過去の文章まとめ(2023/09/30)

◇過去の文章まとめ(完成ではない)

スタンフォード白熱教室
会議の際にブレストができる雰囲気・・すなわち民主的な素地があってこそ・・・だと気が付いた。
誤解しやすいのは、 大切なのは突拍子もない意見ではなく、そういう意見が出せる雰囲気ではないかと思う。

否定意見もOK→対極を探る、つまり肯定を探るために否定意見を徹底的に深めるのも必要だと。以下はブレストに含まれない?
「否定的な意見も受け入れる」

突拍子もないアイデアが生きるか否か?すべては「エビデンスに基づく実行可能性見積りによる」
先の戦争では、実現不可能とも言える突拍子もない大風呂敷な作戦で、多くの兵士や市民が犠牲となったのは、全ての日本人が知るところ。
また、私自身、上司から業務上、おおよそ実現不可能な目標を押し付けられ、度外視の追い込みで切り抜けるようなことが、常に付きまとっていた。

日本は政府の決断が脆弱で、どこまで責任を持つのかはっきりしないため、国民が迷っています。何かあったときに「お前のせい」と言われることを恐れ、動けない。この不安定な状況は、政府の決断能力と意思決定プロセスに関係しています。

日本人は政治にそれほど関心がないのに政府に依存し、国からの発言を待っていることです。アフリカも政治不信は同じですが、まだギリギリ地域共同体が機能し、地域の動きを政治家が利用してサポートする例が見られます。
https://dot.asahi.com/dot/2020051100004.html?page=2

そもそも格下だから仕事の依頼がくる。出来る人・出来ない人
ドイツ人でも、他部門からの圧力はうんざりなのだという。他部門からの強い圧力があるのだという。タテ関係の強い日本では他部門からの圧力はあってはならないこと。
「ヨコつながり」の視点でみるとサラリーマンもそこそこの年齢になってくると複数の「役」を担うという責任が発生して来る。しかし、「タテつながり」が強い日本の組織では、それぞれが全くリンクしていない。例えば伝統的な「隣保制度」
隣保の作業と家の作業が全くリンクしてない場合、それぞれの役が独立してしまう。過剰に集中してしまう人が発生する。
本当の「ヨコつながり」では代役が効く。労働・使役の代理が可能なSNSで情報のヨコつながりは広がるが、ニュースと同じ。それをヨコから得ているだけ。
2000年以降、消費者保護法、リーマンショックなどの影響により、企業は今まで経験したことの無い事例に、対応に企業は迫られる事となった。企業ホームページの作成、与信管理  
前例が無いのだから誰に聞きようも無い事態が発生した。

「ヨコつながり」とは代役が可能な関係である。日本では代役を勤めるにしても上下関係が優先する。正しいことより先に気配りが必要となる。先輩に気を使って自主的に代役を買って出る必要も生じる。

本来、現場担当者の直接のやり取りは、上下関係が優先するので、それを防ぐために、必ず上に報告を上げて、上で判断して対応を決めるという手順が必要となる。
これが崩れてしまう。

欧米では勝てる試合しかしない?負けると会社を直ぐにたたむ。流動性→代役の効く社会。商いを続けることが大切。代役が効かない社会。社員の雇用を守る→代わりに会社に負担をかけない。

日本人は親密でなければ仕事ができない。グループ内の上下(ポジションが)が守れる人。欧米では(見かけ上)親密になるスピードが信じられないほど早い。
日本では発言して良い人が決まっている。発言も決まっている。イエスのみ。恣意的に流れる。異論、反対意見は封じられる。同調圧力の強い人間がポジションを利用しやすい。集団の方向性を誤った方向に導く。欧米では発言しないことが嫌われる。その発言の中からリーダーが選ばれる?
表現の自由と暴力…社会のモラルに則しているか?

日本社会では、格下の反抗は罪となる。
「当時、同調した市民にも責任」(既に現代目線)

当時、一般市民が反論できたか?(現代との違い)一例)スクールカーストのイジメ

→同調させられるシステム・伝統・風習
グループ内での順位が決まらなければグループに馴染めない
1軍にならなければ周囲は同調・賛同しない
→2軍の目は常に1軍に向いている?
空港で経験した事、スマイリーズで経験した事
欧米人が理解できないこと会社の飲み会でお酌する、タバコに火を点ける。
政治家のことを先生と呼ぶ。


中根千枝「タテ社会日本」
河合隼雄「母性社会日本(母性原理)」
 山本七平「空気の研究」

「失敗の本質―日本軍の組織論的研究」
日本のリーダーの場合、人物によって対応が変わる場合があるが、少ない。前例が無いものに付いての稟議・決済には根気強い根回しが必要。
欧米ではリーダーが違っても対応は似て来る(理念が共通)代理が効く。コロナ対策の場合、各国の対応は(日本と違って)似たようなものとなる。