2012/04/10 高速道路走行中のバースト経験

 
8日夕方、白馬村を後にした我々は、18時20頃、大町の“すき屋”で夕食済ませた。後は長野道に乗り、安全運転をすれば深夜には帰宅できる。
 
19時半、まずはHRS氏の運転でスタート、豊科ICから長野道に乗る。松本市笹賀附近の緩い左コーナーに差しかかろうとした時であった・・・。
突然、左後輪部附近からバタン!という大きな音がしたと思うと、激しい振動が車全体を包んだ・・・バーストである。
 
HRS氏は素早くハザードを出して減速した。追い越し車線を走っていたが、幸いにも周囲に車が少なく、また、走行車線を走行していた車も、我々をうまく交してくれたので、何事もなく路肩に停めることができた。
 
そういえば、行きの恵那峡Pでのトイレ休憩の際、情報アナウンスが、路肩の停止事故での死者急増を告げていた。その内容を意識していたのは確かなのだが、まさか帰りに自分達がこのような目に遭遇するとは、全く信じられない話だ。
 
幸運にも路肩のエリアが広かった事、左リアタイヤがバーストしたという事もあり、タイヤ交換作業に問題は無いと判断。車が動いて度々ジャッキが外れたり、錆びたスペアタイヤがなかなかはまらないなど、多少、四苦八苦はしたものの、幅の広い路側帯で作業は無事に済んだ。時速80kmを上限にゆっくりと走りながら一路、関西を目指す。
 
私自身は、走りながらのバーストは経験が無いので、助手席でその一部始終を見れたことは、今後のために非常に良い勉強となった。恵那トンネルの様な、逃げ場の無い危険な長いトンネルでバーストしなくてラッキーだった・・・と、皆で語り合う。
 
駒ヶ根Pでテンパータイヤの空気圧を見てもらい運転交代、今度は私がハンドルを握る。85kmになると振動が出るものの、その振動が出ないように80km以下で走れば問題ないようだ。気をつけながらゆっくりと家路についた。
 
21時半、恵那山トンネルに入る。
しばらく走った所で、突然、今度は右後輪から叩きつける様な激しい音と振動!またしてもバーストだ!
すぐさまハザードを出して減速、避難エリアに車を停める。先ほどのHRS氏の対応が、良い意味で私のリハーサルとなっていた。
 
両氏が左側のドアから降りて車を確認するが、右後輪の空気は入っており、異常は見当たらない。先ほどの異音と振動は何だったのだろう?何かタイヤに絡んだだけ?だったのだろうか?狐につままれたような感覚になりながらも、後続の車が十分に途切れてから再出発する。
 
アクセルを全開にして飛び出した瞬間、再度、激しい音と振動が車を包む。やはりダメだ!
次の退避エリアはまだまだ先である。ハザードを点けたままで走る。この調子で走り続けるとタイヤは完全にバラバラになってしまうかもしれない。バックミラーに目をやると、後続のヘッドライトは、まだずいぶん遠い。
とっさに右手・追い越し車線側に見えた退避エリアに向ってハンドルを切り、車の鼻先を突っ込む。ブレーキングの際に少しテールが振られる感じがあったが、ギリギリで停止することが出来た・・・。(ちなみに、恵那山トンネル内は車線変更禁止) 
 
車を降りて詳しく調べてみるが、やはり空気は抜けていない。ところが良く調べると、タイヤ表面が大きく剥離している。恐らく、テンパータイヤで長時間高速で走った為、デファレンシャルの関係で左右リヤタイヤの回転差が生じ、このような状態になったと思われる。やはり1回目のパンク時点で、次の松本ICで高速を降りるべきであった。いずれにしても時、既に遅し。スペアのタイヤも無く、万事休すである。
 
退避ポスト37番。追い越し側斜線を大型トラックや観光バスが、130km近いスピードで次々と脇をすり抜けて行く。もの凄い音と迫力だ。タイミングが悪ければ、我々の車がトンネル内、多重衝突事故の引き金となっていたかもしれない。そう考えると恐ろしくなる。
 
HRS氏が非常電話で話をすると、10分ほどで高速パトロール隊がやって来た。JAFが来るまで約1時間半ほどかかる見込みだという。後続の車がうなりを上げて走り去る中、三角停止板を出して、後方に注意をうながしている。こんな状況で作業をする彼らも命がけだ。我々に一通りの指示を出すと彼らは去って行った。
 
この、追い越し車線側の退避エリアは、火災の際の非難のため、登りトンネル側の退避エリアと通路で結ばれている。少しは騒音も少なくなるので、避難通路で救援を待つことにした。走行中のバーストも初めて、トンネル内の退避エリアに車を止めるのも初めて、当然、避難通路に入るのも初めてだった。
 
コンクリートの退避通路は、まるで薄暗い監獄の通路のようだ。火災の際、扉が開けっ放しにならないように、電機仕掛できっちりと扉が閉まるような仕組みになっている。
ゴーッ、ガチャン!と、自動的にロック?がかかる扉はまさしく監獄だ。そのうえ、車の騒音が途絶えた時、どこからともなく人の話し声が聞こえてくるではないか・・・全身に鳥肌が立つ。上り線の扉との距離は63m。会話をすると自分達の言葉がこだまとなり、向こうから聞こえて来るのだった。
 
薄暗い地下監獄?で待つこと、約1時間40分。保険会社の手配による積載車がやって来る。作業員はドライバーのおじさん一人。こんな状況で積載車に車を乗せるのは命がけの作業である。おじさんに、恵那山トンネル内でこんな風に作業をすることは多いのか?と訊ねると、あっけなく「結構、ありますよ・・・」との返事。
 
積載車の乗員は3名なので、HRS氏が自分の車に乗り、私とTBC氏は積載車に乗せてもらった。そのまま中津川ICを降り、イエローハット中津川店の駐車場へ移動。既に日付は変わっている。翌朝の開店を待ってタイヤ交換を行う手はずとなった。
 
とりあえず私は車中泊を決め込んで仮眠しようとしたのだが、HRS氏はフラフラと歩き始める。近くのコンビニの駐車場に車を並べ、たむろしている若い兄ちゃん達の方に向っているではないか。なんとHRS氏、その車の好きそうな兄ちゃん達に声をかけ、同じサイズのタイヤがどこかに余っていないか?尋ねるというのだ。
深夜のコンビニにたむろする若い兄ちゃん約5名、そこに風体の悪い大柄なオッチャンが歩み寄って行く・・・この出会い、果たしてどうなるのだろうか?私は車から観察することにした。
 
HRSは彼らを驚かせない様、少し回り込み気味に近寄っていく。兄ちゃん達は深夜に話しかけられ、一瞬戸惑ったような感じに見えたが、しばらくすると各自携帯で電話を始めた。知人達に電話をかけて当たってくれているのだろう。しばらくすると2ストのジムニーが排気音を上げて走り去って行くではないか・・・タイヤの当てが着いたので、取りに行ってくれるのだろう。HRS氏の思惑通りの展開となって行くようだ。走り去るジムニーを見て、私は仮眠しておくことにした。
 
1時間を経過した頃、私はけたたましいジムニーの2スト音で目が覚めた。HRS氏と兄ちゃん達もこちらにやって来る。ジムニーイエローハットの駐車場に入って来た。どうやら上手くタイヤが手に入ったみたいだ。
私は車を降り、そこで初めてその若者達を見た。みんな若い・・・遠巻きには分からなかったが、まだ少しあどけなさが残る二十歳前後の若者ばかりだった。
 
ジムニーから降ろされたのは、アルミに装着された高扁平率のスタッドレスタイヤ4本。どうやらアルミはHRS氏の車と同じ種類の物のようだ・・・。聞くとオートバックスなどでセット販売されているものだという。
 
HRS氏は手早く車をジャッキアップしてタイヤを交換して行く。兄ちゃんの一人が「やっぱ手馴れてますね・・・」という。どうやらHRS氏、待っている間の1時間に、AE86で走り回っていた頃や、ヨーロッパで放浪していた時のルノーでの武勇伝を、この若者達に聞かせていたようだ。
「タイヤを探してくれた上に、このオッチャンの自慢話を聞いてくれたんかいな~!ありがとうなぁ~」と私が言うと、皆、爆笑していた。HRS氏、待ち時間の間に兄ちゃん達の心をも惹きつけていたようだ。
 
02:10。無事に4本のタイヤが車に装着された。HRS氏は「これで美味いもんでも食べて・・・」と言って謝礼を渡す。私も若者達に丁寧に礼を言って出発。これで朝の7時までに帰宅できる目処が着いた。後は安全運転に徹するのみである。
 
HRS氏に「どうやって話しかけたんですか?第一声は?」と聞くと、「この附近でメシ食う所がないか?尋ねたんや。」との返事。「するとな、逆に、どうしたんですか?どこから来たんですか?と聞いて来よったんや・・そこで神戸(姫路)から来たことや、明日会社に出社しないといけないTBC氏のことを話しした上で、すぐに装着できる古タイヤが余ってないか?と言ったんや・・・。すると最近の子らは、友人の携帯網ができとるから、直ぐに合うサイズのタイヤが見つかったんや。」
流石、東欧圏を放浪して数々のトラブルを切り抜けてきた輩である。恐れ入った・・・。
 
一方、私が若者達に聞いた所によると、イエローハットの駐車場に運び込まれる我々の車を見て、トラブルではないか?と話題にしていたのだという。不思議な縁の巡り合せだと言うしかない。
 
それにしても、2日間滑った後、休憩も無く、帰宅途上で起きた様々な出来事を経ての深夜~早朝ドライブである。私は多賀から桂川までを運転したが、それは幻覚まがいの模様が見えるほどの激しい眠気だった・・・。5時半、加古川着。マイカーに乗換え6時半には帰宅。今日も快晴、桜が満開となっていた。
 
 
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路肩の退避エリアが十分に広かったこともあり、無事にタイヤ交換を済ませることができた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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恵那山トンネル、追い越し車線側の退避エリア。すごい勢いでトラックが脇を抜けて行く。
(ちなみにトンネル内は車線変更禁止である。)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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約10分後、高速警備隊が来る。
我々に指示を伝えると、すぐさま去っていった。
このままでは積載車の止まるスペースが無い。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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まるで地下監獄の様な、火災時の避難トンネル。
先に見えるのが登り線に連絡する扉である。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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恵那山トンネル、下り37番ポスト
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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1時間40分後、積載車が来る。この時、既に右リヤタイヤの空気は無くなっていた。
それにしても、あの逃げ場の無い恵那山トンネルで積載車に車を積むとは・・・。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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イエローハット中津川店の駐車場で車を下ろす。
その後、深夜の同駐車場で4本のタイヤ交換を行う。
傍から見れば、盗難の最中?と誤解を受け兼ねない光景であった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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5時半、加古川河川敷を走る。
夜明の月が見えている。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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日の出。その後、無事に帰宅。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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帰宅すると、出発前にはほとんど咲いていなかった桜が7分咲きとなっていた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
それにしても、無事に帰れたのは運というかべきか、縁というべきか・・・不思議な旅であった。
 
 
Schi Heil !!