それは突然のことだった。10/14(月)祝、16時過ぎ、車検から戻って来て、車庫に車を停め、車を降りた時、グルン…と世界が回った。「あれおかしいな?」それでも夏用タイヤを室内に運び込み、書類などを整理。横になったら天井がグルグル回っている。目を開けていると気分が悪く、また、吐き気もするので、目を閉じるしか対処法が無い。
脱水症状かもしれないと考え、水を飲んでそのまま横になり、気が付くと24時。やはり目を開けると目眩は続いていた。それも状況は悪くなる一方で、次第に四つ這いでも転んでしまう状況となる。吐き気もひどい…
これは、頸椎損傷の際に頭を強く打った、その影響だろうか?いずれにしても事が事なので観念し、救急車を呼ぶことにした。そこから数時間かけて入院のための道具を一式準備。戻ってこれない時に備え、重要書類と実印を、PCの前に置いておく。
10/15(火)0510、救急に電話。救急搬送の要請。両親の件で、何度か救急車は経験しているが、自分が運ばれるのは人生初。同伴者として、激しい揺れに驚かされたものだったが、寝台の上に寝てる分には振動は少なく、快適だった。
病院にて眩暈止め、吐き気止めの点滴、MRI撮影を行い、脳に損傷は無いとの損段となり一安心。眼球が左右に動く「眼球振盪・がんきゅうしんとう」という症状あり。
一方、右耳周辺に炎症あり…とのこと。これには思い当たる点あり。10/09(水)右耳と右扁桃腺付近の痛みあり。おたふく風邪?かなと思った。その痛みは次第に広がり、左高等部~頭頂部にかけてのザワザワした感じなど、違和感が消えることは無かった。2000年7月、軽い帯状疱疹が右こめかみ付近にできた時…にも似ている感じ。
今回の緊急入院は、連休明けの火曜日に、内科で帯状疱疹などを確認してもらおうと考えていた矢先のことだった。
10/16(水)病院に耳鼻科が無いので、いったん退院し、掛かり付けの耳鼻科を受診することにする。ただ、吐き気止めの効果はあったものの、眩暈止めの効果は今ひとつ。
何とか転ばず立っていられる感じ…それでも退院しない限り前には進まないので退院の決断となる。
タクシーで自宅に戻り、午後から妹がタクシー回送で迎えに来てくれ、掛かり付けの耳鼻科を受診。診断は「突発性難聴」結果として平行感覚を失い、眼球振盪発生。視覚も奪われているのだという。耳鼻科で処方された薬の方が、よく効く感じ。
木曜日の朝、右耳が腫れているのを確認。どうやらこれは本格的に帯状疱疹ではないかと考えるようになる。
明けた10/18(金)は頸椎骨折の検診日だったが予定変更、朝一番で耳鼻科を再受診。晴れて?帯状疱疹の診断となったのである。薬の服用開始は、耳の腫れを確認してから30時間程度の経過で、処置としては早い方だと思う。
内部に何個か水ぶくれがあり、それが決定打となった。
【2000年の帯状疱疹経験】
24年前の出来事で、記憶も怪しくはなっているのだが、それは大屋スキー場での夏のプラスノーキャンプ(講師;豊野、白河、伊藤)出発の朝、2000年7月8日(土)だったと思う。
右こめかみに幅10mm×縦5mm程度の小さな水ぶくれ群が出来ていた。そして右後頭部はリンパ腺のゴロリとした腫れ…これはいったい?ギョッとしてことを覚えている。何となく身体も熱っぽい。それでも仲間達を誘った手前、行かないわけにもいかず、苦渋の決断でキャンプに出発したのだった。
それから2日間のキャンプで身体を酷使?し、明けた月曜日に近所の内科を受診。医師は「何でしょうね?虫刺されか、かぶれでしょうか?」処方されたのが、かゆみ止めの軟膏だったと記憶している。
そしてしばらく軟膏を塗り続けるも解消せず、近くの総合病院を受診。医師は「何かわからないので、皮膚科の専門医を紹介します。」
そして、会社の帰りだったが、隣町の皮膚科を受診。医師は「帯状疱疹です。」と言ってのけた。そして処方された薬を3日ほど飲むと、あっけなく完治。
これが僕の帯状疱疹経験である。
水ぶくれを発症というのか?わからないが、異変を発見したのが土日で対応が遅れ、医者を3医院たらい回しになっての確定だったが、薬は速攻で効いて、完治したのだった。この間、約10日ほど経過したように思う。
当時はまだ今ほど世間に帯状疱疹が認知されておらず、結果、このようなことになったのではないかと思う。珍しい小さな帯状疱疹だったし、若かったこともあり大事には至らなかったが、現在の年齢だったら危なかったかもしれない。
【父の帯状疱疹経験】
父の場合は腰痛で整形外科に通院している時のことだった。内股に神経痛のような痛みがあるということで、ついでに診てもらい、湿布を処方してもらったが改善せず、数日間が経過した時、湿布を張っていた場所に集中して水ぶくれが発生していた。
これはてっきり湿布薬にかぶれたのだと思い、父に直ぐに整形外科を再受診するように伝える。
その数日後、実家に行くと全身に水ぶくれの症状…歩行も困難となっていた。
驚いて知り合いの医師にメールで父がこんな症状だと伝えるも、明確な答えは戻って来ず、再びの受診を勧める。
その後、整形外科から紹介状をもらい総合病院へ。そこで帯状疱疹と診断。全身の水ぶくれは直ぐに収まったものの、内股の部分には黒く変色した箇所が残り、痛みのために退職。75歳にして現役引退となった。
正直、自分が帯状疱疹を経験していながら、父の病状を見抜けなかったのは、前段階の痛みを整形外科的なものとする先入観。湿布によるかぶれ。そして、整形外科にこだわり続けた結果だと思う。
【今回の発症】
正直、なかなか難しいと思う。水ぶくれができて初めて帯状疱疹と判断できるのではないか?ただ、2000年の経験や父の経験があったため、早めの動きにつながったように思う。