定期佐賀行・冬前(2022/12/12)

今回の定期佐賀行は、納車後、ひと通りの仕様が完了したプロボックスを使っての初の大規模作戦となった。12/9の21時に自宅を出発。帰宅は12/12の朝4時過ぎのロングドライブであった。

2022/12/09(金)
2107、出発。

2022/12/109(土)
仮眠を繰り返しながら、夜明けを美東SAの手前、防府市にて向かえる。
0715、美東SA、6回目の休憩。意外に小さく驚いた。
0808、関門海峡大橋通過。
0835、遠賀川鉄橋通過(SAは直方)
0857、福岡ICより福岡都市高速
0925、前原ICにて降りる。糸島市内?で少し迷う。
0930、電車から見える平野を走る。
0937、海岸線に出る。
1010、虹ノ松原へ。
1014、虹ノ松原駅
1024、虹ノ松原を出る。
1035、唐津市庁舎前。
1108、寺浦着で記念撮影。
1118、お墓に到着。状況確認の後、腹ごしらえを行い、準備。
1155、準備完了。その時、松本明さんが来る。
明さん、墓を指さして治三郎さんの話をし始めた(手紙で問い合わせていたからだろうか?)どこに祖父等が住んでいたのか?から話が始まり、角に住んでいた事を伝えると、墓を指さして「自分が子供の頃は、まだ元気にしていた。」との事。幟なんかをやっていた。幟を作る仕事をしていたのか?立石の戸数は当時と比べて3~4軒ほどしか減ってない。興福寺の住職は3年ほど前に亡くなった。今は納所の慈恩寺(ジュウオンジ?)の住職が来ている。納骨堂が出来た。
1200、墓の草刈り開始。夏に済ませていたので、かなり楽だった。
1226、草刈りは一旦終了。水洗浄をやろうとしたが、水道は出なかったので断念。1256、出発。ガソリンを入れに行く。656.9kmにて30L。燃費は17km/L。
1334、まいずる9に握り寿司と刺身。パレアの駐車場に移動すると、駐車場は有料となっていた。漁港の駐車場に移動するが、ここもなぜか?満車。仕方がないので1353、公民館の駐車場にて昼食。
14時、追い立てられるように出る。興福寺へ。
1414、興福寺着。納骨堂の工事をしていた。午前中にお坊さんはいるみたい。
14時半、山口米男さん宅。石田には佐賀ナンバーの車が多数。米男さん方も佐賀ナンバー。玄関から訪ねると若い男性。お孫さんが出てきた。農作業をしているという。声をかけた。米男さんは古い耕運機を軽トラに乗せる作業。奥さんは畑。奥さんは「先生は元気にされてますか?」教え子である。
1450、外津湾。震洋基地の何か?と思ったのは、単に地元の漁民。夏場に樹木が生い茂り、そのように見えた。
1550、パレアにて入浴。
1640、漁港駐車場に落ち着く。疲れてそのまま寝る。
18時半頃に起床。満車だったのは何?空いていた。魚山人の送迎を見かける。
再び就寝。

2022/12/11(日)
0525、起床。湯を沸かしてアールグレイカロリーメイト
漁協駐車場は釣りの渡しの発着所になっていた。
0620、パレア駐車場に移動。
0730、セブンイレブンへ。缶コーヒーとフレンチトースト。
0800、山口長治の墓探し。地元のおばさん2名、ウォーキング中、聞くも「照雄さんが知らんなら私らにはわからない。あの方は何でもご存じ・・」
0751、準備中にケアマネより電話「月曜日に便秘薬を薬局に取りに行って欲しい」
0842、興福寺へ。納骨堂、大仏さんを乗せる工事中。受付に女性が居て、連絡先など。和尚さんと電話で事情を話する。
0930、まいずる9へ。サーモン握り、バッテラ。
1130まで仮眠。
1206、パレア駐車場へ移動。時間調整。
1254、漁港駐車場移動。
1300、中島照雄さん方。安行さんが出てこられた。照雄さんは2日前に藤棚の剪定で汗冷えして風邪をひいたとか。玄関で少し話をして退出。山口長治の墓について、2つある納骨堂の奥の左側から入ってその先に・・・との事。
1316、朝の納骨堂のところ。軽登山靴とチャップスを装備して茂みに入る。おおよそ西さんの墓所という感じ(道の下辺りの方)1330、終了。
1338、再び漁港駐車場。圭一郎にカーナビから電話。みやき町到着はナビで1555と伝える。
1346、原発道路とのT字路まで上がり、集落背景に記念撮影。
唐津バイパスより多久へ。この方向で走るのは2009年ぶり。
多久を過ぎたところから高速道へ。高速入り口がわかりにくい。2008年の時を少し思い出す。
1458、小部PAにてトイレ、時間調整。
1522、東脊振・神埼にて高速を降りる。
1532、グッディ前通過。
1537、東尾・白壁小学校前通過。
1543、圭一郎宅前。クルマ談義。お菓子のお土産を頂く。
1615、退出の後、千栗のエネオスにて給油。出口でうまく出れない。この辺りから変だったのかも。
1618、カーナビにて佐賀競馬場経由で鳥栖市街へ。なんか変な具合だった。
国道を道すがら、何か懐かしいものを感じる。ブリジストンサイクルの工場前通過。暑い夏の日に何度か通過していた。それは新鳥栖駅周辺でもあった。
1638、鳥栖より九州自動車道。ここも多久に似て慣れないと難しい。
1706、古賀SAにてお土産を頂く。あっという間に雷雨。会社の土産購入。
雨は時々激しく降る。バックモニターが雨の際に効果有り。かなり良好。
1817、関門海峡大橋通過。
1857、美東SAにてカロリーメイトの夕食。
1934、出発。(※2009年の休憩場所も美東SAだったと帰宅後に判明)
2112、広島IC通過。融雪剤散布で50km/h規制。車がザラザラ。
2150~0046、三原市久井町山中野・高坂PAにて就寝。

2022/12/12(月)○有給
0046、三原市・高坂PAにて起床。
0257、山陽道を西姫路で降りれず(気づかず)東姫路で降りる。ところが下道に降りてしまい播但道から外れてしまう。
0306、花田ICにて播但道へ。入り口が難しい。
その後、加古川バイパスへの進入で、またしても下道に降りてしまう。大塩の国道を東へ。
0329、高砂西ICへ。実はここは西行きのみだった。そのまま明幹にて大蔵谷まで。
0403、明石駅前通過。ナビの予定到着時刻と、然程、変わらず。
0411、朝霧駅南のエネオスにて給油。16.9km/L。
洗車して撥水剤塗布。途中で撥水剤が切れてしまった。
0442、帰宅。マンション前に停車。そのまま玄関に荷物を運び込み。その後、停車位置へ。

 

今回の大規模作戦で思い出されるのが、2008年GWのアトレー号による佐賀行である。2007年7月の納車後、2007シーズン・2008シーズンを終えた直後、まだ満2年に届かない新車の時期だった。この時は、父方の玄海町、父方従兄の住む神崎町、母方のみやき町を経由し、大学で縁のある大分の同級生を訪ねるという、超ロングドライブだった。

そしてこの大ドライブは、振り返れば免許を取って直ぐの夏休みの佐賀行(1982年)は、実家で購入直後のカローラDXだったことに回帰する。

さて2008年のGW、父の最後の里帰り・親戚廻りを、僕の車で実施する・・・という話が浮上したものの、新型インフルエンザの流行と重なり父は里帰りを断念。僕が単独で行くことになった。また、懸案として、7年ほどか経過し連絡がつかなくなった母方の大叔父の現状を確認に行く必要もあった。

単独で親戚廻りを行うのは大事であるが、当時、僕は大叔父へのインタビューで、1999・2000年と一人で佐賀に行った伏線があり、また、この頃は頻繁に母方の叔母・伯母も神戸に来てたので、単独で親戚を廻ることに対する違和感はなかった。
また何より、大学が大分だった経緯もあり、見知らぬ土地に出向くような緊張感もなかった。
また、かなりの大ドライブながら、2000年より白馬(片道約490km)も定期的にこなしていたので長距離ドライブに対する距離的・時間的感覚もあった。

そもそも両親の郷里・佐賀を車で走るということ自体、幼少期より定期的に里帰りする両親に同行しており、また、免許取得直後の初の大トライブが父との里帰りだったりと、それなりの地理感はあった。

、また、平成九年のお墓の建立の際にも現地に行ってたので、地理感はあった。とは言っても、やや平成九年のお墓の建立の時から当時で既に11年が経過していたので、下調べは念入りに行なったのは言うまでもない。

 

プロボックスの良かった点】
完全なスキー仕様では無かったが、良好な感触を得ることができた。

①燃費と走行性能
 基本17.5km/L。少なくとも17.0km/Lは維持しており、航続距離は700km以上にも及ぶ。給油無しで走り切れるのは大きい。高速道路でのクルージングも安定。アトレーのように限界で走ってる感が無い。

②レカロシート
 純正シートも良いのだが、さすがにレカロは素晴らしく、このドライブで腰痛が回復したほどだった。

③バックモニター
 当初、バックモニター型ドラレコの使い勝手は、やや癖があるように感じたが、特に雨天では効果的と判明(※追記;後車のライトがハイビームでも眩しくない。また、バックモニターとしても使用可能だとわかる。)

④カーナビ3D表示
 レカロ取付けで東大阪に行った際も有効だったが、特に、複雑な福岡都市高速を迷わずに行けた点は素晴らしかった。

⑤寝心地最高である。

⑥ハイビームはめちゃくちゃ明るい。

⑦ETC、ICOCAは便利。
 ETCはともかく、SAではICOCAが重宝した。

【悪かった点】

①妙に肩がこる。
 →原因不明?

②取付けのカーテンレールがうまく頭に当たる位置
 →取外し予定(追記;スキー仕様のスチールラックを固定することに成功する。)

③前後の移動困難
 その後、簡単に前後移動可能となる。

④カーナビの案内
 帰りの県内で道迷いする。疲れもあったかもしれないが、基本的にナビ任せにしていたことに問題あり。ナビに頼り切るのでは無く、自分の目的のSA、ICぐらいは頭に入れておくこと。