横浜市街の外れにあった中華料理店(2021/06/29)

昨日の、同級生・磯さんのUPで横浜の中華料理店に関する話題があった。その店は山手トンネルを抜けた先、本牧通りにある「奇珍」・・・その店内の様子が何となく1984年に訪れた横浜の中華料理店に雰囲気が似ていた。

毎度のことながら、横浜中華料理の話題になると決まって思い出す店がある。僕にとって横浜の中華料理と言えば、後にも先にも37年前に立ち寄った、あの中華料理店なのである。今、ストリートビューをもってしてもその店を見つけることはできない。むろん37年も前の話であり既に閉店していても何ら不思議ではないが・・・

1984年元旦の早朝、僕らは我孫子デニーズに居た。一晩かけて高速を走り、遥々神戸からやって来たのだった。

晦日の夜、いつもの仲間と集り、初詣を何処に行くか議論した時、一人が、関東に越してしまった中学時代の元カノに会いたい・・・と言い出した。当時、僕らは下道で日本全国走り回っていたから、ならば行ってみようや・・・そんな軽い乗りである。21時過ぎ、我が家のカローラ1台に男4人が乗り込み出発と相成った。

経過は曖昧だが、途中、友人が何度か元カノに電話をかけると、快くお宅訪問という運びになる。そして元旦の朝、夜が明ける頃に我孫子に到着。時間調整のためにデニーズで朝食を摂ったのだった。

元旦にもかかわらず、元カノのお宅では、神戸から来た男4人を大歓迎してくれた。実は僕以外の全員が同じ中学。そんなこんなでご両親も大歓迎。いや、本当は大迷惑だったかもしれないが・・・

そのうちどこからともなく明治神宮まで初詣に行こう・・・という話が出る。そして、その元カノの今の彼氏が車で先導してくれる段取りとなった。この彼氏、極めて大らかな方だった。

そして、上手く行けば昼過ぎには明治神宮での初詣となるはずだったが、生憎の大渋滞。夕方の時点で柴又・亀有付近から進めずだった。

もう我々も東京を離れなければならない時刻だ。江戸川の堤防線、渋滞で動かない前の車から元彼女と彼氏が降りて来る。「ゴメンねこんなことになってしまって、本当にゴメンね・・・」と元カノ・・・

「先に進めば首都高に乗れるところまで案内しますから・・・」彼氏も申し訳なさそうに言う。

僕らの車では「めっちゃええ彼氏やなぁ・・・」を連発。

夕暮れ迫る中、元カノと彼氏の車は爽やかな余韻を残して我孫子方面へと戻って行った。今でも山田洋次監督「男はつらいよ」を観ると、この時の思い出が鮮明に蘇って来る。

さて、都内の初詣渋滞はその後も続き、首都高に乗れたのは暗くなった19時を過ぎてからだった。そして東名高速ノロノロだった。

思えば元カノのお宅でおせち料理と雑煮を頂いてから以降、何も食べていない。

そうだ高速を降りて横浜へ行ってみよう・・・どこでそんな話になったか?定かではないが、僕がこの際だから関東のラーメンを食べてみよう・・・と言い出したのがきっかけだったように思う。

話は高2~3のレスリング部の東京遠征に遡る。日本体育大学の近くにある食堂でラーメンと焼きそばを注文すると・・・出てきたのは僕の知るラーメンには程遠い、真っ黒な汁の代物。まるで醤油に麺が浸かっているような味である。そして焼きそばもしょっぱくて食えず、ラーメンの汁で濯いで食べたという強烈な塩気だった。噂には聞いていたがこれが関東の味か・・・おそらくこの話を渋滞中の車内で何度かしたのだろう。

「ほんまかいな?」「じゃぁ食ってみようや。」そんな感じで、渋滞から抜け出せた横浜付近で夕食を・・・という流れとなった。

(※この食堂は日本体育大学駒沢公園の付近にあったと思われるが、こちらも行方不明のままである。そして、後にも先にも、これほどまでにひどい塩っ気の食べ物は、我が人生においても塩抜きしていないカズノコ以外に無いのだった)

東名高速を降りて横浜市内へ。横浜球場の周囲を徘徊するも、道沿いにラーメン屋など見当たらない。それにしても複雑で道がよくわからない。何やらゼロヨン族のような輩が飛ばしまくっている・・・

時間は既に22時を過ぎていた。

「こりゃダメだわ・・・」諦めて市街へと車を走らせる。少しでも高速料金が少なくなるように降りた出口に戻らず、一旦、車を西へ進めた。

横浜市中心部の喧騒が少し落ち着いたように感じられた頃、左手の道沿いの暗がりに、ほんのり浮かび上がるように中華料理店の灯が見えた。いわゆるラーメン屋ではない、中華料理店である。

「よっしゃ、ここで夕飯にしよう!」店の前に車を停めた。これが思い出の中華料理店である。

店構えはごくごく小さな中華料理店だった。店名は全く覚えがない。ただ、意匠に何かしら重厚さが感じられた。この店は地元では有名店かもしれんな・・・そんな風に思えた。

重い扉を開け店内に入る。あれっ?!なんと床は黒光りする板張りであった。歩くと少しギシギシと音がする。

店内は狭い方だ。小さな4人掛けの丸テーブルが8席程だろうか?テーブルも椅子も漆塗りなのか?黒光りしている。

そして奥の席には黒人客が1組・・・・

何じゃここは?まるで戦前の上海を舞台にした古い映画のセットのようである。

ややあっけにとられた感じとなり、僕らは終始無言だった。疲れもあったかもしれない。店内は奇妙なほどに静かだった。

僕は中華そばと焼きめしを注文した。焼きめしにはスープも付いていた。

一口、口に入れる・・・旨い、滅茶苦茶に旨い。もちろん半日以上食事を抜いての一口だから、より一層、美味しく感じられたのだろう。友人らも黙々と食べる。

これは関東の味どころではないな・・・本場の中華料理ではないか。そんな風に思った。

ゆっくりとしている時間は無いので、食事が終わるとすぐさま出発である。短時間ではあったが、店の雰囲気と言い味と言い、何やら奇妙な空間に迷い込んだような・・・そんな不思議で、かつ素晴らしい思い出となった。

そして神戸には1/2の夜明け前に着くことができた。我が両親も、自宅のカローラが九州以外の遠方に、ましてや都内~我孫子~横浜を走ったとは知る由もない。

帰宅途上、横浜での中華料理が効いたのだろう。鼻血が出たのだった。

それにしても・・・やはり閉店してしまったのだろうか?

先の「奇珍」だが、似ているが別の店である。床が板張りではないのが決め手だった。

 

写真は現存する我孫子デニーズ。店構えは当時のままである。周囲は何も無く造成中という感じだった。

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