「雑兵たちの戦場」を読んで(2020/09/08)

終日、この本と格闘・・・
戦争反対が叫ばれる中、なぜか戦国武将は英雄として扱われる矛盾。

もしかすると戦国時代の戦いは、先の大戦のように周辺諸国の民衆に対して被害をもたらすことが無く、武将や武士、侍だけの戦いであったのか?
いやいやそんなことは無いやろ・・・
やっと探しあてた書籍がこれ。

日本は対外的に戦争をしたことが無く、戦場で和歌を詠み合う平和な国・・・とする向きもあるが・・・

1600年代の日本は、ヨーロッパ列強にとっても(本国から離れていることもあり)、東洋でも随一を誇る、傭兵・武器、奴隷の調達国であった。マニラ総督府が、朝鮮の次はマニラか・・と危機感を抱くほどの軍事力を保持していた。

奴隷と書くと、えっ?と感じる向きもあろうが、要は戦乱の中で戦利品となった女性や子供である。人身売買は雑兵たちにとって、効率的なビジネスであった。

鎖国については、ある意味、ヨーロッパ諸外国同士のいざこざ(日本参戦のオファー)に巻き込まれるのを恐れて踏み切った・・・と見ても良い。

これを題材にすれば、戦国時代を設定した反戦映画が作れる。
そんな内容である。

でもまぁ、そんな映画やドラマ、誰も観ないやろ。
面白くないんやろな。

しかし、なぜ戦国武将は愛すべきクリーンなイメージなのだろう・・・

 

さて、「雑兵たちの戦場」を読むと、映画「七人の侍」が、妙なリアリティをもって感じられる。
七人の侍」については、いわずもがな・・ではあるが、僕にとっては、わざわざ劇場にまで出向いて観た思い出の作品でもある。
「雑兵たちの戦場」から鑑みた視点で「七人の侍」を観ると、やや現代史観的な「武士・侍」寄りの視点になっているが、実際の戦国時代の主人公は、三船敏郎演じる「菊千代」のような雑兵達であったといえる。
また、「農村」も受け身ではなく、避難場所として積極的に自分達の山城を構築していた。
七人の侍」が撮られたのは1954年であるが、「雑兵たちの戦場」(2005年初版)を読んでいたのか?とさえ思える・・・

 


 


 


 


 


 


 

台風予測(2020/09/05)

未曽有のスーパー台風10号が近づいている。

ヨーロッパ、北米、日本、米軍のそれぞれの情報を総合的に判断しながら、台風進路をピンポイントで予測が可能である。


①Windy→スマホ専用アプリ有り

台風進路、雨雲情報だけでなく、高層気象、風速、最大瞬間風速、波浪など、各種の表示モードが存在する最強の天気予報ツールである。


情報は、ECMWF(欧州中期予報センター)とGFS(NOAA・アメリカ海洋大気庁によるGlobal Forecast System)の2モードが表示可能である。

ECMWFはメッシュが細かく、長期予報の精度が高いが、3時間予測なので、予報と予報の間に3時間の「間」が存在してしまい、上陸直前の読みが甘くなる。

一方、GFSはメッシュが荒く、長期予報の精度も悪いが、1時間単位の進路予測なので、台風の上陸直前での進路を読みやすい。

このECMWF、GFS、の情報であるが、長期予報について言えば、両者の予測は大きく割れることがほとんどである。しかし、台風接近3日前ぐらいから、ECMWF、GFS、共にほぼ同じ進路予測となる。
よって長期的にはECMWF、上陸直前はGFSを用いて進路を読む。

また、Windyでは、ECMWF、GFS、Meteoblueのデータを、並列でメテオグラム化表示することも可能。風速、最大瞬間風速のピークはこちらで判断する。

 

気象庁・高解像度降水ナウキャストなど

情報更新は5分間隔。予報は1時間先まで。

台風が近づき、GFSが使える頃になると、台風が日本の気象レーダーの範囲に入って来る。そこで、WindyのGFSによる現状(60分更新)と、高解像度降水ナウキャストによる現状を見比べて差異を確認して行く。

特に、上陸1時間前ともなれば、高解像度降水ナウキャストの画面だけを見ることが多くなってくる。

 

気象庁・衛星画像

情報更新は10分間隔。

赤外線モードであれば夜間の雨雲の状況が確認できる。
雨雲の実際の形状と、WindyのGFS表示、高解像度降水ナウキャストの表示との差異を確認する。

 

④米軍・合同台風警報センター
Joint Typhoon Warning Center (JTWC)

最近、わかりやすい、よくあたる・・・と評判。
進路が、昔ながらの中心線表示でとてもわかりやすい。

 

⑤全国各所のライブカメラ映像。
実際の降雨状況や、どこまで風雨が迫っているか?雨の降り出し・・等を確認することが可能。

 

リトル・ブッダのこのシーン(2020/09/05)

 
 数年に一度、このシーンだけが見たくて動画を探してしまう・・・
ラストはよくわからん。どうも、西洋人は東洋思想に対し妙な期待感があるように思える。
 
さて、このシーンだが、シッダルータ王子の「城の外の世界を見てみたい・・」という熱望を叶えるため、王により仕組まれた演出・・・という場面。
当時、映画館へ彼女と観に行ったのだが、この場面の展開がわからずじーっと画面を見つめていた。
彼女が横に座っていることも、心から抜け落ちていた。
突然、王子が立ち上がり、赤い粉を撒く・・・
その瞬間、坂本龍一の音楽が切替わり、大歓声と共に花吹雪の嵐・・・・
あまりの眩しさ、絢爛さ・・目がくらんで、感動の涙が思わず出てしまった。
そんな思い出のシーンである。

 


大観衆を前に静寂が・・・王子はスッと立ち上がり、赤い砂を撒く・・・ 


場面は坂本龍一の音楽に切り替わり、「シッダルータ!シッダルータ!」の大歓声と花吹雪・・・!王子が見えない((笑))


この豪華絢爛さと坂本龍一の深みのある音楽・・・感動で涙が出た。


陰と陽の対比も素晴らしかった。


 

「戦争は女の顔をしていない」(2020/09/03)

第二次世界大戦ソ連戦没者数は、兵士、民間人を含めて2150万人だったとされる。一方、太平洋戦争における日本の戦没者数は310万人・・・

なんと、日本の約7倍にも及ぶ戦没者数であり、戦時中の日本の人口にあてはめると、国民5人に1人が戦没死したことになる膨大な人数である。ちなみに現在の日本の都道府県の人口にあてはめると、東京都と大阪府を合算した人々が、主に独ソ戦で戦没死したことになる。

まぁ、映画を例にはしたくないのだが、スターリングラード(2001年米国)の冒頭、主人公が、ほぼ拉致されたような状態で戦場に護送され、逐次投入され、後方には赤軍が機関銃を構えて逃げ返って来る兵士を射殺・・・的なことが行われていたとされる。(※実は映画スターリングラードよりも前に、ノモンハン事件の調査で同じような逸話を複数、聞いていた。)

(※P127;「旧式の1トン半トラックで志願兵たちが運ばれて来た。老人や子供たちが。手榴弾を2つずつ与えられて、ライフル銃も持たずに戦闘に出された。戦ってそこでライフル銃を手に入れるしかなかった。」)

とにかく、人間を機関銃弾のように次々と戦場に送り込み、祖国防衛を果たした。 

本書は、そんな戦いに投入されたソ連軍部隊の、女性兵士らのインタビュー録である。

祖国防衛に立ち上がった女性たち・・・狙撃兵、衛生係、洗濯係、運転係、通信兵、軍医などなど、様々な分野の証言が本書には集められている。

これら証言の聞き取りは、著者によってペレストロイカ以前のソ連、1978~1985年にかけて行われた。

日本では2008年にようやく発刊され、昨年、コミック化され注目を浴びている。

そのインタビュー人数は500名以上・・・彼女たちが体験・目撃した残虐な行為が、本書では約480ページにわたり延々・累々と記述されている。

本書を読めば、ソ連軍、ドイツ軍、パルチザン抵抗勢力)・・・残虐行為は敵味方に及んだことがよくわかる。戦争に正義もへったくれもない。

こんな内容であるから、ソ連国内での初回出版の際には検閲が入り、また自主的な削除もかなりに及んだという。新版ではこの自主的な削除の部分が再掲載(2002~2004年に再編集)されているのが興味深い。

ソヴィエト連邦にとって、ソ独戦の勝利は輝かしい栄光の歴史である。それに泥を塗るような内容を、戦後30年も経過した後、改めて掘り起こして世間の目に晒す・・・それに何の意味があるのか?俗世な心理を煽って儲けたいだけでは?

例えば現代、SNSでこんな話題を発信することすら同様なのだろう。仲間同士の楽しいやりとりに、水を差すような話題をUPする、その意味がわからない・・・と。

僕は著者の狙いは、従軍した彼女たちの戦後だと考える。苛烈な戦場を生き残り、祖国の英雄として勲章を授与された彼女たちが、戦後、いわれのない差別に従軍を(勲章を・・)ひた隠しにして生きることを強いられた・・・

本書に納められている残虐行為は、沖縄戦満州引揚げの際に発生したものと同様である。敵対するドイツ軍の残虐行為のみならず、パルチザン赤軍の行為も赤裸に描かれている。つまり、簡単な話、従軍したということは性的暴行を受けた可能性も否定できないのである。献身的犠牲で祖国を救った女性たちが、戦後、いわれのない差別から事実をひた隠しに生きる姿を著者は見てられなかったのだと思う。

残念なのは、これら証言が著者との会話の中で記録され、口語のまま活字化されている点だ。主語が飛んでいる場合が多く(あまりにも多い)非常に読み難い。

そしてあまりにも膨大な証言数である。正直なところ、一つ一つの証言に、それぞれ、一人一人の人生が集約されていることは理解できても、最後まで一つ一つ丁寧に証言を追いかけて丁読む意味はあるのか?とさえ思う・・・

昨年、日本人女性漫画家によってコミック化されたが、そちらの方が読みやすい。描写も正確で丁寧だが、ややドラマチックに描き過ぎているきらいがある。

機会があればコミックの全編も読んでみたい。

 


 


 


 

コロナ経過と予測(2020/09/03)

先が見えない・・・とよく言われるコロナ禍だが、こういった予測がほとんど出てこないのはなぜだろう。報道の問題なのか?はたまた日本人の特性なのか?

現時点で、お盆帰省の影響がどのように出るのか?は別問題として、第1波と同様の波の形状を第二波に当てはめると、凡そ10月下旬に第二波が収束する可能性が見えてくる。

第2図は、100年前のスペイン風邪の際に現れた第3波までの推移をグラフ化した資料である。このグラフと今回の新型コロナパンデミックの波が重なっていることがわかる。感染の禍はやや急激に拡大し、緩やかに収束して行く・・・

第1波の際、感染者発表数の推移は、3月の連休や志村けんさんが亡くなったニュース、東京都非常事態宣言、全国非常事態宣言・・・と、人の移動の推移と重なっている。 第1波の場合、約21日でグラフの波に変化が現れていた。具体的には3月21日から始まった3連休の結果が4月11日頃のピーク(情報ソースによりやや違いはあった)となっている。

第2波の場合は、検査体制などがある程度の確立しているので約14日程度でグラフの波に変化が出るようである。7月上旬、東京都の感染拡大が全国に先行する形で進行する中、政府主導のGotoトラベルキャンペーンが開始された。そして7月24日からの3連休・・・この結果、第2波は拡充したが、そのピークが見られたのは8月5日頃となった。

これらを鑑みて、第2波の収束を10月中旬~下旬とみることが可能である。ただし、お盆帰省の影響が出始めるのが9月に入ってからとなるはず・・・なので、影響が現れれば(それはわからない)その分、ずれ込んでいくことになるだろう。

 


 


 


 

粘土場は粘土採集場だった件(2020/09/29)


旧い写真を整理・確認してた時、粘土場の東端にあたる付近の住宅工事の際の写真が見つかった。

この写真は通勤の途中で撮影したものだった。青土のきめの細かさに唖然とした思い出がある・・・と同時に、小学生の頃、漠然と「粘土場」と呼んでいた周辺が、粘土採掘場だったことに気付いた瞬間でもあった。

ただし、まだこの当時は、浜手に瓦工場があった事実を知らない。


撮影は2002年12月27日だった。翌日にはシートで養生されており、見ることはできなくなった。 


高知県の瓦業者のサイトより。瓦用の青土採取場の様子がよくわかる。


 

何でも勉強・・の恐さ(2020/08/26)

今年は不思議な年で、「とある方」の些細な一言によって、個別に考えていたテーマなどが、突然、芋づる式に繋がってしまうような、そんな体験が多い。

その「とある方」にとって、その一言は、日常の一部であり、特別、僕にアドバイスをしてくれた訳ではない。

ところが、そういった「とある方」の些細な一言を、「ひらめき」「インスピレーション」を誘導できる人・・・とみると、そこに一種の「系統」が存在していることに気付いた。

その「系統」に属する人々は、互いに接点の無い世界に暮らしながらも、「系統」で連携し合っているようさえ見える。

 

もちろんそれは、僕自身が日常、心の網を張ってる・・・証明なのかもしれない。

「求めよさらば与えられん」の解釈にも繋がっている。

 

もちろん、その逆もありきで、不調和とカオスしかもたらさない系統も存在する。

昨今、どのような境遇にあっても「勉強になった、学ばせて頂いた!」とさえ言えば、積極性があるとして評価される・・・そんな風潮が強くなり過ぎているように思う。

こうなると、もう、一億総「勉強」時代・・・である。

一方、「学び」が、自分の行動にフードバックされなければ、それは勉強になった(学んだ)と言えない・・・僕はそのように考える。