足の爪、そのあと・・・

GWの薬師、黒部五郎の4日間は足の爪の痛みに耐えながらの山スキー。今回使用したのは、自前のブーツの中で最も軽量のスカルパF1だった。実はこのスカルパF1、これまでも度々痛みに関するトラブルが発生しているが、やはり山岳スキー競技・専用ブーツということでインナーも非常に薄く、それが長時間歩行時のトラブルの原因となっているのかもしれない。
 
しかし、これまでに発生したトラブルというのは、いずれも、外くるぶしやカカト回りだった。つま先に痛みを感じたのは今回が初めてである。昨年の戸倉峠~三室山ワンデイ往復、15時間連続という超ハードな山行で快調だったことを考えると、全くもって今回の爪の痛みは原因不明なのである。
 
朝一番は良いのだが、10時を過ぎたぐらいからブーツがタイトに感じられ始め、つま先が窮屈になり始める。1日目、アップダウンを繰り返しながらの寺地山とその尾根。2日目の薬師峠までの緩い下りの歩き・・・など、微妙なつま先下がりのシール歩行で、爪がシェルと干渉して痛みが発生した。特に親指、人差し指、中指がひどい状態だった。更に薬師岳では飲料水の制限というオマケまで付いたので、過去10シーズンの山スキー歴の中でもワースト3に入る辛い山行だったように思う。
 
帰宅直後、爪の根元がグラグラするような感じがあったものの、数日するとそれも落ち着いた。その代り、両足の親指、左足の中指、右足の人差し指の4ヶ所の爪が、まるで紫色のマニキュアを塗ったように物の見事に変色してしまった。
 
こんなにひどい状態になるまで歩き通した精神力は、我ながら凄まじいものがあったと感じるが、3日目の黒部五郎からは、つま先を丸めることで、ずいぶん痛みが和らいだ。また、ブーツを履き直すと一時的に回復することもわかり、これらに助けられたという感もある。まぁ、歩かないと下山できないのだから、歩き続けるしか選択肢は無かった。
 
さて、そんな苦しい山行ではあったが、それ以上にオートルートの景色は素晴らしく、心癒すに十分過ぎる程だった・・・これはゆるぎのない事実だ。
そして、下山後に行ういくつかの事柄を思い浮かべながら歩くことで、ずいぶんと気持ちが軽くなったのも、これまた事実である。簡単な話、下山後に温泉にどっぷりと浸かりたい・・・とか、発泡酒ではなく缶ビールを買って飲みたい・・・などといった事を常に連想しながら歩き続けたという訳だ。
 
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そんな中、最も心待ちにしていたのは、帰宅後、スパゲッティとワインの昼食を取りながら映画を楽しむ・・・というものだった。映画は邦画・・・題名は「花のあと」である。
 
花のあと」という映画・・・「たそがれ清兵衛」に始まった藤沢周平シリーズの第6番目の作品だ。しかし、それにしてもなぜこの映画だったのか?この映画のポイントにもなっている桜の花が、今回、各地で見た満開の桜と重なって見えたから、なのかもしれない・・・。
 
この映画、私見的には名作の部類には入らない作品だと思うのだが、繰り返し見れば見るほど、独特の雰囲気を醸し出す、実に不思議な映画だと思う。
(※追記;この文章を書いてから約1年になるが、その間に数局の放送局により再放送が3回あった。これはある意味、人気作ということではないか?公開当時は人気が無くても、DVDなどの発売により徐々に人気が上がって来る映画もある。「花のあと」はそういう映画なのかもしれない。)
 
公開当時は、芸能界を代表する若手美人女優の北川景子の主演ということで話題をさらったようだが、私はこの「花のあと」を見るまで北川景子という女優をあまり知らなかった。今思えば、先入観無しに見れたのはかえって良かったのかもしれない。
 
その芸能界を代表する若手美人女優が画面に現れた瞬間・・・つまり最初のカットであるが、「これがあの北川景子?!・・・」と我が目を疑った。日本髪が似合わないというか、何とも時代劇には不向きな顔立ちに見えた。レンズ具合やカメラの角度が原因だろうか?何度見直しても北川景子には見えない・・・このシーンはラストの花見のシーンと同じ時に撮影されたと判断されるが、なぜ、このような映りの悪いカットを一番最初に使ったのか?長い間、謎であった。(※この映画の北川景子の顔の変化には驚かされる。)
 
しかし、原作「花のあと」を読んでみると、なるほど、これはもしかすると監督の演出では?と思えた。事実、そうなのかもしれない。原作で描かれる主人公「以登」は決して美貌の持ち主としては描かれていない・・・。
 
<細面の輪郭は母親から譲りうけたものの、目尻が上がった目と大きめの口は父親に似て、せっかくの色白の顔立ちを損じている・・・。>
 
細面の小顔に目尻が上がった目、そして目立つ口・・・原作を読んで、なぜプロデューサーが北川景子を選んだのか?が理解できる気がした。 とはいえ、最初のカットを見た時点で原作など全く知らず、この主人公と映画のラストまで付き合って行かねばならない・・・と考えると、見るのが少し憂鬱に思えた程であった。
 
また、台詞の言い回しの単調さや、序盤に描かれている試合シーンの殺陣など、これまでの藤沢周平シリーズの中でも最も下位だと思えた。そして、序盤から1時間を過ぎる附近までの展開も、あまりに冗長過ぎた。
台詞も少なく、映像美中心のカットの連続は、北川景子という女優の人気にあやかっただけの、武家社会の過剰な美化と偏った回顧趣味を思わせるものだと感じた。この前半の1時間で居眠りをしたり、見るのを諦めた方も多いのではないか? 実は私も居眠りをしかけていた・・・海坂藩に事件が起きるまでは・・・。
 
主人公の以登には許婚(いいなずけ)がいた。名を片桐才助(さいすけ)という。甲本雅裕演じる才助は、食い意地だけは人一倍でだらしが無く、始終ヘラヘラとしており、締りというものが全く感じられない。武士として、また男として見た場合、うだつの上がらない男というわけである。以登を女と侮ることなく全力で試合に臨んだ藩きっての剣士、江口孫四郎とは全く正反対のタイプであった。この関係を現代に例えるなら、孫四郎はさしずめEXILEで、才助は休みの日に自宅でゴロゴロしているサラリーマンのお父さんであろう。
 
しかし、この才助、風体は悪いが沈着冷静、抜け目の無い切れ者であった。ある意味、「男の甲斐性とは何か?」を考えさせられるキャラクター設定であり、これは監督のメッセージではないか?とさえ思う。
 
孫四郎を落とし入れ、切腹に追い込んだ市川亀治郎演じる藤井勘解由(かげゆ)の周辺を、友人と連携しながら徹底的に調べ上げ、不正のシッポを掴むことにより、以登を力強くバックアップして行く。家でゴロゴロしているお父さんは会社でもヘラヘラしていたが、実は見た目とは裏腹に強力なリサーチ力を発揮する敏腕社員だったというわけだ。このあたりの孫四郎と才助の対比・落差を、甲本雅裕はコミカルに演じ切っている。

藤井勘解由シッポを掴むまでの展開は、あっさりと描かれているものの、前半の冗長さから一転、ミステリアスでもあり、グイグイと引き込まれて行く。この中盤からの才助の活躍と甲本雅裕の好演により、この映画の印象が360度・・・いや、180度変わってしまう。
 
そしてラスト、物語は以登と藤井勘解由の決闘へと展開して行く・・・。
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 さて、映画では、以登は才助の長所に気付き、自らの態度を変えて行くわけだが、原作では才助の長所に以登が直接、触れることはない。むしろ品の無い男性として書かれており、才助が先立つまで、生涯、ガミガミと言い続けたことを少しばかり後悔している。映画では、この原作の設定を上手く逆手に取ってアレンジしているように思う。
 
また、映画で描かれている以登の態度の変化については、原作に付加されたオリジナルストーリーであり、“現代の男女の恋愛感”という重要なテーマを表現するものだといえよう。
 
それにしても、これほどまでに主役の台詞の少なく、脇役のキャラクターの方が濃い作品が他にあるだろうか?以登の友人である津勢を演じる佐藤めぐみの現代風お喋りや、おふさ演じる谷川清美の台詞・・・。また、夫がある身でありながら藤井勘解由と不貞をはたらく加世を演じる伊藤歩の妖艶さなど、ある意味、主役より出しゃばっている。しかし、これらは全て原作の雰囲気を壊さないよう、良く考え抜かれている演出ではないのか?
 
一見、無表情とも取れる北川景子の演技も、原作に忠実に以登の心理状態を表現出来ているように思う。この微かな表現力は、他の彼女の出演作品と照らし合わせてみても、役にはまった決まり役といないだろうか。彼女独特の抑揚の無い台詞の言い回しも、武家の息女(そくじょ)を演じるにはかえって好都合だったはずだ。
 
そう考えると、冗長過ぎると感じていた前半も、細かな心理描写と監督の配慮が感じられるカットの連続であり、隙が無い・・・。これらが企画段階から意図的に組み合わされていたとしたら・・・プロデューサー及び監督の手腕には、ただただ感嘆するのみである。
 
残念なのは序盤に描かれている以登と孫四郎との試合での殺陣であろう。北川景子の殺陣は、相手が女性と油断していたとは言え、藩きっての道場のナンバー2、3の剣士を、手も無く打ち破るような殺陣には見えない。剣道のみならず格闘技をやった者が見れば不自然さは一目瞭然である。無駄な打ち合いはカットしてしまうか、映像効果を使うべきだったのではないか?
 
反面、ラストの殺陣では北川景子の努力を認めたい・・・以登は剣士とはいえ女性である。屈強な男性4名と命を掛けて切り合う切迫感。負傷し追い詰められながらも、なお、立ち上がる親譲りの剣士としての本能。ギリギリで藤井勘解由を倒した後の解ける緊張・・・逆に、これらが上手く表現されていたように思う。
 
圧巻なのは殺陣の結末だろう。ハリウッド映画のパターンであれば、窮地に追い込まれたヒロイン・以登を、こっそり影で見守っていた才助が、ギリギリの所で助ける・・・はず・・・であるが、そうではない。ヒロイン自身が自らの秘策で窮地を切り開く。これにはあっと言わされた。

また、ラストの殺陣の後、全てを見すかし以登を包み込むように登場する才助・・・。ラストの殺陣はこのシーンへと繋がる前振りでは?とさえ思えてしまう。
そして以登は決して涙を流さない。激しい感情のやり取りは一切ないが、グッと来る名シーンである。

ふと気が付けば、映画全編を通して、以登は一度も涙を流していない・・・。これは他の藤沢周平シリーズの中もで異色である。女性剣士が主人公であったり、晩年の主人公が語りを入れながら回顧する手法・・・これは原作の語りの部分を上手く入れている訳だが・・・これらも他の藤沢周平シリーズにはない特徴である。

そしてラスト、一年前に孫四郎の背中を見送った同じ桜並木を、才助の後ろに寄り添うように歩く以登・・・以登が登場した時のカットと別人が演じているのでは?と思える程である。実に印象的で美しいシーンである。

 

それにしても・・・劇場に足を運んで、単調な映画だと感じて終わってしまった方も多かったことであろう。それがこの映画の良くもあり、悪くもある個性なのではないだろうか。