とは 

インタビューした50人がどんな人だったのかというと、平均年齢53歳。PNSE(悟り、覚醒)を最初に体験した平均年齢は41歳だという。全員が白人で、男性が78%。いろいろな手を使って女性PNSE体験者にコンタクトを試みたが、うまくいかなかったらしい。またほとんどの人が米国在住で、英語のネイティブスピーカー。約半数が何らかの宗教を信じているが、残りの半数は信じていない。ほとんどの人が何らかの形の瞑想を実践しているが、14%の人は瞑想をしたことがないという。つまりインタビューされたのは、割と一般的な米国の白人男性が中心ということになる。熱心な宗教家ではない。

インタビューした結果、PNSEには初期段階から、より高度な段階まで、いろいろなレベルがあることが分かった。ただこの論文の中では「段階」「レベル」という表現は使われておらず、「ロケーション」という表現になっている。初期段階よりも高度な段階のほうが優れているというな印象を読者に与えたくないからだという。悟っている人が偉くて、そうでない人がダメだ、というわけではないということだ。ただ日本語では「ロケーション」とするより「段階」としたほうが分かりやすいと思うので、この記事の中ではあえて「段階」と呼ぶことにした。事実、PNSEの最終段階になれば、感情がほとんどなくなるので、それが本当に幸せな状態なのかどうかは意見が分かれるところ。Martin博士も「最終段階の直前くらいが、人間として一番幸せな状態かもしれない」と語っている。

さて傾向としては、通常の意識からだんだんと変化し、最終段階では自我の意識がなくなり、雑念や感情、自己効力感が消える方向に進んでいくという。自己効力感とは、自分には自分の人生をコントロールする力があると感じることで、一般的には自己効力感が高いほど幸福感を味わうと言われている。ところがPNSEの最終段階になると、自己効力感さえが消えていくという。人生はただ目の前を流れていくだけで、それをどうこうしようという思いがなくなっていくからだそうだ。

それではPNSE(悟り、覚醒)とは、具体的にはどういう意識の状態なのだろうか。インタビューを重ねるにつれ、PNSEに到達した人たちは、自我の感覚、思考、感情、認知、記憶に関して、普通の意識状態の人と大きく異なることが分かってきたという。1つ1つ詳しく見ていこう。

▲拡張する自我、消滅する自我
PNSEに到達した人の最も共通した体験は、自我の感覚の変化だという。通常の意識の人が感じる「自分」とはまったく「異なる自分」を感じるのだという。「異なる自分」は、どの宗教を信じるか、もしくは信じないかによって異なってくる。例えば仏教を信じる人は「自分」という感覚が「広い空間いっぱいに拡大した」という表現を使うことが多い。一方でキリスト教徒は「神との一体化」「イエスとの一体化」「精霊との一体化」などという表現を使うという。いずれにせよ、「自分」が自分の身体だけに収まっているのではなく、より大きな存在であるとい感覚なんだそうだ。

この自我の認識の変化は70%の人には突然訪れ、30%の人には数日間から数ヶ月間かけて段階的に訪れたという。宗教を持たない人の多くは、この突然の自我の認識の変化に戸惑い、何かの精神病にかかったのではないかと勘違いするらしい。実際に多くの人が精神科医を訪れたが問題解決にはならなかったとしている。

PNSEの段階によって自我の感覚は異なるようで、初期の段階では自我は拡張し、あらゆるものに繋がっている感覚だそうだ。一方でPNSEの最終段階になると、自我という感覚は完全に消滅するという。その途中の段階では、自我は残っており、ときどきその自我に引き戻されるらしい。

50人の被験者のうち、9人がこういった自我の感覚の段階的変化を感じたという。うち7人は時間をかけた変化を感じ、2人はあっと言う間に自我が拡大し消滅していくのを感じたという。

このPNSEの中での段階の変化に伴い、世界観にも変化が生じる。キリスト教徒の場合、PNSEの初期の段階では「神、イエス、精霊」といったものが中心の世界観が正しいという信念が強まるが、最後の段階に近づけば別の信念に移行するのだそうだ。宗教を持たないスピリチュアル系の人たちは、最初の段階では「神」ではなく「すべてとつながったエネルギー」「意識」などという表現をベースにした信念を持つが、段階が進むにつれ別の信念に移行する。

別の信念とは、どういうものなのだろうか。論文では「自分の経験の真実に、より確信を持つようになる」と表現している。どういう意味なのかはよくわからないが、「神」や「仏」「意識」「大いなるもの」などといった外部のものではなく、自分自身がそうしたものと融合してしまい、「神」や「仏」「意識」「おおいなるもの」という認識がなくなる、というような感覚なのかもしれない。

▲減少し、消滅する思考
自我の認識の変化に加え、PNSEに入った多くの人が気づくのが、思考の量の変化だ。ほとんどの人が、思考が大幅に減少したと答えている。思考が起こる場合でも、思考は目の前を流れていって、それにとらわれることが少なくなったという。

この場合の「思考」とは、自分自身に関する雑念のことで、通常の人生を送る上で必要な思考による問題解決能力が減少したわけではない。PNSEの被験者と話していても、通常の人と同様に会話が成立するという。事実、PNSEの被験者に聞くと、雑念が減少したことで大事な思考に集中できるので、問題解決能力はかえって増強されたと答えている。

PNSEの最初の段階では、ときどき雑念に引き込まれることがある。もちろん、気づくとまた雑然のない状態にすぐに戻ることができるという。ところがPNSEの段階が進めば、雑念に引き込まれる頻度は徐々に減少し、最終段階に入ると雑念は一切起こらなくなるという。

▲減少するネガティブな感情
感情も思考と同様にPNSEに入ると減少し、PNSEの段階が進めば進むほど減少していくという。

PNSEの初期の段階の人は、ポジティブな感情からネガティブな感情までを感じることがあると答えている。ただ感情を認識しても、その感情を引きずることは少ないという。

またPNSEの段階が進むにつれて、ネガティブな感情は減少し、ポジティブな感情だけが残るようになるようだ。

さらにPNSEの最終段階では、一切の感情を感じなくなるという。ただその直前の段階では、非常に強い「思いやり」「喜び」「愛情」が混ざったような1つの感情になるという。Martin博士が「最終段階の直前が人間にとって一番幸せでは」と語るのは、この感情に常に包まれている状態だからだ。

多くの人はPNSEの初期の段階から徐々にこの「一番幸せな段階」までに進むが、ごく一部の人は直接この段階に着地し、その後すぐに感情のない段階まで移行したと答えている。

PNSEに入った人は、感情を引きずらなくなるが、心の平穏を大きく乱す外部要因に遭遇し続けることがある。

何人かはこの心の平穏を乱す外部要因を排除しようとする。例えば配偶者が心の平穏を乱すことに気づき、離婚した人が何人かいた。

一方で、平穏を乱す要因を排除せずに、心が乱れなくなるまで、そのままの生活を続けた人もいる。心が乱れなくなるまでどれくらいの期間がかかったかをたずねたところ、一番短かったのが2週間。一番長かったのが7年間だった。心が乱れなくなるまでに時間がかかった人は、幾つもの外部要因が複雑に絡み合ったケースの場合が多く、1つ1つの要因を順番に乗り越えていくのに時間がかかるようだ。

また心を乱す外部要因を持ち続ける人もいる。PNSEの最終段階に到達した人でも外部要因を排除せずに持ち続けている人がいるが、そうした人には心の乱れはなく、わずかに身体的に違和感を感じる程度だという。

被験者50人の中には夫婦がそろってPNSEに入っているカップルが4組いた。1組の夫婦は、心を乱す外部要因があることで、かえってPNSEの先の段階にまで進めた、と答えている。ただ何年たってもその中心となる外部要因を乗り越えることができず、結局離婚したようだ。

また外部要因に何年も悩まされた結果、PNSEの状態から普通の意識状態に戻ったケースが2件あった。普通の状態に戻っても2週間から4週間でPNSEに戻ったが、また同じ外部要因の中に入ればPNSEから押し戻されたと答えている。

▲外部刺激に対する反応の変化
認知も、思考や感情同様にPNSEに入ると変化する。そして思考、感情同様にPNSEの段階を進むにつれさらに変化していくようだ。

PNSEに入った人とそうでない人の認知のあり方で、大きくことなるのは2点。1つは「今」への集中、もう1つは、外部刺激に対する心の反応の仕方だ。

PNSEに入ると、雑念が減少していくので、過去を思い出したり、未来を思い悩んだりしなくなり、その結果、今、目の前にある事象に集中するようになる。

雑念がない分、感覚が鋭くなり、視覚だけでなく、聴覚や嗅覚、皮膚感覚など5感を総動員して、今の目の前の事象を深く味わおうとするようになるという。

PNSEの初期段階では、その後の段階に比べて、過去や未来の思考に引きずり込まれることが多いらしい。後ろの段階になると、目の前の体験にしっかりと根付くようになり、最終段階では、ほぼ完全に「今」に没入し、3次元のものが2次元に見え、世界が止まったように感じるらしい。

認知に関するもう一つの大きな変化は、外部刺激に対する心の反応の変化だ。

自動車を運転中に、別の車が目の前で急にレーン変更してきたとき、PNSEの初期段階の人は一瞬イラっとして脊髄反射してしまうが、すぐに通常の平穏な心に戻るという。PNSEに入る前までは、イラッとした状態が長引いていた、と答えている。被験者に自己分析をしてもらうと、自我の感覚が拡大したため、ちょっとしたことでバカにされたと傷つかなくなったからではないかと答えたという。

一方で、PNSEのより深い段階に達している人の外部刺激に対する反応は大きく異なる。穏やかな気候のときに大学のキャンパスでインタビューしているときのこと。何人かの女子学生が芝生の上で水着姿で日向ぼっこをしていた。被験者(男性)が水着姿の女子学生をちらっと見たので、Martin博士が、頭の中で何が起こっているのかを被験者にたずねた。そうすると被験者は、自分が女子学生の方向をときどき見ることは分かっているが、その後、心の中に何も変化がないと答えたという。自己分析してもらうと、女子学生を無意識に見るのは、生殖に関する深いレベルに組み込まれた反応ではないだろうかと答えたという。

PNSEの中間から後ろの段階の何人かの被験者は、こうした認知プロセスのレベルの1つ1つの反応を認識できると答えている。生殖に関する本能のような反応から、身体的、思考的、感情的な反応まで、認知のレベルを順に認識できて、自分の反応がどのレベルから来ているのかが分かるという。一方でPNSEの初期段階の被験者は、認知プロセスを細分化して認識できず、1つの反応として捉えているようだ。

またPNSEの段階が進めば進むほど、外部刺激に対する反応を自分でコントロールできるようになるという。そして最終段階になれば外部刺激に反応することがほとんどなくなるので、反応をコントロールする必要もなくなる。外部刺激にただ気づくという反応になるらしい。

▲減少する記憶
被験者全員が、過去の記憶はもはや重要ではなくなったと答えている。自分の過去の記憶に興味がなくなると同時に、ほかの人の過去のストーリーにも興味がなくなる。映画などの趣味も変わるという。

雑念が減少するに伴って、過去の出来事をふと思い出すことも少なくなるようだ。何人かは記憶障害になったのではないかと思うそうだが、実際に過去の出来事について質問すると、ほとんどの被験者は問題なく思い出せるようだ。

特にPNSEの最終段階では、短期、中期の記憶を思い出すのが困難になると語る被験者が多いという。

▲PNSEには誰でも入れる
さて悟った人の意識状態がどういうものなのかは分かった。Martin博士は次に、通常意識の人が何をすればPNSEに入ることができるのかを調べた。その結果、「一般的に思われているほどPNSEに入るのは難しくない。自分に合ったアクティビティさえ見つけることができれば、多くの人がPNSEに入れる」という結論になったという。「PNSEに入ることよりも、入ったあとで、新しい意識と自分の人生の折り合いをつけることの方が、よほど大変だ」と同博士は指摘する。

これは僕もそう思う。一般的には、臨死体験をするか、座禅や瞑想などの修行を長年繰り返さなければならない、と信じられている。でも僕がこれまで「この人はPNSEに入っているな」と思う人のほとんどは、臨死体験をしたわけでもなく、座禅の長年の実践者でもない。

ヨガやサーフィンの愛好者はもちろんのこと、水泳やランニングの愛好者の中にもPNSEの人がいる。また反対に、そうしたことを一切していない人でも、PNSEに入っている人もいる。

特に若い人の間には、欠乏の心ではなく、満たされた心で活動している人が増えてきているように思う。

どうせなら、満たされた心の人が増えてくれれば、世の中はより楽しくなるように思う。

Google社内で一番人気の課外プログラムはマインドフルネスで、そのプログラムを開発したChade Meng-Tan氏は、悟った人を100万人作りたい、と語っているという。またTransTech Conferenceの主催者たちは、テクノロジーを使えば2030年までに、心が満たされた人の数を10億人に増やせるはずだと語っている。

常に欠乏した意識から、常に幸福に満たされた意識へ。人類は今、大きな変化の扉の前に立っているのかもしれない。                                           ・・・・・湯川鶴章

 

Schi Heil !!