たまたま、ハリスマウンテンのヘリスキー動画を見ていると、集団で一気に滑る様子が映っていた。こんなことあるのかな?ふと、2005年、2006年の最厳寒期の八甲田山バックカントリー・スキーツアーのことを思い出した。
2005年、2006年と2月の最厳寒期に八甲田山バックカントリーツアーに参加した。長年の相方だったSAK氏に誘われてのことである。
厳寒期の八甲田山といえば、映画「八甲田山」のモデルにもなった明治35年(1902年)1月、青森第八師団・歩兵第五連隊の山岳遭難事故、「八甲田雪中行軍遭難事件」があまりにも有名だ。
この時代、日本にスキーはまだ入って来ておらず、この大事件をきっかけに、日本のスキーの歴史が始まったと言って過言ではない。
さて、八甲田山バックカントリーツアーに参加するまでに、2回、NZでヘリスキーを経験していたから、日本とNZのバックカントリーツアーに対する考え方の差には愕然とするものであった。
SAK氏と共に「やばいな・・」と感じ、翌年2007年は中止。
すると2月15日に、ツアー中の雪崩で2名のスキーヤーが亡くなるという事故が発生。これにはびっくり・・・というか、当然だろう・・・という感じ。
厳寒期の八甲田山バックカントリースキーツアー①
NZのヘリスキーだと、ヘリの定員という問題もあるが、1チーム4名程度のスキーヤーに対し1名のガイドが付く。2チーム混成だったりすると、スキーヤー10名程度に対して3~4名のガイドが同行することになる。
スキーヤー(お客)は全員ビーコン装着で、滑走前にはビーコンを使った救助法の簡単なレクチャーも行われる。
滑走に際しては、大抵の場合、コースに応じてガイドが雪崩のブロックテストを実施し、滑走に際しても一気に全員が滑らないよう、滑走間隔・タイミングが細かく指示される。
ところが、猛吹雪の八甲田の場合は、30名程度のスキーヤーに対しガイドが3名ほど。ビーコンなどはあるはずもなく、そんなスキーヤーが大斜面を一気に滑り降りる・・・
そしてあの2007年の雪崩による死亡事故だ。
我々は城ヶ倉ホテルのスキーツアーだったが、事故が起きたのは酸ヶ湯のツアーだった。2007年は酸ヶ湯のチームはどうかな?なんて言ってたから、中止して正解である。
酸ヶ湯のツアーは、スキージャーナル誌にも特集が組まれたり・・・と日本を代表するバックカントリースキーツアーの一つだったが、この事故をきっかけに徹底した対策が取られるようになったと聞く。
が、どうかな?そもそも、根本に日本的発想が存在するからな。
エピソード⑥ブラックダイヤモンド
欧米のスキー場では、スキー場の斜面の難易度をブルー・イエロー・レッド・ブラックで色分けしている。それに関連して、その日の斜面状況を看板などを使って色分けで示している。ブルー;問題無し、イエロー;ちょっと危ない、レッド;危険に付き立ち入り禁止、ブラック;雪崩れの危険あり滑走禁止。そのブラックの指標が四角いので、雪崩れリスク最大の斜面状況を通称;ブラックダイヤモンドと呼ぶ。
厳寒期の八甲田山バックカントリースキーツアー②
2005年当時の記録より
「ブラックダイヤモンドな斜面」
その日、我々は比較的ロングコースに行ける事になった。視界は相変わらず15~20mである。
そんな中、足元に目をやると我々が進む度に雪面にヒビが入るのである・・・
状況はツアーが進行する度にひどくなり、SAK氏が足を一歩前にしただけで5mほど離れた雪面に亀裂が入る。周囲には我々の移動によって引き起こされた亀裂が、あちらこちらに存在する状態だった。
そんな雪面状況で「ビーコン」「ゾンデ」を所持していないツアー客20名以上が、同時に一つの斜面を横切る・・・のである。
いつ足元が崩れても・・・と覚悟だけは決めた。
しかも、この視界である。一旦崩れて埋まって身動きが取れなかったら・・・自分にできるのは、せめて斜面が崩れた時に逃げる方向を決めておく・・・という事だけであった。
無事、ツアーは終了。
しかし、私は納得がいかず、ホテルの周辺で雪崩のブロックテストをしてみた。
すると、深さ約15cmの所でスパッと雪面が切れた・・・
こんなに軽い力で見事に雪面が切れたのを見たのは初めてである。
この状況・・・どう今後に生かすべきか????
エピソード⑦ツアーの危険度
ロープウェイの中での事である。いかにも一般ゲレンデスキーヤーといういでたちの女性がつれの男性に向かって「ねぇねぇ、ツアーでガイドにはぐれたらサァ・・どーなるんだろうねぇ・・・」などと、とぼけた事を言ってるのである。私は思わず「死ぬに決まっとるやろが・・」と言ってやろうかと思った。
たまたま見つけたハリスのヘリスキー動画・・・
2006年、機内から見た槍ヶ岳・・・
この人数が一気に大斜面を滑る恐怖・・・
それもこの天候で・・・
視界は常に悪く、写真は極めて少ない。
一瞬だけ撮影できるタイミングがあった。
御一行様、お帰りで・・・(銅像コース)青森第八師団第五連隊はこの下の沢に迷い込んだ模様。
日・仏・独の混成チーム。ガイドはオーストリア人のリズ。小柄なリズのスキーは悪雪をモノともしない力強いものであった。
他のチームと合流しての昼食。
凍り付いた八甲田山ロープウェイ山頂駅。
山スキーヤーでもある僕は完全装備で臨んだ。