ワクチン接種2回目の経過(2021/09/18)

1回目と同様、ほとんどズレ無く、症状が出始める。

 

本日、11時、検温36.3℃
12時半、ワクチン接種(ファイザー

帰宅時より1000ダケダ、ゼリードリンクなど。

13時半頃に帰宅。就寝は15時半頃より就寝。

19時半、36.6℃、76拍
接種箇所の筋肉痛、軽いめまい、血圧低下のような感覚、頭が働かない、息苦しさ、喉のイガイガ、各所・脇下の痛み、ムズムズ感、指先が動かない。

22時、葛根湯(液)を飲む。

2021/09/19(日)
6時半、体温37.0℃、80拍。
接種箇所の筋肉痛(腕上げれない)、頭痛、扁桃腺・耳下腺の痛み、息が深い、
脇下~背中の痛み、、ムズムズ感、手首・親指の付け根の関節痛。

 

 

 

絵のうまさ・スキーのうまさ(2021/09/18)

エリザベート-ルイーズ  ヴィジェ-ルブラン

マリーアントワネットのお抱え画家である。当時はまだ女流画家は珍しかったようだが、その卓越した描写力は、単に王妃お抱え画家というだけでなく、なんとなく「勤労夫人」の草分け的存在のようなもの・・と僕は考えている。

当時の画壇では、「女性が歯を見せて笑う自画像」など破廉恥の極みとされ、大変な不評を買ったという・・・そんなところからも、描写に先進性というか信念というか、時代を自力で切り抜けて行った力強さを感じる方である。

14歳で肖像画を描きはじめ、20代で王族の寵愛を受けたエリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン(1755-1842)。30点に及ぶマリー・アントワネット肖像画を制作した後、フランス革命が起きるとすかさず荷造りをし、娘を連れて国を出ました。「ヨーロッパ中の肖像画マーケットを制覇したい」。早くから名声を得、現代的ともいえるキャリア志向をもっていた彼女は、画家としての強い信念と情熱、そして行動力を兼ねそろえていました。気品漂う彼女の作品は、その人物の理想的な姿を生き生きと、そして洗練された筆遣いで描き出しています。


自画像(1790年)
描いているのはマリー・アントワネット


自画像(1800年


ルブランは男性の肖像画も残している。
廃墟の画家として有名な「ユベール・ロベール」



さて、本題はスキー技術に関することなのだが、僕がルブランの作品に注目しているのは、その写実性だ。人間は太古の昔より絵を描いてきた。そしてその描写技術は、新たなる画材開発と呼応しながら進歩していった。そこがまさにスキーと同じところ・・・


ラスコー洞窟壁画(後旧石器時代)約2万年前。


ネオとその妻の肖像(西暦60~79年頃)ボンベイ遺跡より発掘
おどろくなかれ、「陰影」に人類が気付き、白という画材が発明されたのが、実はこの頃だったらしい。


そして現代のCGアート(kimidori)もう写真かCGか判別できない出来栄え・・・


初聖体拝領(1896年)
ピカソ1881年~)15歳の時の作品 ・・・


ピカソといえば、「キュビズム
しかし、基礎画力があっての作品群・・・


 

絵画制作における描写力は、正確に描くための「基礎画力」抜きでは考えられない。これは歌を唄う際の「絶対音感・リズム感」にあたるものだと思う。それがスキーの中の「基礎スキー」というジャンルであり、「枯れたスキー」にそのまま当てはまるものだと考えている。

 

新たな操作・動作が加わった?(2021/09/18)

自然で楽な・・・では、「荷重・角付け・回旋」の回旋(ひねり)を省いたと平川氏。なるほどそうだったか・・・
しかし、楽にはならず、そこには新たな難しさが加わったように思う。

カービングスキーの登場により、スキーはいろんな点で楽になったはずだ。

少し前に、自然で楽な・・・は「手抜きスキーだった」と書いた。現代日本の日常生活・・・「楽に過ごす」のと「健康的に過ごす」は、必ずしも一致しない。

カービングスキーのお陰で楽になったが故、手を抜き過ぎたのが自然で楽な・・・ではなかったのか? それは実験的な側面もあったかもしれないが、教程に反映するまでにディスカッションを繰り返すべきだったのだろう。

自然で楽な・・・「楽」になったはずのスキーであるはずが、コブ・不整地斜面は、より難くなり、それまでは無かったものが必要に?なった。

その一つが「内足の操作」である。正直、内足の操作が「枯れたスキー」に必要なものか?懐疑的ではあるが・・・

 

 

 

 

 

スキー黎明期・平川仁彦氏(2021/09/18)

凄いことが語られている。

特にTOK語録と重複してる箇所が複数あり、驚いた。

ホストの渡辺一樹氏は聞いてるだけで、ほぼほぼ、平川氏の喋りである(笑)しかし、僕はNHKベストスキーのテキストを購入、全て録画しているので違和感は無く、懐かしさすらある。

自然で楽な・・の10年間で何をしようとしていたのか?そのあたりが少し垣間見える話題もある。これには自然で楽な・・の前、1995年版・日本スキー教程までの経緯も考慮する必要がありそうだ。

平川氏の話によると、シュテムターンを省いた「プルークファーレン→→パラレルターン」の流れは、日本が世界の先駆者だったというから、驚きだった。

僕の感じたところによると、「荷重、角付け、回旋」の回旋も省いてやれ・・・ってことで、世界に先駆けてはみたものの、ものの見事に失敗・・・というところだろうか。そこにスキーロボットの教授が登場したのかもしれない。

いずれにしても、戦前体制の日本政府ではないが、新旧ディスカッションを繰り返した上でスキー教程に反映すべきだったのだろう。

ベルントやグッキーという手本があれば、また違ったのかもしれない(本国にさっさと帰ったかもしれんが)

 

45:35・・圧を加える・抜くだけの、小林平康、黒菱の滑り、「足首をヒュッて吊上げます」レッグカール・引き締めると、実際に求める運動は引き付ける。働きかける、逆向きの反動を押さえる、

47:25・・働きかけた運動には必ず真逆の作用が起こる。逆向きの反動を違うところに上手く運んでいる(逃がしている)

48:48・・荷重・回旋・角付け、常に切り離してはダメ。

49:05・・反作用を次々と次のエリアに運んで行けるような身のこなし(上手い)

 

 

新旧滑りのスタイル(2021/09/17)

この動画を観てスキーに対する考えが変わった。
チーム・デサントアルペンレーニング動画からの抜粋である。時は何と1987年・・・今から34年も前の滑りになる。

それにしても上手い・・・現在の僕よりも遥かに上手であるし、仮に今、僕がこの滑りをしたなら、周囲は「どうしたの?スキーの神様でも降りて来たの?」なんて驚くやら冷やかされるやら・・・だと思う。

この滑り、細かく静止画で確認すると、確かに旧来の技術で滑っているが、全体的な雰囲気は、現代のスキートレンドに謙遜無い滑りと言える。

問題は34年前の用具(スキー)だ。もちろんこの動画のモデルは相当な実力者であったはずだが、この方が卓越した技術で滑ったから実現できたトップレベルの滑りなのか?
実はこの滑りの動画の後に、可倒式ポールを滑る動画が納められている。それはいかにも旧来の滑り方で、撮影が34年前というのが理解できるものである。
恐らく、この動画はトレーニングのために撮影されたものであるから、ある程度、制約された条件の中で、偶然にもこのような滑りとなったのだろう。

このようなところから、僕は以下のような結論に至った。

古今東西、いろんなスキー技術論が存在し、何かにつけ用具の進化と同様、最新のものが素晴らしいとされるわけだが、僕はこの動画を観て「単にそう滑った結果」ではないのか?と感じた。

そしてスキー根幹の技術、つまり「※枯れたスキー」で滑るならば、用具の違いによる調整は必要としても、一つの技術で、似たような滑りのスタイルが結果として表れて来るのではないか・・・

とはいえ、そこにはもう一つ大切な要素があると思う。それはこのモデルスキーヤーの滑りが圧倒的に洗練されているという点だ。つまり、上手いスキーヤーの条件とは「どのようなトレンドで滑っているか?」ではなく、圧倒的に「スキー捌きが洗練されている」のが共通項であり、重要だと気付かされた。

※「枯れたスキー」
「枯れた芸」「枯淡の境地」などになぞらえての造語

そして、以前、私のスキーの師匠「太谷多喜男」さんに言われた言葉を思い出しました。「スキーを極めるというのは雪に身を任せることだ。自分からは動かず、雪の力をあるがままに受け止め、来たら引き、離れたら伸ばして、逆らわない…」という言葉です。大谷さんはこうも言っておられました。「水に浮かぶ木の葉を良く見てごらん。岩があればその脇を、川幅が狭ければ速く、広ければ悠然と流れて行くだろう…自分が枯れ葉になった心境でスキーが出来るようになれば一人前だ。無駄な力を使わずに川の流れと一体になることだ…」これを「枯れたスキー」と名付けておられました。

意見は組織内の立ち位置によるⅡ(2021/09/14)

前の号で、

日本的組織は、個々の人間関係における「上下関係・立ち位置・格の違い」の組み合わせで成立しており、組織に声を挙げることで、居場所が完全に消滅してしまう一方、居場所さえ確立していれば、何をやってもスルーされる利点もある。これが各種ハラスメントの原因になっている。

・・・と書いた。

つまり、エビデンス欠如の論理飛躍も許されるわけだが、では自然で楽な・・・の教授は、どうやって組織内に不動の地位を確立したのだろう?(組織内のトップに食い込んで行った)そこが最大の謎になっている。バインシュピール系一色だった当時の日本にあっては教授の理論は異端。保守的な組織が突然現れた異端者を受け入れるはずはない。内部に強力な伝手があったのか?はたまた単に担ぎ出されただけなのか?定かではない。

そして、その結果、誰が徳をして誰が損をしたのだろうか?

最終的に、スキー離れは加速したように思う。

 

 

先ず、カービングスキー台頭以前の1995年まで、日本のスキー界は少なくとも「外スキー主体のひねり動作中心」のバインシュピール系であった。それは日本スキー教程1995年版を見ればわかる。

そして1998年頃までにマテリアルの大変換点が起こる。一般スキーヤーはもとより、競技スキー・WCのスキーヤーもマテリアルチェンジであった。これは世界的規模で全てのスキーヤーカービングスキーに飛びついたのだから凄いことだ。

ただし、よくよく調べると、むしろWCスキー界で実験的に開発が進んでいた可能性は見えて来る。これは本題ではないので割愛するが・・・

◆年表にまとめてみると◆

90シーズン
 ・クナイスル、ビッグフット(スキーボード)
92シーズン頃
 ・エラン、クナイスルから2機種。
94シーズン(93-94)
 ・技術選大回り規制
 ・宮下征樹氏「既にこの時期、選手専用モデルにカービングタイプが存在」
95シーズン(94-95)
 ・市場のカービング的動向は一切無し。
  相変わらずエラン、クナイスルから2機種のみ。
 ・オガサカ、緑色の選手専用プロト
96シーズン(95-96)
 ・WC、GS種目優勝、M.フォン.グリュニーゲン
  (公式にはトラディッショナルスキーの使用。)
 ・猪又一之、技術選優勝。白色の選手専用プロト
97シーズン(96-97)
 ・オガサカKS「Keo’s」
 ・各メーカー、下位機種に限りカービングモデルのラインナップ
  (FUN、ニューコンセプト、ニューサイドカット)
 ・宮下征樹氏、カービングスキーの使用により技術選2位
  カービング世代と呼ばれる(本人は外スキー操作主体)
98シーズン(97-98)
 ・各メーカー、トップ機種にカービングモデルのラインナップ。
  後に「カービング元年」と呼ばれる
 ・WCにて、H.マイヤーの大活躍。
  レーシング・プロトタイプのアトミックβ9.28(市販モデルとは別物)
 ・12月、個人的にカービングスキー体験試乗会に参加。

 

いずれにしても市場が一気に変化したのが1997~1998年にかけてであるから、スキー指導の本質が一瞬で変わるはずもない。もちろん実際は指導法を大きく変える必要はなかったのが現実であったが、それに連盟が気付いたのは2010年代に入ってからである。2013年版日本スキー教程で「外スキー主体のひねり動作中心」のバインシュピール系に戻ったことが確認できる。自然で楽な・・・が日本スキー教程に採用されてから10年経ってのことだった。

この10年間、日本のスキー指導界だけが自然で楽な・・・のスキー指導を行い、インタースキーでも発表。しかし、同じ日本の競技スキーや、別団体のSIA(日本職業スキー教師協会)は全く追従せずである。完全なガラパゴス化であった。

その結果、NZでは不思議な光景が見られた。

NZのスキー場で、ある種のスキースタイルで滑ってるスキーヤーは全て日本人だったという・・・

 

意見は組織内の立ち位置による(2021/09/12)

組織での意見が通るか否か?それには組織内での「立ち位置」そして「格」が重要だ。

mrrn氏からの頂き物にはなるが、SJ誌 2001/10号より


この時期、誌上では、まだまだ「外足か内足か?」決定的ではない。
自然で楽な・・・が、スキー教程に採用されたのが2003年版からと記憶している。競技スキー界では不動の「外足」でもあったし、SJ誌1997年8月号「スキー技術対談・トップの視点」で宮下征樹は、はっきりと「外足しか意識していない」と明言している。
であるから、この時期、基礎スキー界のトップ選手が声を挙げれば、もしくは「外足派」「内足派」できっちりとした議論をしていれば、まだまだ「暗黒の10年」は回避可能だったのではないか?そんな風に思う。


ところが、声を挙げることができたのか?そして意見が採用されることはあったのか?となると、それは「否」である。SAJという組織では、たとえ技術選のトップ選手であったとしても、その「立ち位置」は低い。

そして一旦、声を挙げたならば、反論と受け取られ組織から排除されるであろう。さらには、未来に体制が大きく変わっても、復権することもない。なぜならそれは日本的組織が、個々の人間関係における「上下関係・立ち位置・格の違い」の組み合わせで成立しているからであり、組織に声を挙げることで、居場所が完全に消滅してしまうからである。
(※一方で、居場所さえ確立していれば、何をやってもスルーされる利点もある。これが各種ハラスメントの原因になっている。

例えば、五輪で金メダルを取っても、競技団体組織内での先輩(格上)後輩(格下)の関係がメダルで変動するはずもなく、後輩が間違いを指摘しても、先輩が後輩の指摘を聞き入れることは無い。
いや、実際は無い・・ではなく、その先輩の、人間としての度量(人間性)ひとつで決定は変わる。その点が感情に流されやすいと言われる日本の組織の特徴になっている。

 


コンプラ違反、正す立場に上下なし」しかし、現実は「上下あり」で、直接やり合っても下位ポジションの意見は反映されない。それどころか、上司や組織への反逆とされ排除されるだろう。なお、大抵の企業の場合、コンプライアンス委員会が外部の監査法人のバックアップで機能しているから、コンプラ違反の報告は無意味にはならないが、現実にはコンプラ委員会が存在しない職場も多いのである。この場合、言いなりになるか、縁を切るしか対処法は無いのだ。