今回、技能試験の候補問題10問中、一番厄介な問題での合格だった。過去2回は楽勝だと感じただけに、皮肉としか言い様がない。特に今回は10月の筆記試験からの再受験だっただけに、安堵感よりも手痛い教訓という感じが強い。
大急ぎで帰宅し、履歴書と職務経歴書をあつらえ、スーツを着て面接へ向う。そしてその場で採用内定となった。
まさに事が運ぶ時は一気に進む・・・その典型例である。TOK師匠ではないが、「Something Great」を感じさせる一連の出来事であった。
その後、保証人やら雇用時健康診断などの転職に関連する諸手続きがトントン拍子で進む一方、スキーハイシーズンに、3週間近くもブランクが空いてしまった。2月に入り、ようやく前職の勤務から解放されたものの、次の勤務まで6日ほど無保健状態が続くので無茶も出来ない。もちろん、仕事に支障が出るような負傷ともなれば内定取り消しである。また、勤務までに次の現場に挨拶で顔出しする必要があったのだが、その連絡が来ない中途半端な状態だった。
この数年、私の身の回りに起こったトラブルの全てが、スキーにまつわる途上だったことを考えると、スキーに行くことそのものに躊躇を感じたのも事実だが、それでも自宅でじっと連絡を待ってるよりは良いだろうと考えゲレンデに向かうことにした。
前夜、かなりの降雪があったので、夜に出発せず、朝6時に自宅を出る。
7時過ぎ、林田を通過。周囲の山が白い。山崎を過ぎた辺りから山の谷合いに霧が立ち込めて幻想的。
道の駅「波賀」を過ぎたぐらいから路面に積雪。
天気が良く、雪が光輝いて見える。素晴らしい。普段は夜間の移動なので、この風景を見れただけでも、久々にスキーに出かけた甲斐があったというもの。、
8時45分、大屋到着。
上の駐車場は除雪がされてなく15cmほど積雪。手早く準備を済ませ9時20ぐらいから滑り始める。
1/5のギックリ腰以来、ゲレンデを滑るのは1ヶ月ぶり・・・腰のサポーターに加え、骨盤用のサポーターのダブル装備で臨む。腰の状態が少し心配だったが、大急ぎで、まだ荒らされてない2号リフト下で単独パウダー8を決める。(案の定、撮影の直後に蹴散らかされた。)
腰の状態が未知数なのでガツガツ滑らず、適度に休息を入れる。
午後からは、今季初のテレマーク。板をSL/WCに交換したが、ツルツル滑る感じで後(内)足が安定しない。
16時少し前に温泉に行く。JAF割引が無くなっていた。聞けば2年前ぐらいから無くなったとの事。
17時、温泉から出ると新しい職場から不在着信あり。連絡を取る。
17時半、道の駅「波賀」到着。カレーを作って食べる。腰の調子はまずまず。
翌朝、5時半頃、起床。
8時過ぎぐらいにスクール出勤のKEI氏がやって来る。土日祝は駐車場料金を取られるので便乗作戦である。忘れないうちに新日本スキー教程とお礼の品を渡す。大屋には8時40頃到着。KEI氏から愛車の鍵を預かり、一人で滑り始める。
本日はKEI氏に加えおSUGI氏もスクール出勤。二人が悪戦苦闘するのを尻目に滑り続ける。
土曜日なのでファミリーが多い。ビデオのセルフ撮影を行うが、リフト待ちが長く、途中でレンズが曇ってうまく行かない。曇りさえ無ければ・・と思う。
15時半頃、レッスンが終了した両名と合流。小1時間程滑る。
帰宅時、KEI氏と道の駅「波賀」にて別れる。
18時頃、山崎・すき屋。19時半頃、カーピカランド林田。20時過ぎ、GSにて給油し帰宅。休日は意外に道が空いてた。
木立の緑と雪山の白、空の青・・・
最後のNZ(2009年)を思い出す。
音水湖に近付くに従い、路面に積雪が・・・
音水湖・・・
いつも撮影の場所も朝日に輝く。
兵坂トンネル周辺もご覧の通り・・・
道谷集落・・・
昨年、脱輪した付近。
普段がこれでは路肩の側溝はわからん・・・
難所の若杉峠の状況。
荒らされないうちに、単独パウダー8を決める。
積雪は申し分ない。
午後はテレマーク。
板を交換したら調子が出なくなった。
帰宅後に確認すると、コーンケーブ凸状態が判明。固定度の強いアルペン金具ではさほど問題にはならなかったのだろう。
(テレマークは板がよじれやすい)
素晴らしいコンディション・・・
でも、怪我の無い様、慎重に。
夕暮れ迫る・・・・
今夜の宿は、赤いリンゴのオブジェで有名な道の駅「波賀」
ライブカメラを見ると自分の車が・・・
・・・・Part②へ続く