プルーク暴言A・010号「ある種の歩き方・走り方の存在」

【プルーク暴言A】010号「ある種の歩き方・走り方の存在」

前回は「ナンバ」の語源から、本当の意味での「ナンバ」を調査し、「六方」という言葉があることがわかった。
そして、人間の動作の局面を表現する言葉であった「六方・ナンバ」が、現在では一連の動作・運動を指し示す言葉として、定着してしまっていることもわかった。
また、「六方・ナンバ」の見られる武道の動作から二軸運動の要素も見出すことができた。

今回は話題を「ナンバ走り」や「ナンバ歩き」に移して話を進めたい。

その前に、このサイトのみの造語として左図を定義しておく。なるべくこの法則に則って記述して行くつもりだが、上手く行かなかったとしても意図は理解していただきたい。

※ここで定義しただけで実際にこのような言葉は存在しません。

 

ナンバ走り・歩きとは】

そもそも、「ナンバ走り・歩き」とは何だろう? 元来、「ナンバ」とは舞踊の中に現れる姿勢(形態)を示す言葉だった。それがいつしか「ナンバ走り・歩き」という動作を表現する言葉に修飾して使われるようになった。「ナンバ」という言葉が一世を風靡したのは2003年頃の話であるから、「ナンバ走り・歩き」という言葉が使われ始めたのは、恐らく15年程前のことなだろう。2004年山田洋次j監督作品「隠し剣鬼の爪」では、西洋式現代走りの習得に四苦八苦する武士の姿が描かれている。実際にそんな風だったのか全く不明だが、ナンバというキーワードが世間の話題をさらっていた事を物語る話ではある。

プルーク暴言9号にも記述したが、歌舞伎などの決めの場面以外で、六方の形が出ることを嫌み、それを「ナンバ」と称した。「ナンバ走り・歩き」という言葉は一種の新語・造語であるが、日常生活の場面で「六方」の形が現れるタイミングを「ナンバ〇〇」と言って差し支えない。例えるなら「ナンバ掃き掃除」である。掃き掃除を行う際、自然に足と同じ側の手が前に出るが、その状態を言い表わせばこのような言葉になる。

将来的に「ナンバ掃き掃除」という言葉が使われる可能性は無いと思うが、使われるようになったとしても「ナンバ走り・歩き」のような混乱は起こらないはずだ。フェンシングや空手などの格闘技の構えと同様、掃き掃除は「六方・ナンバ」の形そのものが現れているからである。

※前号でも書いたが、「ナンバ」=「六方」であり、同じ側の手、肩、腰、足が揃って前に出ていなければ「六方・ナンバ」とは言えない。正確には「六方走り・歩き」で良いはずだ。

 

【相反するもの】

このところの流れでは、日本の伝統的動作の一つである「すり足」までもが、昔の日本人がしていた動作の一つとして「ナンバ」の中に組み込まれてしまった。

空手の突きには「順手突き」(ひねり無し)と「逆手突き」(ひねり有り)がある。仮に、どちらの突きが効果的か?という議論が行われていたとしよう。
これを現代の「ナンバ論」にあてはめると、「逆手突き」に相当するのが、明治新政府軍に採用された走り方・歩き方である。そうなると「順手突き」に相当するのは、ナンバの代表格である「六方・ナンバ」「飛び六方」でなければならない。しかし、今日の「ナンバ論」に於いては、それが「すり足」にすり替わっている。なぜこんなことになるのだろうかか? 

何度も書くが、手を動かさない「すり足」は「六方・ナンバ」ではない。この強引ともいえるこじつけが「ナンバ論」が混乱する原因の一つである。そのため、様々な「ナンバ論」に関する書籍では、「昔のナンバと現代のナンバは別物である・・」というような苦し紛れの?意味不明の再定義でつじつまを合わせている。
なんとも矛盾に満ちた理論展開だ。

 

【ある種の共通する走り・歩き】

しかしながら、「現代のナンバ」と分類して良い「ある種の走り方・歩き方」が存在するのは事実である。例としては、前に倒して歩く竹馬、ズボンのポケットに手を突っ込んで歩く、クロスカントリーテレマーク)、ノルディック・ウォーク、そしてモデル歩きなどである。

これらの動きの大まかな共通点としては、体幹のねじれや腰の回転を多用し、手の振りは少なく、それでいて強く蹴らず前方への体重移動を意識して、歩く・走る・・という特徴がみられる。

この「ある種の走り方・歩き方」をすると、実に興味深いことだが足音が小さくなる また、雨の日など足元が滑りやすい場面で有効である。登山や雪山でのシール歩きなどでも効果的だ。

特徴としては・・・
・肩のラインの動きは少ないが、動かして歩くことも可能である。もちろん前方への体重移動を使いながら、同時に強く蹴って歩くことも可能である。末読選手の走りがこれに該当するはずだ。

・肩のラインの動きが少なくなることで「うねらない・捻らない」と称されるが、実際は股関節や腰の周囲の筋肉、そしてインナーマッスルも同時に活用する歩き方でもある。もちろん、肩のラインを動かすのもOKで、モデル歩きの様にも見えてくる。

・通常の歩きに比較すると、前に倒れこむような動きがあるので、背筋やハムストリング、インナーマッスル疲労する。しかし、その分、普通の歩きで酷使される部分の筋肉負担が減少し、特に脚部には優しい。

・腕の振りに対する依存度が少ないので、全体の動きを妨げなければ腕を自由に使える。物を持つのも良し、天秤を担ぐも良しである。 よって、局面によっては「桐朋高校バスケ部式ナンバ走り」のように、踏み出した足と同じ側の手を出すことも可能となって来る。

 

【腕振りの謎・・・】

左のピンボケ写真は、「ナンバ走り」(光文社新書)に掲載されている写真を撮影したものである。この書籍のP72~P85にかけて「桐朋高校バスケ部式ナンバ走り」の写真が多数掲載されている。

実は、同書に掲載されている写真の全てが「六方・ナンバ」になっていない。また「現代のナンバ」の特徴と称される「うねらない捻らない・・・」でもなく、ユニフォームにシワが生じていることから、体幹が捻られていることがはっきりと見て取れる(※残念ながら) 同書、P70の6行目にも「要は体幹が捻れなければいいのである。」と書かれているにもかかわらずである。

右図は「ある種の走り方・歩き方」をする際に必要な腕振りのパターンをモデル化したものである。探せば他に様々な振り方が存在するはずだ。手を後ろに組むような感じでも十分に行ける・・・
つまり、前方への体重移動を妨げないように、タイミングを取ればよいのだ。

この図を見て頂ければ、「ある種の走り方・歩き方」をするのには、必ずしも「六方・ナンバ」は必要でない・・・ということがよくわかると思う。これが、「ナンバ論」が混乱する理由の、大きな柱だと考えられる。

結局のところ、「桐朋高校バスケ部式ナンバ走り」は、腕を振らない代わりに、肩を振っているのだ。

つまり「ある種の走り方・歩き方」のポイントは、前方への体重移動の意識と、腕振りに代わる肩の振り・体幹のうねり・ひねりということになる。手の動きは振られた肩に対するカウンターバランスだといえる。

ちなみに「お手玉の手の動き」だが、NHKドラマ「人情とどけます~江戸娘飛脚~」(2003年)で、主役の本上まなみ小澤征悦がやっていた。折しも「ナンバ」という言葉が世間の話題をさらった時期とも重なる。もちろん、当時の飛脚がこのような走りをしていたのか?それはわからない。しかし、「隠し剣鬼の爪」と同様、当時の注目度の大きさが垣間見える話である。

それにしてもこの腕の動き・・・従来の走り方・歩き方に比べると、本当に多種多様である。いったい何の役割を果たしているのだろう? 次回は腕の振りの果たす正体を考えてみたい。

 

続く・・・Schi Heil !!