慣性モーメントの活用(2021/10/29)

動くでもなく、動かされるでもなく、自動的に操られるが如く運動が継続して行く状態がある・・・これを何と命名すべきか?かなり長い間、悩んで来た。

先日来から僕のトレンドとなっている「身体の内方向への筋力の使い方」、そして先日気付いた、合気道・システマの理念についても同様である。
導かれる(Guid)でもなく、補助(Assist)でもなく、中動態・・・自力で動く「能動(Active)」と同時に、他力で動かされる「受動(Passive)」でもある。
もののはずみ(Momentum of things)・・・

考えればきりが無いのだが、ここに至り一つの結論に至った。それは、この・・とある状態にある時の、身体という物体に働く慣性力に付いてである。これをTOK師匠の「Do、Let」とは別次元に「Inertia・慣性力の活用」として定義することにした。

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【DoとLet~中庸】
スキーは他のスポーツとは異なり、例えばテニスや卓球、短距離走などのように、身体能力を最大限に活用するものではない。この考え方でスキーを始めると、わりと初心者のうちに頭打ち現象が発生してしまう。

特に筋力があり、スポーツ万能な初心者ほど陥りやすく、これがスキー指導上の問題となっていた。TOK師匠(故・佐々木徳雄氏)も、長年この指導上の問題について苦慮していたという。

この問題は、スキーが「斜面の上から滑り降りる」スポーツであり、運動に必要なエネルギーを人間自身が発生させるのではなく、重力など外部に依存する割合が高いことから生じていた。

そこで、TOK師匠は、雪面に対し筋力で仕掛ける操作を「Do」とし、その対極に、新たに「外力を受動的に活用」する「Let」を提唱した。TOK師匠のスキー理論は、それまで筋力操作一辺倒だったスキー指導法に「Let・受動」という考え方を持込み、Do~Letの間で、スキー・雪面・スキーヤーの間の最適な状態を作り出すことがスキーの真髄・・・と定義した点で革新的だった。

しかし、事は単純ではない。これは僕自身が経験して来た問題でもあるわけだが、実はスキーがスポーツである以上、一旦、「筋力操作」がしみ込んでしまったスキーヤーに対極の「Let」を理解させるのはかなり困難な仕事である。

恐らく「Let」の感覚は、TOK師匠が提唱するまでもなく、多くのエキスパートスキーヤーが、長年の修練の過程で自主的につかみ取っていたものであろう。とはいえ、長年の修練の先に、いつ訪れるともわからないこの境地をどうやって理解させるか?
そこからTOK師匠の「フィーリング・スキー」が派生したのだと僕は理解している。

 

【引く・・・という動作】
さて、TOK師匠の「引く引くターン」に代表されるように、大雑把には「押す」が「Do」で、「引く」が「Let」ということになる・・・が、必ずしもそうではない。

実は「引く」が単純に「Let」か?というとそうでもなく、筋力を使ったオーバーアクションは全て「Do」の範疇になり、NGである。「Let」には、外力をキャッチする感覚が不可欠で、これが「Letスキー」を理解する上で重要なポイントになっている。

・・・が、表現上「引く」という行為は、随意・不随意はともかく、人間の動作であることに違いはなく、「Do」としての引く・・・なのか、「Let」としての引くなのか?実に曖昧であった。これは「蹴る」という動作でも同じだ。蹴る動作も状況に応じて「伸ばす」と表現することで「Let」の範疇となる。そして、「随意=する・Do」「不随意=られる・Let」・・・という表現も無理があった。

ここの「この違い」について、長年、解決の糸口が見出だせなかった。

【プルーク暴言B】010号「勝手にスキーが動く」を記述したのが2014年のことである。この時、「自然で楽な・・・」の最大の勘違いは、スキーの角付けを行うために「倒す」という自発的操作(要するにDo)を提唱してしまったことにある・・・と書いた。

エッジングにより「圧」を受け止めたスキーは、角付けを開放することでニュートラルを経て、次のターンポジションまで移動(走る・射出)する。これにより自動的に次のターンの角付けが始まる。

書いた当時、この一連の流れを説明する何かが欠けており、そこに多少ながらも筋力を伴なった操作が伴なう事に対して、TOK師匠の「クロッシング」という言葉で代用していた。この「クロッシング」に大きく作用しているのが、スキー本体、そして身体に働く慣性モーメント(Inertia・慣性力)の活用だった。

 

【中庸の基準をどこに求めるか?】
スキーヤーが重力に引っ張られる力」そこから派生する「スキーが進もうとする力」(Inertia・慣性力)に対し、スキーヤーはこの慣性力を活用すべく、スキーの動きを阻害する要素を排除し、適切な運動補助を行い、スキーを最適な状態に維持する・・・こ慣性力の活用が上手く決まった結果が「中庸」である。外部環境が変われば調整も変化し、得られる結果も変わるということだ。そこに「中庸」の意味がある。

「最適な状態」で得られる結果は様々で、それはタイムかもしれないし、スキーヤーの描く弧の丸さ、トリックを決める・・だったりするかもしれない。
それぞれのスキーヤーの求める結果に対し「ピント合わせ・周波数合わせ」を行うことが肝要といえる。

ここでいう「スキーが進もうとする力」(Inertia・慣性力)は、長年、スキー雑誌などで「スキーの推進力を活用した・・」とか「スキーの推進力を妨げない・・」とか表現されて来たように思う。現在でもネットやYouTubeで検索してもかなりの数がヒットする。ところが、この「推進力」を「慣性力」に置き換えると文章がしっくり来ない。
恐らくスキーで言うところの「推進力」は、「慣性力」に上記の調整を加え、得られた中庸の、各それぞれのた結果だからであろう。この辺りはもうしばらく考えてみようと思う。

 

Schi Heil !!