被災地のこと(2024/01/05)

昨日、仕事の合間に「阪神淡路大震災」の写真をネットで見た。先日の能登半島地震で焼け落ちたビルの映像がTVで度々流れ、ふと、1/19に歩いた長田の焼け跡の惨状を思い出したのだった。

今なお、思い出される光景がある。本社のあった六甲道に初めて出勤した日(1週間ほど経過していたかもしれない)琵琶町公園近くの路上でパイプ椅子に座り焚火にあたる老女の姿を見たことだ。

幸いにも自宅周辺は軒並み屋根瓦が落ちる程度で、住むには問題の無い地域だったが、2005年頃の復興が完了するまでの10年間、六甲道の職場に通い続けた経験は簡単に忘れるものではない。

中継を見ながら、東日本の時はそうは思わなかったが、今回の地震の被災者は、まだ被災者経験数日なのだと、ふと感じたのだった。

琵琶町の火災に遭ったクリーンステーションの看板(2010年頃撮影)

ずれた実家の基礎。今なお放置。