2012/05/12の白馬岳遭難事故に思う。

先日、北アルプス・白馬岳で6名のパーティー全員が亡くなる痛ましい遭難事故が発生した。
 
事故直後の報道では、天候の急変が予想される5月の山で「Tシャツにジャンパーを羽織るなどいずれも軽装で、防寒着などは身につけていなかった。」という一辺倒の情報だけが流れ、ネット上では自業自得との非難・中傷の書き込みが多数飛び交った。また、亡くなられた方達の年齢が60~70代であったことから、高齢者は雪山に入るべきではない・・・との意見も多数見られた。
 
現時点の報道では、「防寒装備、簡易テントなどを所持していたことが判明・・・」という続報が流れ始めている。しかし、登山に興味の無い一般の方が、これら続報に注目することは無いだろう。「軽装備の高齢登山者の無謀」と記憶にインプットされ、それで終わったはずである。
では、今回の遭難の原因は高齢者の無謀だったのだろうか?私は必ずしもそうだとは思わない。同じ状況に陥れば、若者でも生還は難しかったのではないか?今回はそんな観点で書いてみたいと思う。
 
まず、登山をしない方にとって、薄着の行動・・・が理解できない点だと思う。
現実には、春山は寒暖の差が激しく、日中、日が射せば非常に暑くなり、Tシャツ1枚で行動するのはごくごく自然である。汗を多量にかくことは体力の消耗のみならず、急劇に気温が下がった際の「濡れ冷え」に直結する。そのため、衣類は極力乾いた状態に保たねばならない。・・・・であるから、春山で日中に薄着になるのは間違いではない。これは山では年中共通の鉄則である。
 
私は事故直後のニュース画像で、このグループの回収中の装備品を見たが、クランポンピッケル、そして60L程度の大きなザックが複数あり、冬山装備で登っていたと直感していた。山では無駄なものは持てないので、おのずとザックの大きさで装備内容は判断できる。
 
では、なぜ冬山装備を持つ登山者6名が、天候の急変に対して装備を生かすことが出来ず、集団自決とさえ思えるように揃って薄着のままで亡くなったのだろうか?生存者も無く、現場で起こった事は想像するしかないが、当時、歩くことすら困難な台風並の暴風に晒されていた可能性が高い。強風下で、ザックから防寒具を取り出し、着用することが出来なかったのではないだろうか?
先に「春山で日中に薄着になるのは間違いではない。」と書いたが、「急激な天候の変化に対応して、アウターや雨具を直ぐに着用できるよう常に心がけておく。」ことも大切である。
 
小蓮華山から白馬岳にかけての稜線は、場所にもよるがダダッ広く、ここで吹雪かれて停滞した場合、薄着のままであれば若者でも生存は難しいはずだ。そこまで追い込まれてしまえば、私自身、生存の自信は無い。夏山と冬山では、その難易度は大きく異る。生還への道は、冬山装備を活かせる状況に自分を移動させられるか?に尽きると思う。
 
一般的に、山では単独が危険でグループが安全だと言われが、それは単独だと装備を活かせる状況に、自分自身を持って行けなくなる可能性があるからだと思う。仮に、単独の山スキーヤーが滑走中に何らかの事故を起こし、行動不能になったとしよう。自分自身を保温することも出来ず、凍死を待つだけの状態の時に、誰か一人でもそばに居れば、保温に努めることが可能となり、生還に希望が出てくる。グループで山に入るメリットはこの点に尽きるだろう。
 
しかし、一方で、一定レベルのスキルをクリアしていないメンバーが多数存在する“連れられ登山”の場合、リーダーが行動不能になった途端、全体が危機に晒される場合がある。公募ツアーなどで陥り易いパターンだ。
最近では夏山だが2009/07/16のトムラウシ山遭難事故、1989/10/08の立山真砂岳中高年大量遭難事故などが有名である。今回の遭難事故でリーダーの登山歴は長かったというが、グループ全体の雪山スキルがどれほどだったのか?その情報は今の所、まだ得られていない。
 
さて雪山スキル云々を語る前に、まず、当日の天候の変化にどれだけ敏感であったか?を考える必要がある。天気予報によっては早出なり遅出をして、吹き曝しの稜線で天候の崩れに遭遇しない様、時間調整することが、まず何よりも大切だ。これは交通事故に遭遇するような状況に、自分自身を置かない運転を心がける・・というのに似ている。今回、私がGW連休前半に薬師、黒部五郎にチャレンジしたのは、まず天気予報による所が大きい。それでも予報は予報・・・悪い場所で天候の急変に遭遇することは在り得る。今回、薬師、黒部五郎のGW前半の天気予報は、おおよそ晴れマークだった・・・にもかかわらず、実際は29日の夕方から曇り、30日の日中に一時、雪が降り、夕方からは強風と低温に見舞われている。
 
仮に運悪く、天候の急変に遭遇した場合は、躊躇せず一刻も早く吹き曝しの場所から、少しでも風の避けられる場所に移動しなければならない。全力で前に進むか、はたまた後退するか?この移動は素早く、そして何としてでも成功させねばならない。地形やその日の予定、山小屋などの避難場所の有無や位置にもよるが、高度を下げる方が確実ではある。そして、以下、記述する内容は全ては、この移動が成功したという前提での話となる。
 
運良く、“吹き曝しの場所よりも幾分風の弱い場所”・・・に行き着くことが出来れば、まずは体温の保持である。素早く荷物からアウターを出して着用。そしてニットのキャップなどで頭部を冷えから守るのは鉄則だ。このような場所は吹き溜まりになっていることも多いので、スコップ(雪山必須装備)で穴を掘れたら掘る。
 
続いて、ツェルトを引っ張り出して広げて被ったり、防寒着(中間着)に替えたりする作業が待っている。強風の中、手袋をはめた状態でこれら作業を行うのは至難の業であり、慣れが必要だ。つまり、裏を返せばこれらの作業が可能な場所までの移動を、何としてでも成功させなければならない・・・ということになる。
 
うまくツェルトの中で着替えることが出来ればラッキーだが、風雪の中で着替えなければならない場合もある。その際にアウターを飛ばされたりすれば致命傷だ。またアウターを脱ぐ際に手袋を飛ばされる可能性も高い。手袋ひとつ飛ばされても凍傷の危険があるので、予備の乾いた手袋は必須である。
 
首尾良くツェルトを張って、中でお湯を沸かして暖かい飲み物を飲む・・・なんてことは、映画の中の“島崎三歩”ならいざ知らず、可能だなんて思ってはいけない。そのためにもお湯を入れたポットを準備しておくことも大切だ。
 
これら体温保持に関する一連の作業の成否は、経験と体力のどちらが欠けてもダメだろう。それ以外にも、どんな場所に退避出来たか?という“運”も関係してくると思う。また、グループ各個人が一定レベルのスキルを持っており、手際よく連携した退避行動が取れることも大切であり、リーダーの的確な判断を生かすも殺すも全体のスキルレベルと連携次第と言える。また、ここまでしても、必ずしも助かるものではない、助かる確率が高まるというだけだ。
 
今回の遭難事故では、吹き曝しの稜線から退避できない決定的な何かが発生したはずだ。恐らく一人が行動不能となったのだと私は思う。そして全体が稜線で停滞、全員が一気に体温を奪われたのではないか?
もっとも、雪山スキル云々以前に、仲間を見捨てて行動することも出来なかったのであろう。
 
仲間の傍に留まる・・・。自分がその場に居合わせたなら、同じ運命をたどったと思えるのは、この点に於いてである。今回はグループ行動の功罪・・・悪い面が前に出てしまったのだろう。もし、この時点で6名の登山者がバラバラに行動をしていたなら、全員が亡くなるという惨事には至らなかったように思う。
結局、遭難時点で6人中、1名でも死者が出れば、それだけでも一大事である。それを避けようと全員がその場に踏みとどまったとしたら、それを責めることはできないはずだ。
結果論だが、6人全員が亡くなるか、バラバラに行動して1~2名が生存するか・・・そんなことは遭難時点で判断するなど不可能である。
 
以上、つらつらと思うがままに書いてはみたものの、私自身、自分が書いた内容を、いかなる状況下でも的確に実行できるか?それは未知数である。山陰の低山で暴風の中を何度も移動した経験があるとはいえ、北アルプスの高所で未体験の暴風に遭遇した場合、自分がどう変化するのか?全く予測できない。そんな訳で、私は今回の遭難事故を、単に高齢者グループの無謀と片付けたくないのである。
 
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