「小集団」の中の「父性原理・母性原理」(2020/02/27)

社会人類学者の中根千枝によると、日本ほど「タテつながり」が強い社会は、世界中探しても日本だけだという。そんな「小集団」の中の「父性原理・母性原理」を考えてみたい。

まず「母性原理」の定義だが

母親が、自分の子供達の出来の良し悪しに関係なく、平等に扱うことに由来している。
母性原理は「包含する」という機能で、全てのものを良きにつけ悪きにつけ包み込んでしまい、その中では全てのものは絶対的な平等性を持つ。しかし、その中から出ようとするのを阻止し、そこから逃がさないという否定的な面も持っている。

では「母性原理」からみた日本的「小集団」はどのようなものだろう?

小集団内には父母を頂点にした「ヒエラルキー」(順位)が存在しているものの、長男長女以下末っ子まで、全ての子は平等に父母に甘えることができる。ここで意識しなければならないのは、母性の施しは母親から子供達へ流れ施される愛のようなもので、生まれる順番に従って甘えることが可能な相手が違って来るということだ。

では「父性原理」だが

父性原理は、「切断する」という機能で、主体と客体、善と悪、上と下などに分離し、子どもを能力や個性に応じて分別する。

 

イメージしにくい表現だが、簡単に書けば「独立心」と「客観性」ではないか?

野生動物は、子離れの瞬間に、母親は「父性原理」によって子を追い出す。

 

思うに、子供たちに「母性原理」で接するためには、自分に対しては「父性原理」を適応しなければ、できないのではないか?

古来、日本の大家族では、長男長女以下、順番に弟妹の面倒をみることで、自然に自立心(父性原理)を養っていたのではないか?

 

日本流「小集団」の人間関係を論じるために大切なのは、「自分自身に対して」と「上位者・下位者」に、それぞれどのように「父性原理・母性原理」をあてはめているか?を意識する必要があるのではないだろうか?