「老人と海」映画と小説(2021/05/17)

先日、BSで録画してたものを視聴。改めて文庫本も読み直した。

映画「老人と海」(1958年)、文庫本「老人と海」新潮社(昭和52年・第37刷)

思えばこの文庫本・・・いつから手元にあるのだろう?
中学の頃の夏の推薦図書か何か?だったように思う。
まだ30代の頃、実家で見つけて持ち帰り、今は枕元にずいぶんと長く置いてある。手に取って読んだ回数で言えば、私蔵書の中で一番多いはずだ。よく質問で「あなたの座右の銘は?」なんてのがあるが、「老人と海」という小説は、僕にとって云わば座右の銘のような作品だと思う。

これを機に改めて「老人と海」や「ヘミングウェイ」を調べてみた。特に今回は「全く面白くない」という感想を拾い出してみた。

実際、この「老人と海」という作品は、ヘミングウェイ晩年の作ということで、多方面から検証・分析されており、いろんな方が色々と感想を書いている。

感想のパターンはだいたい決まっており、この作品には、大いなる存在(自然など)に打ちのめされると判っている状況下でも、諦めずに一人で運命に立ち向かう老人の姿が描かれており・・・的な感じだ。

実際、他の代表的なヘミングウェイ作品を通して見ても「大いなる敗北」と「再び立ち上がる強さ・意志」がテーマとして貫かれているように思う。

先日の「針ノ木岳遠征」だが、客観的に見れば悪雪に揉まれるために、資金を投じて危険なエリアに立ち入った・・・という結果で終わった。しかし、それを直にSNSなどで表現すれば批判を受けるので、常に前向きな視点でもって、例えば、風景が素晴らしかった・・・だとか、スキーの勉強になった、素晴らしい思い出になった・・・と表現する。もちろんウソではなく、これもまた真実だ。

それでもまた山に入る・・・どうにもならないこと、悪い結果になることが予想されても、常に全力で取り組む姿勢を忘れない。これが僕の座右の銘的なものであり、「老人と海」に共感する部分であり、仕事やスキー・山スキーなどに共通しているテーマでもある。

しかしこの数年、少し考え方が変わって来た。「老人と海」のストーリーは、理性的な側面よりも、むしろ人間の本能的な部分を描いたものではないか?

東アフリカに誕生した・・・とされる人類が、現在、全世界に行き渡り、宇宙にまで進出するようになったのは、冒険遺伝子が影響しているという説がある。人類の4人に1人の割合で「冒険遺伝子DRD4-7R」(染色体11のドーパミン受容体変異)が存在しているという。この冒険遺伝子のお陰で人類は新天地を切り開いて来た。もちろん、新天地にたどり着き、成功した事例はごく一部であり、他は全て失敗となっている。しかし、それでも一部の人々が新天地を求めるのは、人類の持つ普遍的本能ではないか? 

 「老人と海」という小説は、日常の中にある人類の持つ普遍性について描かれたもので、全ての人々が感動しなくても良い。わりに面白くない・・・という批評も多い。

 だから、この話は、推薦図書なんかよりも、一部のマニア受けすれば良いのではないか?そんな気がするのであった。

 


自然と人・・・がテーマではある。


一方、副題は「少年と老人」でも良い感じ・・・とこの度、気付いた。


厳寒期の3000m級峰に単独登頂を果たすも・・・


下山時に遭難。それでも単独帰還を果たす・・・みたいな。


古いなぁ・・・

人はなぜ山に登るのか?それはそこに山があるからだ。漁師はなぜ大物を狙うのか?それはそこに大物が居るからだ。この衝動的ともいえる強い欲求は、プライドや地位、名声もありきだが、そこには「誰も体験したことの無い未知のものへの強い憧れ」が存在するように思う。これがまさに「冒険遺伝子DRD4-7R」の影響ではないのか?そんな風に思えるのである。


社会人になり30代の頃、改めて読み直し、心打たれるものがあった。


中学の頃の夏の推薦図書だったように思うが・・・