2015/12/16 摂津本山~有馬往復

(※追記2020/05/27;「大地の子」再放送2015/10/31に重複)
今回、久々の連休があったので、これまで秋の登山トレーニングの締めの行事としていた「摂津本山~有馬往復」のコースを終えた。今季、3年ぶりに登山靴を履いたというブランクもあり、2009年以来、実に6年ぶりのチャレンジだった。


今季は11月上旬の三冷の試験終了後、実に3年ぶりに登山トレーニングを開始したものの、天候に恵まれず、未だ2回しか山に行ってなかった。たった2回で、このコースに臨むのは、下山中に例の「ヒザ痛君」が出ないか?不安を抱えながらのチャレンジになったわけだが、細かなトラブルは多かったものの、無事に終えることができた。
もっとも、締めの行事にしていたとはいえ、今年は12月としては異例の暑さで、年内のスキーは無理だと考えているので、まだこれから何回かは山に行くつもりでいる。

さてこのコース、トレーニングの締めくくりに相応しく、総延長24km、累積標高1600m以上、所要時間6時間以上・・・と、普段にも増してハードな内容となっている。概略は次の通りだ。

まず、始発電車にてJR摂津本山駅下車。保久良神社から登山道に入り、住吉道を経由して六甲山頂の一軒茶屋へ。ちなみに六甲山山頂は少し外れるので割愛。一軒茶屋から裏六甲の魚屋道(ととやみち)を下って、有馬温泉の登山道の入り口で折り返し、再び一軒茶屋まで登り返して、来た道を通ってJR摂津本山駅に戻る・・・とまぁ、考えるだけでも気の遠くなるコースなのである。

このコースにチャレンジするに当たり、意識しなければならないのは下山時刻である。距離が距離だけに下山は確実に正午を回る。おまけに食事などを済ませて帰ると、帰宅は15時頃になってしまう。よって、翌日に残るであろう疲労を考慮すると、以前のようなデスクワークでもない限り、連休の初日に無理にでも行っておくのがベストだということになる。そして、今回、久しぶりに連休があった。そしてこれは冬のスキーシーズンを前にした最後の連休だった。

しかし、前述の通り、天候などの影響でトレーニングがうまく進まず、身体が出来上がってない可能性があった。長年の経験で考えると、この2回の山行の仕上がりはまずまずだったが、異例の長丁場にチャレンジするのだから、こればっかりは何が起こるのかわからない。安全策を取れば、来季に持ち越しである。
決行すべきか?否か?・・・ある意味、苦渋の選択となった。

そして前夜はまたしても雨・・・。これで今季3度目だった。
都市部のアスファルトならいざ知らず、山道は雨が上がってもしばらくぬかるんでおり、普通に考えれば登山は中止にして早朝ランニングである。しかし、前述の通り、連休の初日に済ませておく必要もあるわけで、ある意味、更に決断が難しくなった。それでも、当日の天気予報は、終日、晴れマークということで・・・これならある程度、山道の状況も改善するだろうと考え、決行を決めた。
天気予報を信じて3時半起床、4時半には無事に自宅を出発した。

さて、自宅を出て直ぐ、ザックの腰ベルトの異変に気付く。バックルが割れているのである。どうやら、先日の山行で、アスファルトの道で踏んだ時に割れたようだ。しかし、その後、支障なく使用している。装着してみると無理な力さえ加えなければ行けそうだ。ダメならバンドか何かで固定することにする。

また、駅まで行く間にスマホの登山アプリ「ジオグラフィカ」を起動させる。
前回同様、またしても「ギニア湾」を示し続け、動く気配無しである。とりあえずザックにしまい込んで放置した。今回、またしてもただのお荷物となってしまう。
※帰宅後、「節電の関係する何らかのモード」になっていると、GPSが機能しないことが判明した。

普通電車に乗り、5時半、新しくなったJR摂津本山駅で下車。駅舎改装後、初めてである。
駅舎の雰囲気は、先に改装されたJR灘駅とほぼ同じ構造となっていた。前回、6年前、駅の入り口に駅舎の改装工事の予告の看板が掲げられていたのを思い出す。ホームは手付かずで、以前のレトロな雰囲気を残したままだった。

摂津本山駅といい、灘駅といい、昔のレトロな雰囲気がとても好きだったのだが、半面、不便さもあった。特に摂津本山駅の場合、トイレが極端に狭い上、たった1つしか無かったのは痛かった。今回、トイレが清潔で使いやすくなっていたのはありがたかった。また、駅前に牛丼の「すき屋」が出来ていた。これで下山後のエネルギー補給もばっちりである。

5時55分、駅前で身支度を整えた後、保久良神社の登山道へと向かう。
阪急岡本駅の踏切を渡り、真っすぐ山の方に向かうと10分ほどで小さな公園が見えてくる。その公園を通過して川の横を進んで行くと、道の突き当りが登山道の入り口となる。この登山道から入るのは、実に11年ぶりだ。ヘッドライトを点け、森の中の登山道へと分け入る。

保久良神社の境内は、明るい照明で眩しいぐらいで、早朝登山の人々でごった返している。人々の喧騒を脇目に一人金鳥山を目指す。摂津本山、岡本の街並みの光が美しい。
しかし、前夜の雨で蒸し暑く、不快であることに加え、何かパラパラと空から降って来るではないか・・・雨だった。幸い小雨だったが、本降りになってもこのまま行くしかない・・・と腹を決める。それにしても異常な暑さである。

7時過ぎ、風吹岩を通過。この付近はイノシシの生息地と化しているので要注意である。数年前にはゴンタと呼ばれる雄イノシシがハイカーを襲い、何人も怪我をさせた挙句、最終的に猟友会メンバーに駆除されるという出来事もあった。

案の定、U字型になった細い登山道でイノシシの親子に出くわした。前方でじっとこちらを伺っている。仕方がないので、一旦、後ずさりして登山道の土手を上がり、脇の繁みの方へ身体を避けると、しばらくするとイノシシの親子はイソイソと目の前を通り過ぎて行った。親イノシシの表情を見てると、何となく「すんません~」と、小走りに脇を通る様な感じで、妙に人間っぽかった。脇に避けた際の位置関係が、私の方が1mほど高かったのが幸いしたのかもしれない。野生動物に対して高い位置を取る・・・今後の為に一つ勉強になった。

雨ヶ峠付近で靴紐を結び直していると、袂からピーッという電子音が聞こえた。まさか?GPSを取り出してみるとバッテリーがゼロとなっていた。買ったばかりのエネループを入れていたにもかかわらず・・・である。
この数年、満充電しているにもかかわらず、山に入ってら直ぐにGPSのバッテリーが切れるというトラブルに、それはもう何度も見舞われていた。購入から10年以上経過した充電電池が限界だったと判断、今年は満を持してエネループを購入したばかりであった。エネループは購入直後から充電無しで使えるという触れ込みなのだが、どうやらそれも程度もののようである。※やはり、初回の使用は軽く充電する必要があるようだ。

いずれにしても、自宅でバッテリーチェックした際は全く問題が無かったので、予備は持って来ていない。途方に暮れていた時、ふと、ヘッドライトのバッテリーを使う事を思い付いた。ヘッドライトには単三1本だが、予備のライトを含めると2本ある。電池を入れるとGPSは復活した。しかし、これは雪山ではやらない方が良い最終手段である。※ビバークするなら照明重視。位置確認の必要があるならGPS重視ということになろう。

9時過ぎ、六甲山頂近くの一軒茶屋に到着。スマホから写真をUPしようとするが、信じられないことに圏外である。以前はこうでは無かったような・・・。ついでにデジカメのバッテリーも警告を出し始めた。その後、GPSもデジカメも、下山直後に完全にアウトになったから、今回、電子機器は全く良いところが無かった。
有馬までの下りに備えてアスピリンを飲む。

有馬までの下りは「魚屋道」と呼ばれる歴史のある道である。所々に、「松脂」を採取した跡が見られる松の大木が見られる。9年振りだがこれらの松の大木も健在であった。

一方、台風の影響だろうか?数か所、登山道が崩落して狭くなっていた。その内の一か所はかなり大規模な崩落である。恐らく4年前の台風の際のものだと考えられるが、歴史のある魚屋道が通行止めの処置になって無くて良かったと思えた。

10時少し前、有馬の登山口に到着。若干のエネルギー補給とアミノバイタルアスピリンを追加で1錠飲む。以前のペースから考えるとかなり遅い到着である。一軒茶屋までのペース遅すぎたことを悔やんだが仕方がない。有馬からの登りはペースを150拍/分まで上げることにする。

11時20分、一軒茶屋から遅い下山のスタートである。どんなに急いでも12時までの帰着は無理である。また、急いで転んでしまえば本末転倒である。湿った登山道に注意しながら歩く。急な下り坂の直前で、屈伸をストレッチをおこない、最大限、早いペースで摂津本山を目指した。

12時41分、風吹岩。この頃になるとかなり疲労も蓄積して来た。しかし、ヒザの痛みは出ていない。これなら無事に摂津本山まで帰れそうだ。

13時頃、登山口にある公園まで戻る。ここで軽く身支度を整え、下山直後のエネルギー補給を済ませる。登山用のストックやスパッツ、胸の前に下げているポシェットなどをザックに収納した。早朝とは違い、人通りの多くなった岡本駅前を通過するので、服装を公共モードにする。

13時50分、JR摂津本山駅到着。以前は無かったすき屋でねぎ玉豚丼を注文する。腹ごしらえを済ませ、駅のトイレで歯磨きなど身支度を行ってから、普通電車に乗る。あいにく須磨止まりだった。15時頃に帰宅を果たす。

【タイムテーブル】
05:55、摂津本山(5:55)
07:06、風吹岩
08:58、一軒茶屋(8:00)+58、-12
09:53、有馬(8:44)+11、-5
11:19、一軒茶屋(9:45)+25、-6
12:41、風吹岩
13:21、登山口公園(食事、着替え)
13:52、摂津本山(11:26)+30、-44
(+表示は最速タイムとの差。2006年、5時間30分)
(-表示はガイドマップの標準タイムとの差。標準タイムは往復8時間30分)

【過去の登山トレーニングとマフェトンベースのトレーニング】
さて、帰宅後、過去の資料を調べてみるとこのコースにチャレンジするのは、記録上、5回目だった。そんなに少なかったのか?気分的には6~7回目ぐらいに思うのだが。

もっとも、生まれて初めての、それも、いわゆるハイキングシューズでのロングトレイルが、芦屋~六甲山頂だったわけで、また、一度は芦屋から入り、山頂経由で甲南山手に降りたこともあったので、それらを含めると住吉道は7回ぐらい歩いている計算になる。ある程度、納得はできた。

これまでの記録は・・・
①2004/11/21(?日目)6時間30分
②2005/11/24(12日目)5時間32分
③2006/11/29(14日目)5時間30分
④2009/11/26(04日目)7時間14分
⑤2015/12/16(03日目)7時間35分

それにしても、自分でも信じられないのは2006年の5時間半の記録だ。JR摂津本山から六甲山頂付近の一軒茶屋まで、2時間以内で踏破しており、今回と比較すると約1時間ほど早い。
この2006シーズンは、9月から通算で14回、登山トレーニングを行っており、それも、後半の荷の重量は23kg(水分を含めると24kg以上)であった。さらに、連休の際には2日連続で登山トレーニングを行っており、これが2度あった。これには我ながら呆れるばかりだ・・・確かに、そこまで身体を追い込んでの結果であれば、5時間半の記録も合点が行く。

こうやって記録の時間差だけを見ると、やはり若いころは凄かったなぁ・・・とか、歳には勝てないな・・・などという感じになろうかと思う。しかし、2006年にここまで追い込んでも、雪山では敗退することがあったのだ。この点は大きい。

ちなみに2005シーズン以前の登山トレーニングの記録は正確なものが残って無いのだが、記憶している限りでは、トレーニングを開始した1999~2003年頃は自宅を中心にトレーニングコースを設定しており、自宅~明石公園往復(約10km)のコースで36kgの荷を担いでいた。最後には軽く小走りを行うまでになっていたが、結局、平地でいくら早くなっても雪山では意味が無いことがわかり、集中的に六甲山(摩耶エリア)の登山を行うようになったのが2004~2005年だと思う。そのエスカレートしたトレーニングの終着点が、黒岩尾根~桜谷で荷物24kgオーバーのトレーニングであり、摂津本山~有馬往復5時間半だった。
仮に、2006年までの方式でトレーニングを続けたならば、雪山で敗退をしないためには、更に過酷なトレーニングを自分に課す必要があったのだが、2007年のシーズンオフに、あるきっかけからトレーニング方法が全く変化することになる。

きっかけは、この2006年のトレーニングの次のスキーシーズンである2007シーズンのラスト、双六岳遠征を行った時のことだ。この時は連日の深夜残業に加え、睡眠不足などの悪条件も重なったのだが、これだけの体力を有しながら、有ろうことか?完全にシャリバテ状態となり、メンバーの足を引いてしまった。あれほどまでに強靭であるにもかかわらず、いくら悪条件が重なったからとはいえ、これは無いだろう・・・とい感じであった。

一体、これは何なのか?ネットでありとあらゆるトレーニング情報を集め、最終的に行き着いたのが、トライアスロンのチャンピオンがトレーニングに取り入れ、有名になった「マフェトン理論」であった。
その結果、雪山2008シーズン以降、山行中にシャリバテとなるような出来事は皆無となる。

2006年より前と現在とで大きく違うのは、エネルギー補給に関してであると思う。
当時は山行中にブトウ糖のかけらを頻繁に補給していた。またエネルゲンやヴァーム、シントニックなどのドリンクやサプリ、黒糖やカステラ、パワーバーなど、あらゆるものを試しており、どのタイミングで何を補給するのか?など、かなり細かい点まで拘っていた記憶がある。
現在、私のトレードマークとなっている胸の前に装着しているポシェットは、歩きながら頻繁にエネルギー補給ができる様に・・・との発想からであった。(※現在では頻繁に取り出すカメラやGPS、地図、サバイバルセット、等を収納)

それに引き換え、今回のチャレンジで口にしたのは板チョコ1枚だけだった。
思えば、双六遠征での失敗の原因は、何より遠征ということで、エネルギー補給のパターンが根底から崩れた点が大きいように思う。

普通に考えると、往復24km、累積標高1600m以上の夏山コースを5時間半で駆け抜ける事ができれば、雪山でもゆっくり歩けば10時間を超える山行も楽々こなせると考えられるのだが、それは大きな間違いだったということだ。夏山と雪山とでは求められる能力が全く違う・・・その事実を知る分岐点が2007年だったというわけだ。

 


05:55、JR摂津本山駅スタート。


今日も楽しい?ヘッデン歩き・・・のはずが、蒸し暑い上に、しとしと小雨。


灘区・住吉の夜景。


07:06、風吹岩。


前夜の雨で足元が悪い・・・


ゴルフ場の敷地内を通過、グリーンの脇を抜けて・・・芦屋カンツリー倶楽部の11番ホール。パー5のロングホールだということである。


六甲山頂の一軒茶屋を望む。その前に、最大の難関「七曲り」が・・・


モミジ街道・・・場所によっては真っ赤だったり。


軽い渡渉もある。


七曲りのスタート地点。本庄橋近くの堰堤の掘り起こし作業の為、大規模な土木現場と化していた。


七曲りの椿街道・・・


9時、一軒茶屋。ちょいと待て・・・このペースで行くと摂津本山帰着が13時を回る可能性が・・・と、少々焦り。とは言え、焦っても仕方がない。


強風の雲。下界は蒸し暑いぐらいだが、山頂付近は冷たい風が吹き、体温が奪われる。スマホからUPしようとするが、どういう訳か?圏外・・・。以前は大丈夫だったのになぁ。


整備された「魚屋道」(ととやみち)その昔、有馬~三田方面の魚の行商が、表六甲の住吉道をつないで利用していた。1日2回往復する強者も居たらしい。魚は鮮度が大切だし、恐らく10貫(約37kg)以上を担いだはずだから、そのパワーたるや、私など、近代的登山装備をまとった登山者など、足元にも及ばない。ここを歩く度に先人達のパワーに圧倒される思いである。


大規模崩落の跡・・・たぶん、4年前の台風の時のものだろう。他にも、多くの場所で登山道が崩落していた。


松脂採取の痕跡・・・


本日の相棒は「ガルモント・ピナクル」足元が悪いのでドロドロである・・・


黄色く紅葉した葉っぱ・・・


09:53、有馬温泉の登山口。


このロープウェイを使って戻るハイカーが多い・・・


裏六甲の風景・・・


笹薮を抜ける場所もある暑い時期はうっそうとしているのだが・・・


11:19、一軒茶屋に戻る。ほぼ13時以降の帰着が確実となった・・・


12:41、風吹岩。


夜景から一転、昼の灘区・住吉市街。


13:52、摂津本山。途中の公園で着替えと、軽く食事をしたので、実質、13時半帰着である。昔は、阪急岡本駅周辺の洒落た商店街を、登山装備のまま走り抜け、ここに駆け込んでいたのだが・・・


今回のGPSデータによると累積標高1707m、沿面距離24kmだった。沿面距離は昔からこんなもんだったと思っていたが、累積標高は10年前の計測の時もこんなだったのか?資料も記録も無い。ちなみに猿倉から白馬岳山頂往復が、累積標高1700m台、沿面距離7km弱であるというから、ある意味、体力的には白馬岳よりハードなのかもしれない。(歩き易さの点では比較にならないが・・・)


突出した部分を除けば、おおよそ、きれいな対称形となっているので、間違いはないのだろう。