令和6年能登半島大地震(2024/01/01)

元旦の夕方、大変なことが起こった。1月ということで29年前の阪神淡路大震災を思い起こさせる出来事でもあり、TV中継や各地ライブカメラを見ている様は、津波が押し寄せてくるのをライブで見ていた13年前の東日本大震災の時のようでもあった。

つい前日の大晦日では、実家で久々に紅白を観て(眺め?)お祭り騒ぎの世の中だったが、一転、目が覚めるような感じがした。

恐らく情報収集が遅れているのだろう。倒壊家屋報道の状況からみて、数千人規模の死傷者となるであろう。いずれにしても大変なことが起こった。

元旦ということで、役所や売店は休業状態。一般家庭では食料の備蓄は豊富だろう。家族が車で帰省しているケースは多いはずだ。大晦日明けでかなり疲れもあるだろう。帰省で一家で被害に遭われた方、また、その逆で、高齢者が孤立するケースは減少したかもしれない。今年は異常な暖冬で、例年なら積雪で連絡も取り難いはずである。

(※2024/01/06後日記)
①海と山に挟まれた幹線道路が寸断され「陸の孤島」となり、情報収集が遅れている。そのため死傷者数は今後、かなり増える状況。感覚的に3割程度しか集計されていない感じ。
②帰省で震災に遭ったケースはかなり多く、運不運の話題が数多く聞かれる。
③正月準備で食料を買い置きしていたという話題は皆無。また昨年来、地震が多発していた関係で災害備蓄をしていたという話題も無い。

珠洲市震度7の直後の津波(1分後)では、もうどうにもならないという感想。NHK・山内アナの「直ぐに逃げて!」はオーバーではなかった。

能登半島全体で隆起があり、潮位計が使用不可。能登市火災では河の水が使えなかった(津波の引水ではない様子)津波対応で朝市通りは無人状態。消防も海水・海岸へ近寄れず。

(経験した阪神淡路との違い)
・被災エリアの広さ。須磨~尼崎の人口密集地で起きた未曽有の災害だったが、極めて限られたエリアでの被害だったといえる(東日本大震災と比較しても)各所で電柱・家屋倒壊による道路寸断は発生したが、う回路が必ずあり、一部地域では1日目、既に自衛隊(伊丹駐屯地)が入った。また近隣の、神戸市北区、明石市三木市などの被害は軽微で、個人による救援物資の搬送「買い出し」が可能だった。

・地域性。瀬戸内で冬季は温暖。降雨・降雪・積雪などの心配がなかった。食料の備蓄、衛生上の問題において、寒さは良い方に働いたというのが実感。あれが真夏ならどうだったか…

・各避難所(学校など)のトイレ事情については特に聞くことはなかった。この点においても寒さは良い方向に働いたと感じる。断水期間中、自宅や職場(六甲道)でのトイレ事情については、特に苦労は感じていない。ただし、これは伝わって来なかっただけのようだ。排泄の問題は、震災に限らず、過去、戦争・紛争の際も同様で、数百人・数千人単位で人間が集合する場合、必ず発生している問題と言える。

・苦労した最大の記憶は「通勤」だった。他しいて言うなら「雑用水」の確保も苦労だったかもしれない(トイレ事情に関連)飲料水や食料はどこからともなく手に入った。カセットコンロが普及し、食材は偏ったが煮炊きに問題はなかった。

 

 


第一波の状況。


第二波の状況。この時は神戸でも揺れを感じた。やや長めの揺れだった。実家の仏壇の飾りがゆらゆらと揺れる程度。


以下、第三波、四波と続く。