何でも勉強・・の恐さ(2020/08/26)

今年は不思議な年で、「とある方」の些細な一言によって、個別に考えていたテーマなどが、突然、芋づる式に繋がってしまうような、そんな体験が多い。

その「とある方」にとって、その一言は、日常の一部であり、特別、僕にアドバイスをしてくれた訳ではない。

ところが、そういった「とある方」の些細な一言を、「ひらめき」「インスピレーション」を誘導できる人・・・とみると、そこに一種の「系統」が存在していることに気付いた。

その「系統」に属する人々は、互いに接点の無い世界に暮らしながらも、「系統」で連携し合っているようさえ見える。

 

もちろんそれは、僕自身が日常、心の網を張ってる・・・証明なのかもしれない。

「求めよさらば与えられん」の解釈にも繋がっている。

 

もちろん、その逆もありきで、不調和とカオスしかもたらさない系統も存在する。

昨今、どのような境遇にあっても「勉強になった、学ばせて頂いた!」とさえ言えば、積極性があるとして評価される・・・そんな風潮が強くなり過ぎているように思う。

こうなると、もう、一億総「勉強」時代・・・である。

一方、「学び」が、自分の行動にフードバックされなければ、それは勉強になった(学んだ)と言えない・・・僕はそのように考える。