求めよされば与えられん話・その1(2020/06/11)

「求めよされば与えられん」という聖書由縁の言葉がある。この言葉の正確な意味はさておき、昨今では「自分から積極的に行動することで道が開かれる」という意味合いを持たせて、自己啓発の観点で一般的に使われることが多い。

この言葉を僕流に解釈すると「物事に行き詰まった時、潜在意識に問いかけることで、その解決策が掲示される」ということになる。これを人によっては「Something Greatとの対話」と見なす向きもあるようだ。

 「Something Great」は筑波大学名誉教授の村上和雄氏が用いた言葉である。
氏が遺伝子研究を行う中で、到底、人知を結集しても解明しきれない人為性(とりあえず人為性と書く)を強く感じたところから、氏の宗教観(天理教の神)より派生したものである。(※ちなみに「人知を結集しても解明しきれない何か」を感じたから「Something Great」が存在する・・・は、「人知を結集しても解明しきれない何か」を感じたから「UFOが生命を造った」に通じる理屈で、学問ではない)

この続きは「その2」で書くとして、話はがらっと変わる。

1月に「神陵台の母」こと、小学校時代の恩師であるY先生のお宅を訪ねた折、ちょうど昼時だったということもあって「とんかつ」をご馳走して頂けることになった。僕の車はスキー仕様で一人乗りだから、近所のとんかつ店まで二人で歩いて行くことになった。ところが・・・である。Y先生は足腰が悪いので補助車を使用しているのだが、町内の道は、あちらこちらで歩道と斜路の段差が大きく、補助車が進まないのだ。数十メートルを進むのに野を越え山を越え・・という感じだった。歩道も決して広いわけではなく、Y先生がお住いの町内の道は、バリアフリーには程遠い状態・・・ということを痛感したのだった。

コロナ騒動もやや落ち着いた先日、久々に近況を尋ねる意味合いでY先生宅に電話すると、話題は自然に町内のデコボコ歩道の話となり、Y先生曰く、実は神戸市の「市長への手紙でに町内の道のことを書きたいのよ・・・というようなことを言われた。聞くと「市長への手紙」は区役所などに置いてあるのだという。
「区役所なら勤め先の上の階だから、覚えていたら取って来ますよ・・・」と僕。

さて、その翌日、仕事が一段落した時、ふとY先生のことを思い出す。

ものは試しで、作業服のままで区役所に行くと、直ぐに「市長への手紙」が置いてある課がわかり、そこへ行くとあっけなく「市長への手紙」が手に入った。

その日は偶然にも日勤で、帰宅後、封書で「市長への手紙」を送付する準備を行う。すると切手も手元に82円分あるではないか・・・翌日の出勤時にはポストに投函できた。

そして昨日、Y先生よりメール・・・

娘が歩道の写真を撮影してくれたので、市長への手紙に同封して送ったところ、早速、歩道の修繕が行われたのだという。この間、約10日程度・・・神戸市の仕事の早さ??に驚くと同時に、事の進展のテンポに驚きを感じたのだった。

Y先生からは、メールでえらく感謝されたが、感謝する気持ちはむしろ僕の方だった・・・

 Y先生は敬虔なクリスチャンで僕は無神論者だが、こういった体験をする度に、メッセージを受取るための、センサーを広げておく大切さを痛感するのであった。

→その2では「人の嫌がる仕事を引き継ぐこと」へ


「わたしから神戸市長への提案」


ネットからも投稿可能なので僕からも意見する予定だったが・・・