【プルーク暴言B】009号

【プルーク暴言B】009号

プルーク暴言B008号で紹介した「やじろべぇ」だが、極端に広げた両手は別にしても、体軸の使い方や脚部の荷重比率などは、スキー教程の滑りが基本となっている・・・はずだ。

というのも、私自身が指導員研修を受けていないので正確な内容がわからないのである。内容がわからない事をとやかく書くのは悪いことではあるが、おおよそ間違ってないのも事実だろう。

 

【自然で楽なスキー】

カービングスキーの特性を活かすため、「体軸を活用した、角付け操作」で滑るのが、「自然で楽なスキー」の主たる特徴だといえよう。
スクールの知人から聞いた話や、私が過去に受けた講習、また、スキー雑誌やDVD、Web上での記事、そして「カービング革命」という書籍・の内容をまとめると下記のようなポイントがあると思う。

①両足は肩幅に開き、身体はスキーの進行方向に正対したまま、ひねり、外傾、外向、等の動作は一切行なわず、内足のたたみ込みを利用しながら体軸を倒して行く。
②両スキーのエッジング角が体軸の傾きに常に同調するようにする。
③両スキーの荷重比率が、終始5:5となるよう維持する。内足をたたみ込むだけでは、内足の引上げや外足荷重になってしまうので、積極的に内足に乗って行く。
④場合によっては身体をターン内側に内向させる。(スキーの進む先に身体を向ける。)

 

この「自然で楽なスキー」を最も的確に表現しているのが左の写真になる。





もらいもの写真なのだが、実は大きな理由があるので後述します・・・・

連続写真を見てわかるように「自然で楽なスキー」では、モデルの脚部から肩を結ぶ2本の軸が、パラレルに移動しながらターン弧内側に倒れるという特徴が見られる。

 

【2人のボーダー】

この脚部から両肩を結ぶラインを1名のボーダーだと仮定すると、「自然で楽なスキー」というのは、1つの大きな荷物を2名のボーダーが支えながら、同時に滑るものに例えることができる。

この時、大切なのが両脚の荷重配分である。

片足100%荷重で滑るのは、独りのボーダーが全ての荷物を支えるのと同じで負担が大きい。また、2人のボーダーが同調して同じ弧を描くには、荷物の分担が同じであることが望ましい。このような観点から、両脚の荷重比率は5:5が最適だということになる。

といっても、外向傾のポジションを取ったり、腰を外して下肢だけでエッジングして荷重配分5:5にするのはNGである。もちろん、膝下だけを傾けるのも同様だ。

下肢だけでエッジングを行なうとエッジの角(カド)だけが雪面に立ってしまい、スキーのフレックスを活かすことが出来ない。

仮に両脚の荷重配分5:5を実現しても、効率的にたわみを得ることができない滑りはNGである。

また、、段差に立ってスクワットを行なってみれば良くわかるのだが、この時、わざと腰を外して外向傾のポジションを取り、内脚で片足ストレッチをやってみると、どうなるだろう?少しでも外向傾のポジションを取ると、途端に内足に力が入らなくなる。この状態で無理にスクワットを行うと膝を故障する危険性が高まるだろう。
(※)骨格と歩行の原理に関連があると思われる。

このような観点から、荷物は真下で支えるのが一番効率的だというが見えてくる。

また、ターン始動の局面を考えると、2人のボーダーは、実際には肩のラインで連結されているので、先に内側のボーダーが低くなって体軸を倒さなければ、外側のボーダーは体軸を倒すことができない。つまり、ターン出来ない。

このことからもわかるように、内側のボーダーが主導的立場を演じることによって、初めて2名のボーダーは同調してターンすることが可能となる。この、内側のボーダーが置かれている状況を的確に表現した言葉こそが、書籍「カービング革命」の一節にある、「角付け中心で滑るには内足主導型の滑りが適している。」という部分になるだろう。

なお、ひねり、外傾、外向、といった操作を一切行なわなくて良いというのは、欧米人に比べ腰回り柔軟性に乏しい日本人にとって大変有り難い話になるはずだ。

 

【自然で楽なスキーとは何か】

さて、このような「自然で楽なスキー」の定義だが、どこまで実現すれば「自然で楽なスキー」だといえるのだろうか?というのも、ネット上でいくら探しても、上のもらいもの写真以外に「自然で楽なスキー」を表現していると言える写真が見つからないからだ。

 

◆下の写真は、あるWCキーヤーの連続写真から、谷回りと山回りの部分を抜き出して加工したものだ。


山回りでは、なかなか、教授好みの二軸も維持されているし、やじろべぇだし、「自然で楽なスキー」のお手本に使えそうな感じ・・・


しかし、谷回りになると・・・・
「バインシュピール系」になってゐた。


 

◆こちらは、技術選のアスリート化をもたらしたとされる超有名選手の滑りだが・・・


小回りだから?谷回りの局面だが、腰が折れてしまっている。それでも何とか二軸はキープ?


しかし、やはり山回りでは「バインシュピール系」
これでは、教授から小回りやコブの滑りは進歩が無い・・・と怒られるのも無理はない?!


 

◆かつてデモ選を賑わせたスター、藤本進の滑り


雑誌からの抜き出しである。50年近く前の滑りになるだろう。写真の解説では「バインシュピール」ではなく「曲伸系」となっているが、この時、彼が何を考えながら滑っていたのか?我々にはわからない。しかし、似ている・・・・


 

 

【実現不可能な夢の滑り???】

ここであえて藤本進の写真を登場させたのには訳がある。解説では、「曲伸系」とされていたが、そんなことはどうでも良く、50年近く前の滑りと、「自然で楽なスキー」を具現化している有名選手のシルエットが似ていることがわかれば良い。

少なくとも、技術選で「自然で楽なスキー」が具現化されているのはウソであり茶番であり、「自然で楽なスキー」がスキーの基礎にあたるという考えも間違っているということがわかる。

結局、「自然で楽なスキー」が具現化できるのは、ごくごく限られた条件下だけなのだ。

具体的には、整地された緩~中斜面で中低速という条件でなければ、デモンストレーターでさえ「自然で楽なスキー」の具現化は難しい。

技術選の厳しい斜面など、もっての他で、谷回りの一瞬だけである。それも意識してやっているのか?さえ、疑問である。谷回りの一瞬以外は全て「バインシュピール」の延長で滑っている、まやかしの滑りである。

そのあたりのところ、スキー教程ではどのように解釈しているのか?実に興味深い。もし仮に「状況に応じて使い分ける」なんてことになっているならば、裏を返せば、条件が悪い斜面での「バインシュピール」系の有効性が証明されていることになるだろう。

 

【棒立ち滑り】・・・いわゆる手抜きの滑り

ところで、最初に登場させた「自然で楽なスキー」の連続写真であるが、上下動も体幹の捻れもなく、棒立ち状態であることに気付く。結局のところ、自然で楽なスキーというのは、そんな風に滑れなくも無い・・・という、「棒立ち滑り」なのである。もしくは、研究室で考案されたスキーロボットの滑りを再現したものかもしれない。

少し話は逸れるが、ある方のサイトでテレマーク・スキーロボットが紹介されていた。発表の際にはテレマーカーも参加したというが、そのテレマーカーには不評だったという。私もその通りだと思う。

スキーロボットというのは初めから自立している。そのようなロボットが倒れずに斜面を滑ったからと言って、スキーの何が解明されるのだろう?スキー板の滑走理論のモデルであれば、別に人体を模倣しなくても良いはずだ。スキーにしろスノーボードにしろ、人間のバランス感覚が転倒しないよう制御して、初めて滑走が可能なのである。スキーロボットというのは、補助輪を付けた自転車を走らせて、自転車ロボットが出来たと喜んでいるのと同じである。人体の動きを再現したスキーロボットというのであれば、停止時は自立できず、滑走し始めてから安定して自立するようなものでなければならないだろう。

さて、その「棒立ち滑り」だが、スキー教程の位置付けによっては、さしたる問題もなかったように思える。

2007年だったか?私のスキーの恩師である故・佐々木徳雄氏の主宰するFSS(フィーリング・スキースクール)のスタッフ草加氏と、ゲレンデで滑走実験をしたことがあった。

草加氏の考えだが、カービングスキーというのは非常に回転性が良くなっており、ゲレンデであれば、おおよそどんな条件でも、ひと通り曲がってくれる・・・であれば、極力、人間が不要な動作をせず、スキーの回転性だけでどこまで曲がることが可能なのか?ということであった。私も草加氏の考え方が、究極のLet(受動的)スキーだと考え、試してみることにした。

半日ほどの人体実験?の結果であるが、カービングスキーを使えば、ほとんど何もせず、棒立ち状態でも、かなり多様な斜面を滑ることが可能だとわかった。しかし、それはスキーというより、移動のため「流して滑っている」状態に近かったのも事実である。

草加氏の考えとしては、この全てを削ぎ落とした状態から「オプション」を加えて行けば良い・・・ということだった。究極の省エネ、良く言えば白い無地のキャンバスのようなスキーであった。

その後しばらく、私もこの滑りをテーマに滑っていたのだが、ある時、この滑りを撮影した直後に、それを佐々木氏に見られてしまう事態が起きた。佐々木氏はビデオを見るなり「何だよこれ?!」と言って吹き出した・・・

それもそのはず、圧の抑揚なく、何とも無気力で冴えない滑りだったからである。私もそれまで自分の滑りを見ておらず、そのあまりのひどさに、このテーマで追求するのはそこまでとした。何でも度が過ぎるとNGである。

しかし、この白い無地のキャンバスのようなスキーは、今になって考えれば「自然で楽なスキー」の定義に大変似ているように思えるのである。

以上をを踏まえた上で、仮にスキー教程が以下のような技術展開であったならばどうだろう?
(※)「自然で楽なスキー」は、過去の技術を全て否定しているので、以下のような技術展開は無いはずである。

 

【新しい技術展開へ向けて】

イメージ 7

 

つまり、こうである。

元々 「バインシュピール技法」というのは、「滑走性、回転性が悪いスキー」「バランスの保持が難しい革ブーツ」という用具を使い、圧雪の行き届いていない斜面を滑るために考案された技法だった。そのため、スキーヤーが用具の性能を補って、何がしかの操作する必要があった。2014年現在でも、モーグルなど、難斜面でバインシュピール系の滑りが優位にあるのはこのためである。

また、私の経験上、山スキーなどで体験する極度の湿雪(私はこれを重戦車雪と名付けている)では、カービングキーといえども、ゲレンデのような滑り方では全く対処できない。こういった難条件の場合、両足の荷重比率10:0、大きく上下動を使いながら抜重して滑るのが適している。結局、それしか対処法は無い・・・というのが山スキー10年の結論である。つまり、滑走条件が悪ければ悪いほど、バインシュピール系の技術が優位になって来るのである。

このような割り切りができたのは、私自身、ごく最近の事であり、ある意味、カービングスキーでの滑りは「こうでなくてはならない・・・」という束縛・呪縛からの開放であった。

この「バインシュピール系」と反対に位置するのが「自然で楽なスキー」になるだろう。整地された条件の良い斜面で、体力を温存しながら流して滑るのに適しているはずだ。

・・・であれば、日本スキー教程は、 「バインシュピール」系の滑りを過去の遺物と否定するのではなく、また、「自然で楽なスキー」で全ての斜面を克服する・・・という高望みをせず、滑走条件によって柔軟に使い分けるという技術展開にすれば良かったはずだ。

同様に、「自然で楽なスキー」を否定するスキーヤーも、拒絶するだけでなく、このような滑りが可能となった現実を受け入れるべきだったのではないだろうか?

この2種類の考え方が融合した時、本当の意味での「ハイブリッドスキーイング」となったはずである。

 

【今回のまとめ】

①「自然で楽なスキー」の具現化と言いながら、実はほとんど具現化できていないのが実情だった。
②100%「自然で楽なスキー」で滑れるのは、好条件が整っている場合だけである。
③ほとんどのスキーヤーは「バインシュピール系」の技術に依存している。特に、斜面難易度が高いほど、「バインシュピール系」の依存率が高くなる。
④100%「自然で楽なスキー」というのは、私が過去に試した「白い無地のキャンバスのようなスキー」に通じる点がある。
⑤日本スキー教程では「バインシュピール系」技術を過去の遺物と排除せず、「自然で楽なスキー」の対極に位置付け、滑走条件の難易度により使い分ける展開にすべきだった。

 

Schi Heil !!