一年前の比較(2023/09/17)

一年前の9/16(金)、仕事帰りに実家に寄ると、父と母の定位置が入れ替わっていた。父がトイレに行って自力で定位置に戻れなくなったのだという。これが父、自力でトイレに行った最後となった。

実家の異変に気付いたのが、昨年の2022年9月11日(日)だった。翌9/12(月)に民生委員さんに連絡。
徹頭徹尾、医療・介護サービスを拒否し続けた父だったが、いよいよ実家への介護サービス介入だった。

既に父は自力で上体を起こせない状態となっており、会話は不可能、意識混濁。発する言葉も「痛い~」「水をくれ~」「何もできないなら出て行け!」「あぁ~あぁ~」だけとなっていた。

後の医師の往診によれば、この時の血圧は80程度。極度の脱水症状と褥瘡+低温やけど(夏だが寒いのでエアコン暖房、ホットカーペット使用による)がみられた。医療の無い時代であれば、この後、10日ほどで父は天寿を全うしたはずだ。

父の意識混濁は、むしろ実家に医療・介護サービスを入れるには好都合で、拒否は無く、むしろすんなりと受け入れることになった。

このタイミングより前であれば、意識がしっかりしており、拒絶がみられたであろう。また、タイミングを逃せば命に関わったはずだ。この見極めは、2017年に「紅皮症」を発症した時からの観察に寄るところが大きい。以降、幾度となく認知症予防の受診にチャレンジして失敗してきた後の積み重ねによる。

一方、この時点で、肝心要の母が、既に変調を来していた。父の状況が危機に陥った原因は、この時の母の変調にあったのかもしれない。

実家へ医療・介護サービスを入れるには、在宅の母が頼りなのだが、その段取りが頭に入らない。電話やメールなどの連絡も難しくなる。

加えて、父の介護保険証や実家の通帳類も行方不明となっていた。

9/19には、14号台風も襲来し、実家の台風養生など。

仕事の方は、連日の緊急対応と…この頃から、底なしの「沼・案件」が出現し始めた。

1回の現調で業者に修繕依頼をすればひと段落…ではなく、問題の原因が特定できず、自ら現場に何度も足を運んで、学校、教育委員会、複数の業者の調整に奔走しなければならない案件が突出してきた。

N中「玉石擁壁脱落」「テニスコート水溜まり」、HD小「給食室手洗い消毒器不良」、K小「落雷によるインターホン不良」「落雷による電気錠不良」、K高校「低圧漏電」、K小「給食スタッフ控室エアコン漏水」、C小「プール汚水槽、ポンプ制御盤B/Kトリップ、満水」、M校「赤水」、A幼「防火扉非連動調査」
ざっとこんなところである。

こんな状況の中、母とのコミュニケーションを取りながら、各、医療・介護サービスとの連携を取りながら、父の介護を進めて行くのは至難の業で、気が抜けない、自分がパニックになっては前に進まない状況。

そして極めつけは今年一月の母の自転車による転倒だった。既に通帳や保険証も行方不明で、挙句の果ては「泥棒が入った。盗まれた!」という始末。

ただ、この時を機会に、実家に疎遠だった妹が、財産管理をかって出てくれたため、全権移譲。

その後、天疱瘡などもあったが、手に負えなくなった6月に入院を実施。母にはデイサービスに行ってもらうようになり、安定期に入った。