意見は組織内の立ち位置によるⅡ(2021/09/14)

前の号で、

日本的組織は、個々の人間関係における「上下関係・立ち位置・格の違い」の組み合わせで成立しており、組織に声を挙げることで、居場所が完全に消滅してしまう一方、居場所さえ確立していれば、何をやってもスルーされる利点もある。これが各種ハラスメントの原因になっている。

・・・と書いた。

つまり、エビデンス欠如の論理飛躍も許されるわけだが、では自然で楽な・・・の教授は、どうやって組織内に不動の地位を確立したのだろう?(組織内のトップに食い込んで行った)そこが最大の謎になっている。バインシュピール系一色だった当時の日本にあっては教授の理論は異端。保守的な組織が突然現れた異端者を受け入れるはずはない。内部に強力な伝手があったのか?はたまた単に担ぎ出されただけなのか?定かではない。

そして、その結果、誰が徳をして誰が損をしたのだろうか?

最終的に、スキー離れは加速したように思う。

 

 

先ず、カービングスキー台頭以前の1995年まで、日本のスキー界は少なくとも「外スキー主体のひねり動作中心」のバインシュピール系であった。それは日本スキー教程1995年版を見ればわかる。

そして1998年頃までにマテリアルの大変換点が起こる。一般スキーヤーはもとより、競技スキー・WCのスキーヤーもマテリアルチェンジであった。これは世界的規模で全てのスキーヤーカービングスキーに飛びついたのだから凄いことだ。

ただし、よくよく調べると、むしろWCスキー界で実験的に開発が進んでいた可能性は見えて来る。これは本題ではないので割愛するが・・・

◆年表にまとめてみると◆

90シーズン
 ・クナイスル、ビッグフット(スキーボード)
92シーズン頃
 ・エラン、クナイスルから2機種。
94シーズン(93-94)
 ・技術選大回り規制
 ・宮下征樹氏「既にこの時期、選手専用モデルにカービングタイプが存在」
95シーズン(94-95)
 ・市場のカービング的動向は一切無し。
  相変わらずエラン、クナイスルから2機種のみ。
 ・オガサカ、緑色の選手専用プロト
96シーズン(95-96)
 ・WC、GS種目優勝、M.フォン.グリュニーゲン
  (公式にはトラディッショナルスキーの使用。)
 ・猪又一之、技術選優勝。白色の選手専用プロト
97シーズン(96-97)
 ・オガサカKS「Keo’s」
 ・各メーカー、下位機種に限りカービングモデルのラインナップ
  (FUN、ニューコンセプト、ニューサイドカット)
 ・宮下征樹氏、カービングスキーの使用により技術選2位
  カービング世代と呼ばれる(本人は外スキー操作主体)
98シーズン(97-98)
 ・各メーカー、トップ機種にカービングモデルのラインナップ。
  後に「カービング元年」と呼ばれる
 ・WCにて、H.マイヤーの大活躍。
  レーシング・プロトタイプのアトミックβ9.28(市販モデルとは別物)
 ・12月、個人的にカービングスキー体験試乗会に参加。

 

いずれにしても市場が一気に変化したのが1997~1998年にかけてであるから、スキー指導の本質が一瞬で変わるはずもない。もちろん実際は指導法を大きく変える必要はなかったのが現実であったが、それに連盟が気付いたのは2010年代に入ってからである。2013年版日本スキー教程で「外スキー主体のひねり動作中心」のバインシュピール系に戻ったことが確認できる。自然で楽な・・・が日本スキー教程に採用されてから10年経ってのことだった。

この10年間、日本のスキー指導界だけが自然で楽な・・・のスキー指導を行い、インタースキーでも発表。しかし、同じ日本の競技スキーや、別団体のSIA(日本職業スキー教師協会)は全く追従せずである。完全なガラパゴス化であった。

その結果、NZでは不思議な光景が見られた。

NZのスキー場で、ある種のスキースタイルで滑ってるスキーヤーは全て日本人だった・・・

 

Schi Heil !!