【プルーク暴言B】002号

【プルーク暴言B】002号

歴史的社会的変革があった場合、後にその功罪が問われることが良くある。カービングスキーには全く罪は無いのだが、暗黒の10年を語る上でカービングスキーの登場を外すことは出来ない。今回は、カービングスキー黎明期の話題を、思い出を交えながら書いてみようと思う。

1998シーズンは「カービングスキー元年」とされている。全メーカートップ機種のカービング化が完了し、一部のモデルを除きけば、事実上、トラディショナルスキーは消滅した。

現代のカービングスキーと比較すると、トラディッショナルスキーの形状は、ほぼ真直ぐな寸胴状をしている。そのため、ターンを行なうには、回旋、角付け、荷重という3つの操作が必要とされていた。

スキーに限らず、スノーボードも、モノスキーも、Skawlも、テレマークも、その滑りの要素は大きく2つに分類できる。

①ズレ要素が少なく、前進しながら曲がって行くカービング
②ズレ要素が多く、ズレの度合いの差によって方向が決まるスキッド

ちなみに、この2つの要素というのは、男と女、太陽と月・・といった個別要素ではなく、右~左、上~下といったような途切れの無い連続要素である。滑り手は状況に応じてカービングとスキッドという要素を調整しながら滑ることになる。

トラディッショナルスキーでカービングターンを行なうには、少々複雑な手順を踏む必要があった。スキーヤーがスキーの回旋と角付けを行うと、スキーと雪面に「迎え角」が発生し雪面抵抗が生まれる。そこに荷重という要素が加わることで、サイドカーブの効果によりスキーに「たわみ」が生じる。
その「たわみ」に乗って滑るのがカービング技術だった。

しかし、刻々と変化する雪面状況で「たわみ」を維持して滑るのは、それなりの技量を要するもので、私自身、トラディッショナルスキーでのカービングは経験は出来ずじまいとなっている。

そこに突如、深いサイドカーブを持った"しゃもじ"のような形状をした奇妙なスキーが登場する。それがカービングスキーだった。カービングスキーは角付けと荷重という2つの操作で曲がれるとされ、滑走中のシルエットには独特の特徴が現れた。

 

【しゃもじの原点】

カービングスキーの原点は、1992~1993年に発売されたエラン社のパラボリック、クナイスル社のエルゴだとされている。私もエランのパラボリックの実物をショップで手にしたことがあるが、当時としてはその異様な形状に大変驚いた記憶がある。これらのスキーは操作性の点で高評価を得ていたものの、実際、どういったシチュエーションで使うスキーなのか?誰もわかってなかった。

写真は1996シーズンモデルのカタログより、クナイスル社、エルゴ。カタログの写真では、それほどサイドカーブは強くないように見える。テールが幅広仕様だったらしい。

同じ頃、クナイスル社のビッグ・フットというショートスキーが流行していた。ビッグ・フットは従来のスキーには無いフリーな感覚が売りだったのだが、パラレルの壁にぶつかってフェイドアウトしたスキーヤーが好んで使用したという側面も少なからずあり、技術志向のスキーヤーには受け入れられなかった。
(※)ビッグ・フットのフリーな感覚というのは、身体の軸を倒して進む方向を決めるということだった。

考えてみれば、当時のカービングスキーは、あくまで大きなビッグ・フットであり、結果として、遊びで使う補助的なスキーという立ち位置だったように思う。その主流になれなかったカービングスキーが、初めて世間の注目を浴びたのが1996年であった。
(※)追記;実は、カービングスキーの原点は「ビッグフット」だと判明した。
「ビッグフット」の特徴であるターンの切れを活かしつつ、一般スキーの長さにまで拡大したものがエルゴだったという。その「ビッグフット」の販売は1990年。「ビッグフット」というのは商品名なので、当時は「スキーボード」というカテゴリーになっていたそうだ。いかにもスノーボードの影響を受けたという感じである。

Wikipediaより「クナイスル社」→https://en.wikipedia.org/wiki/Kneissl

「Kneissl was credited with the invention of "big foot" skis in 1990. It was also the first company to sell a carving ski in Austria.」

 

カービングスキー、デビュー前の活躍?】

裏付け資料が無く、私の記憶になるのだが、1996年の技術選で優勝した猪又一之が使用していたオガサカスキーが、スノーボードをヒントに作られたカービングスキーのプロトタイプということだった。(白色の謎のスキーという話題がったように記憶している。)これは1994年から技術選で導入された「大回り規制」に対応するために開発された物だったという。このプロトタイプは1997シーズンに「Keo's」というネーミングで販売されることになる。「Keo's」は、トップ機種として他の欧州メーカーに先駆けた世界初カービングモデルだった。
この年、オガサカはスノーボード「SCOOTER」も同時に発売を開始している点が興味深い。

翌1997年の技術選では、ケスレーのカービングスキーを使用した宮下征樹が総合2位となる。宮下征樹はカービング新世代と呼ばれ注目を浴びた。

これら1996~97年の実戦を経た上で、一般市場では1998モデルから全メーカーのトップ機種にカービングスキーがラインナップされ、98シーズンは「カービング元年」と言われるようになる。

また、オリンピックイヤーでもあった98シーズン、WCの話題を独占したのが、オーストリアのH.マイヤーであった。その活躍を足元で支えたのがアトミックβ9.28・・・これがまさしくレーシング・カーブだったとされる。

同スキーは、1998モデルから既に一般レース用として販売されていたが、もっとも、これは表のプリントのみで中身はマイヤーのスキーとは全く別物だったという。私もNEWモデルの試乗会で履いたことがあり、とても操作性の良いスキーだったのを記憶している。

 

【意外な事実】

さて、1998シーズンには全スキーメーカーのトップ機種にカービングスキーがラインナップされたのだが、面白いことに、その形状はトラディッショナルスキーと類似しており、カタログの写真だけでは判別は難しかった。

実は、90年代前半からトラディッショナルスキーのサイドカーブにも変化が起きていた。トラディッショナルスキーの最終型、1996~97モデルでは、トラディッショナルスキーといえども、カタログの写真でサイドカーブの存在が判別できるようになっていた。1980年代のスキーカタログと比較すれば、その違いは一目瞭然である。

中には、ミズノSモード(1996モデル)のように、足元部分のエッジに限ってR13mと、現在のカービングスキーと謙遜がないモデルすら存在した。

既に1997シーズンには各社から、FUNカービングと分類される「しゃもじ形」をした極端なモデルが販売されたが、これらFUNカービングは、思いっきり倒して滑る・・・など、その使用範囲は極めて限定されるものであった。カービング性能を追求すればコントロール性が失われるのは事実であり、そのため、各スキーメーカーのトップ機種がカービング化するのは、FUNカービングモデルの登場からやや遅れてのことであった。

 

【形よりも長さの違い】

このように、カービング元年前後のスキーの形状は、トップ機種に限って言えばトラディッショナルスキーもカービングスキーも大変似ており、カタログ上での判別は難しかった。しかし、そんなトップ機種であっても劇的な外観上の変化があった。それが「長さ」である。

トラディッショナルスキーの場合、使用適合長さは、中級者で身長プラス20cm、上級者はプラス30cm。200cmのスキーを履きこなせたら一人前・・・などと言われていたものだ。

かくなる私も、歴代のトラディッショナルスキーは190cmを愛用。最後に買ったDynaster・クープG9にあっては200cmcm・・・職場のスキー旅行で行った北海道のトマムでは、その長さゆえ車に積むにも列車に乗るにも一苦労。移動の際にとにかく邪魔になった思い出がある。

それが、カービングスキーになると成人男性が170~180、190cm。現代のSLモデルであれば155cmと、まるでショートスキーさながらである。200cmの頃を思えば持ち運びは格段に楽になった。それでも滑走時の安定度は、従来のトラディッショナルスキーよりも格段に良いのだから驚くしかない。

その滑走時の安定性だが、スキーとバインディング、そしてプレートの相互作用により、この10年間で劇的な飛躍を遂げた。カービングスキーといえども、その登場時と現代では全く別物と考えるべきだろう。少々荒れた雪面でも舐めるようにスキーが雪面に追従し、荒れを意識しなくても滑れるようになったのが2003モデルぐらいからであろうか?この頃から、社会全般、全ての工業製品の品質・精度が向上し、小型軽量化が進んだように思う。

ゆえに、現代の技術選などで見られる滑走技術、とりわけターンスピードの高速化は、このスキーシステム全体の安定性能に因るところが大きいと言える。

90年代前半の技術選の映像を見ると、長いスキーをバタつかせながら苦労して滑っているデモンストレーターの姿がある。もし仮に、現代の工業技術で当時のスキーを再現したならば、また当時とは違った滑りの形態が見られるのではないか?と思う。

噂によると、FISの規定が変わり、GSレーシングモデルのサイドカーブが90年代のトラディッショナルスキー最終型と同等のR40mになるという話もある。その時、どういった技術の変化が起こるのか?実に興味深い。

 

【忘れてはならないプレートの存在】

もうひとつ、カービングスキーを語る上で忘れてはならないのが「プレート」の存在である。カービングスキーカービングスキーたらしめたのは、このプレートの存在に因るところが大きいように思う。

カービングスキーの登場と同時に一気に市場に登場した現れたプレートだが、実はWCでは80年代後半に既に高速系の種目で実用化されていた。(※1988年、商品名;ダービーフレックスで市販される。)

最近ではプレートの高さは沈静化の傾向にあるが、一時は木製のカービングプレートの上にプレート付きバインディングを乗せて、滑走面から90mm高というカーバー専用マシンも出現していた。

ところで、カービングスキーというのは、トラディッショナルスキーと比較して厚みが薄い。ゆえに、プレート装着が当たり前のカービングスキーとプレートの装着が無かったトラデイッショナルスキーの、滑走面からブーツまでの高さの差は意外に小さく、約5~10mm、カービングスキーが高くなってる程度である。
(※私の所持するスキーに限定してのデータになるが、Dynaster・クープG9が約45mm、カービングスキーの平均が約50mmだった。)

ちなみに、プレートの役割というと高さを稼ぐためのもの・・・と思いがちだが、本来、スキーのフレックスを活かすために考案されたものである。

理想的なプレートは、土踏まずの下付近の10cm程度が固定されており、その上にバインディングを取り付けるタイプになるのだが、こういったプレートの場合、転倒時に取り付け部分に過大な力が掛かり、破損の危険が高くなる。逆に強度の点から言うと、プレートの前後が固定されている方が都合が良いのだが、この場合、スキーのフレックスを損なう場合も出てくる。

要するに、強度と機能を両立する完成されたプレートというのは、未だ存在してないのが現状なのである。最近では、フリースタイルのスノーボードでもプレートを装着するようになっているという。

余談になるが、先日、1996モデルのマーカーバインディング・M41-SC2を分解整備する機会があった。
このバインディングには「Turbo Selective Control System」という、フレックスを3段階で変化させる機能が付いているのだが、これを実現させるため、フロントのバインディングが金具の上をスライドするよう設計されていた。つまり、今でいうところの「フローティング機能」を、当時、既に実現していたわけだ。これには驚いた。
このバインディングではフレックスの3段階切替えに主眼が置かれていたようだが、この機構を進化させたのが、マーカーの「モーションシステム」ではないかと考えられる。

 

カービングスキーを初めて購入する】

さて、私が初めて購入したカービングスキーは1990年1月に購入したケスレー・エアロスピード7.0(170cm)である。確か2年落ちのFUNカービングモデルということで処分価格となっていたものを、ほぼ衝動買い的に購入したように思う。

カービングスキー自体は、それより約1年前の1997年12月に試乗会で乗り比べしたことがあったので、初めてではなかった。しかし、試乗会のスキーは195cm前後の物ばかりで、170cmという短い?スキーは当時としては経験したことのない長さであった。

使った日の驚きは今でも忘れない。同時期に使用していたスキーがDynaster・クープG9の200cmだったから、ケスレー・エアロスピード7.0は30cmも短く、直進でキョロキョロする印象があった。直進安定性に不安を感じながら半日ほど滑っていたと思う。

ある時、内倒した拍子に、バランスを崩さずそのまま滑ることが出来た。つまり、クープG9は明らかにバランスを崩すポジションでも、倒せば倒すほどスキーが安定し、旋回した。これがカービングスキーの特性だと知ったのはこの時だった。

1999シーズンの私の滑走記録から、滑走時のフィーリングに関して抜粋すると、以下のようになる。

◆ケスレー・エアロスピード7.0(170cm)
・履いた瞬間、スキーがキョロキョロして安定していない。
・前後のバランスが難しい。角付けが緩いと食いつきが全く感じられない。
・角付けが雪面にフラットの時、気を使う。方向性が悪くフラフラしている。
・前後のバランスもシビア。
・倒し込めるスピードで山回りするとトーションの強さを感じる。硬い感じ。
・短いわりに雪溜まりで足を取られても最後の踏ん張りが効いた。
アイスバーンも悪くなかった。長さが短いので小回りはやりやすい。

◆Dynaster・クープG9(200cm)
・ケスレーと違い、ターン前半で、うまく荷重しないと真っ直ぐ行く。
・しなやかで、エッジが雪面に引っかかっている感じ。ケスレーはトーションでエッジングしている印象。
・エッジの感覚が感じられる。エッジが線で雪面に食い込んでいるのが分かる。ケスレーはその当たりが感じられない。エッジが勝手に食い込んでるような感じ。


<<改めて自分の滑走記録を読んでの感想>>
まず、ケスレーの「スキーがキョロキョロして安定していない。」という点だが、170cmという長さは現在のカービングスキーでは長い部類に相当するとはいえ、当時、履いていたスキーが200cmだったこともあり、かなり短く感じられた。現在、155cmのショートカービングスキーでも直進安定性に不安を感じることはないから、これはスキーの特性というよりは、私自身の慣れの問題だったと改めて思う。

<<エッジの感覚の違い>>
ケスレーではブーツとソールが一体になったような、非常に強い剛性感を感じた。適当な例えが無いのだが、スキーブーツを履いたまま、車のアクセルを操作するような感覚とでも言おうか・・・繊細さが無く、ズドンとエッジングする印象があった。また、エッジングしている間は、ガッツリとスキーが雪面を捉えているので安定感があったように思う。
一方、クープG9の「しなやかで、エッジが雪面に引っかかっている感じ。」とか「エッジの感覚が感じられる。エッジが線で雪面に食い込んでいる。」という表現からわかるように、トラディッショナルスキーというのは、ズレやすい性質を持ちながらも、ある程度、浅い角付け角でもエッジの感触が感じられる仕様だったことがわかる。
また、クープG9の場合、しっかりとターン前半でポジショニングしないとスキーがすっぽ抜けることが度々あった・・・。これは、いかにもトラディッショナルスキーらしい特性だったように思う。
これ以降、何度かクープG9を使用したものの、この日から現在に至るまで、カービングスキーを使い続けることになる。

 

【深い内傾角で滑れるということ】

この、「以前よりも深く倒して滑る感覚」に違和感を感じないようになるまで、少々時間を要したのは事実だ。・・・というのも、一旦、エッジに乗って滑ってしまうと、なかなかエッジが外れてくれなかったからだ。これは今にして思えば、少々倒し過ぎて滑っていたのだと思う。つまり、倒せばカービングで滑れるが、倒さなくてもカービングで滑れるということに、当時はまだ気付いていなかった。その気付きまでに数年の紆余曲折があり、その分、1級合格が遅れたのは事実だと思う。

これは身をもって感じることなのだが、「倒せばカービングで滑れるが、倒さなくてもカービングで滑れる」というカービングスキーの、ある意味、性能の幅の広さが、スキー技術の方向性を見失わせ、指導法の混乱を招いた原因となったのではないだろうか?私はこのように思う。

 

【変化は事実だった】

これまで書いたように、カービングスキーを使用した滑りには、それまでのスキーにはなかった独特のシルエットが現れるようになった。これは紛れも無い事実である。「カーバー」と呼ばれるスキーヤーが見せる、極端に内倒した滑りがその典型である。

左の写真は、日本を代表するプロ・カーバー、乗鞍高原スキー学校・奥原いたるプロの滑りである。(※)この奥原いたるプロのシルエットは、極端な内倒で滑っているものの、バインシュピール的で安定感を感じる。その点が「市野スキー理論」で言うところの滑りとは完全に異なっている。

 

左の写真は、NZのとあるスキーサイトから拝借したテレマークスキーでのターン写真である。カービングスキーの登場により、テレマークですら、左の写真のような滑りが可能になった。

 

 


このように、トラディッショナルスキーでは無理だった滑りが可能となったのは事実である。しかし、それでは未来に於いて、あらゆるジャンルのスキーでこのような滑りが見られるようになるだろうか?

ここで確認しておきたいのは、カービングスキーの登場により、このような無茶な?滑りが整地斜面で可能となったが、それが基礎スキー技術の向上に必ずしも直結していない・・・ということである。

デモンストレーターが技術選で見せる激しい滑りは、「自然で楽なスキー」「ハイブリッドスキーイング」を具現化だとされている。しかし、冷静に観察すると実はバインシュピールの延長だったりする。
(※)この件に関しては【プルーク暴言】009号にて記述。

周知の通り、スキー場のエリア内だけでも様々な斜面が存在する。スキーヤーは、整地、不整地、コブ斜面、新雪、深雪と、様々な状況に遭遇し、その都度対処しなければならない。また、一歩ゲレンデを出れば、自然のまま放置された、複雑で多様な斜面がスキーヤーを待ち受けている。

基礎スキー」の基礎・・・という言葉には、ジャンルを越えた「スキーの基礎を極める」という意味があるはずだ。基礎を極めたスキーヤーは、究極のオールラウンダーでなければならない。

・・・にもかかわらず、暗黒の10年でSAJが提唱してきたスキー技術は、ごくごく限られたEasyな斜面しか対応できないものだった。

「スキー教程」と名の付く限り、あらゆるジャンルのスキーヤーが、さまざまな状況下で滑りのヒントにできる根幹の技術が書かれていなければならない。レーサーが読んでも、はたまたモーグル、フリーライド、テレマークバックカントリー・・・しかりである。

「スキー界、暗黒の10年」でSAJが行なった技術的迷走は、まさに愚考だったと言えよう。

 

Schi Heil !!