大変な取り組み(2020/08/26)

大変な取り組みを行っている。それこそ、使用歴20年となるインソールを抜いて歩けるように訓練中なのである。

通勤靴は2019/05/16~、作業靴は2019/07/08~

3ヶ月ほどが経過したが、まぁ、何とか問題無くやっている。夜の部になると、やや足裏の疲れがあるかもしれない。

代表的な写真のインソールは、1999年から使い始めている物で、極端なO脚だった僕の、人生すら変えてくれたアイテムである。1999年以降、スキーブーツをはじめ、日常で使用する靴には、これに似た感触の何がしかのインソールを入れており、一切を抜いて生活するというのは一種のギャンブルでもあった。

一番のきっかけは、インラインでの左足の使い方(20200434)の対策で、アーチを鍛えてみよう・・・という大目的があったのだが、それとは別に、度々、発生するカカトの痛みやウオノメなどの対策でもあった。

靴にインソールを入れるということは、靴の容積が変化する。その分、本来、靴と足が接する位置がかわってしまう。結果として、浅くなる。

インソールを抜くことで、靴と足が接する部分が移動するので、カカトの痛みやウオノメが解消されると踏んだが、全くその通りであった。

本来はハイカットの靴に入れるのが望ましいのかもしれない。

 

時折、インソールを入れて歩いてみて、違和感を感じないようであれば、足裏のアーチはOKである。

 


 


 

マインドフルネス(2020/08/21)

本日の帰宅時、駅のホームのベンチでFbの返信を行い、さぁ改札へ・・・という時、右後方から人にぶつかられた。

「すいません・・・!」

その人物は小走りに先へ行ってしまった。

周囲に乗客はおらず、後方からぶつかられるのは極めて不自然である。

とっさに、右横ポケットに手を伸ばす・・・財布はそこにあった。

改札を出る前の話なので、まぁ、スリの可能性は無いと考えるが、スキがあったのは事実。武道家の端くれとしては、恥ずかしい話である・・・

これも機会だ。常日頃から周囲に意識が配れるよう、帰宅時は勤めて後方へ意識を配りながら歩いてみた。

すると・・不思議なことに、妙な不安を感じてしまうのだった。

それもそのはず、「歩きながら後方に気を配る・・・」という状況が、不安や恐怖が引き金となっているからである。昨今、よく言われるようになった「マインドフルネス」とは逆の状態が作り出されていた。

この「マインドフルネス」だが、簡単に言えば、終日、張り詰めた神経を、一時的に緩めてリラックスさせよう・・・ということである。近年、わかってきたことだが、神経が張り詰めたまま長期間を過ごすと、精神が鍛えられるどころか、精神(脳神経系)が物理的に崩壊してしまうのだという。その防止策として着目されていたプログラムを、2016年にNHKの番組(あの?)が取り上げたことで、広く注目を集めることとなったらしい。

 さて、マインドフルネスを実践すると「自己を俯瞰」できるようになるという・・・しかし、僕はこの逆ではないか?と考えている。むしろ「自己を俯瞰」することで精神が解放されるのではないか?僕はこれまで、フリーダイビングで潜水時間を伸ばすためのトレーニングの過程で、そう意識してきた。

まぁ、そう書いたものの「ニワトリが先か玉子が先か?」的なものはあるかもしれない。

 

 

 

 

 

今年の終戦特番(20200818)

今年も終戦特番が組まれる時期が来た。今年の録画は予定も含めて・・・

綾瀬はるか 戦争を聞く」
「母と暮らせば」
あゝひめゆりの塔
渡辺恒雄 戦争と政治〜戦後日本の自画像〜」
「証言と映像でつづる原爆投下・全記録」
「忘れられた戦後補償」
「#あちこちのすずさん」
「あとかたの街 ~12歳の少女が見た戦争~」
「Akiko's Piano 被爆したピアノが奏でる和音」
「サヘルの旅~痛みと生きるということ」
「原子の力を解放せよ~戦争に翻弄された核物理学者たち~ 」
アウシュビッツ 死者たちの告白」
「戦争童画集」

 さて、これらの録画を視聴するのは、毎年のことながら時間を割くのも大変で、他に本も読みたいし・・・実に体力勝負と言える。正直、僕は映画は一日2本までしか観れない。気分が悪くなるのだ。

・・・が、幸いなことに??これら終戦特番の録画を、全てじっくりと見入るわけではない。「母と暮らせば」や「あゝひめゆりの塔」のように、あぁ・・こりゃぁダメだな・・・と思う番組は早送りか、飛ばし観で済ませている。

ダメだな・・・と思ってしまう理由の一つに「演技や演出の過剰さ」がある。

叫んだり泣いたり・・・で、戦争の悲惨さを表現しようとしているのだろうが、恐らくそれは普段、戦争や紛争のことを考えない日常で暮らしている人々が、想像を巡らせて創作された悲惨さなのだと思う。

そんな中、今年も熱を感じた番組がいくつかあった。

まずは「#あちこちのすずさん」・エピソード「終戦の年の盆踊り」

そして 「サヘルの旅~痛みと生きるということ」・・・である。

特に「サヘルの旅」は強烈で、心理学的にも深いものがあった。

番組は、ディレクターの語りによって、サヘルの2013年に初めてイランの出身地に里帰りするシーンから始まり、育ての親であるフローラさんとの日常、来日当時のエピソードを交えながら、バングラディシュの孤児施設・シングルマザーの暮らす施設の訪問、イラクの孤児施設、そしてISに蹂躙された少数部族の未亡人たちが暮らす施設への訪問・・・へと展開して行く。

 

孤児施設関係では子供たちに笑顔で出迎えられ、別れの際はその人なつっこさに涙しながらの旅であったが、実際にストリートチルドレン達が暮らす現場では、対処法がわからず混乱、自分の無力さに涙するサヘルであった。

(※ストリートチルドレン達は施設の子供達と異なり、眼光鋭く、野生の人間に近い感じを受けた)

(※ある意味、野生のオオカミと対峙するような感じに見えた)

 サヘルはこれまで、里親となってくれた母親のフローラさんに対して、罪悪感を感じていた。フローラさんはサヘルと養子縁組を行うために、あえて(無理やり)避妊手術を受け(当時のイランでは子供をも授かれないことが里親の条件だった)、また、心理学士の道を捨て、家族との縁を断ち、母国を捨て、サヘルを養女にした。

このことが、あまりにサヘルの 

この壮絶な反省を涙ながらに語るサヘルは、バングラディシュの母子家庭施設の母親たちを元気付けるどころか、自分が励まされ癒されていることに気付き始める。

母親たちに「今日からあなたは(私達の)家族の一員よ」と言われ、互いに涙・涙・・・である。

しかし、通訳さんもサヘルの半生を通訳するのは感情が入って大変だろう。

 

かつてのサヘルの敵国、イラク

クルド人自治区の難民キャンプ。NGOの施設に間借りをしているイラン人一家を訪ねる。(ここではサヘルは母国語が通じた)

 

ISと戦いうためにあえて母国イランを捨て、クルド人兵士となったイラン人の青年とその家族。イラン人青年はISとの戦いの最中に白血病を患い、彼を助けるために彼の両親、妹を含めた家族全員が故郷イランを捨て、難民となった。

彼は生きているだけで治療費がかさみ、家族をどん底に貶めたことを後悔している。生きることの意義を見失っていた。家族も同様だったが、しかし、白血病に苦しむ彼を見捨てたり、責めたりはしない。

サヘルは、かつて自分自身が生きる意義を見失っていたことを話る。もちろん母フローラさんが故国や家族を捨てて自分を養女としたことも。

するとその青年の妹が心情を吐露し始める。それに対してサヘルは言葉が見つからず、ただ彼女を抱きしめるのみ。

ところが、似たような境遇の人々が互いに心情を吐露することで、癒しの瞬間が発生することにサヘルは気付く。ちょうど、モモ(momo;ドイツの作家ミヒャエル・エンデによる児童文学の主人公)の能力と同じである。

そしてミッションは更にハードとなって行く。何だか、自分自身に鞭打ってる感じにも見えた。

 

 

 

 

2013年、イラン・ホラムシャハル
2019年2月、バングラディシュ
2019年10月、かつての敵国イラククルド人自治区アルビル
ヤジディ教徒キャンプの施設
「多くの人々が来て、私達の声を世界に伝えると言って帰って行くが、一向に状況は改善しない。」

 

その時、サヘルは人に初めて話をする体験を語り始めた。12歳の時、イランの母親の里に出向いた時、親戚の男性から性的暴力を受けたという

一同、顔色が変わる・・・

「そんな私が、どんな風に人生を生きたらいいのか(これまで悩んで来た)」「皆さんの話を世界に伝えさせて下さい。」

「出会わなきゃならない人がたくさんいた。」
同じ境遇の人々の話を聞くことが癒しになることを学んだ。
そして次のステップとして、女優業など、メディアの注目を集める立場にある彼女は、自分が行動(発信)をする立場にあることに気付く。

 

 

 

 

 

 

 

 


 


 

かつての通学路など・近況(20200817)

かつての通学路の近況など・・・

 


今でもよく利用する踏切。


左;JR神戸線、右;山陽電車 途中に待避所が存在する。

(※今では「ここで待たないように」と注意書き) 


かつての通学路 ・・・


現在、立ち入れるのはここまで・・・ 


 そこがJR朝霧駅


 


 かつて、ここに木橋と木製階段がが架けられていた。 最後に歩いたのは、それこそ30年以上前になるだろうが、 歩く時の足音などは、異様に覚えている・・・


 木製の階段を登り切るとJR線が見えた。 その昔は道が無かったが、線路沿いを西舞子まで行くことができる秘密のルートが存在した。 ただし、線路内になるため、列車が来る際は隠れる必要があり、メジャーでは無かったように思う。


 線路の先は下り坂・・・ 陽炎の揺らめく中、貨物列車の姿がせりあがって見えて来るのは圧巻だ。 大学に進学し、地元を離れる前日に、貨物列車がせりあがって来るのを見たことをよく覚えている。


 

昔の地形が残る場所(20200817)

1990年頃の造成で完全に消失してしまった狩口台だが、唯一、昔の地形が偲ばれる箇所が存在する。

  


1961年(昭和36年)の狩口台の航空写真。


溜池を上に、典型的段々畑の地形。 この地形の痕跡を現在でも垣間見ることができる。


つまり、この4軒の住宅は埋め立て地の上に建てられているのか・・・


かつての粘土場への西の入口・・・


この段差 左手が池だった・・・


この段差 右手が池だった・・・


懐かしい石壁も現存・・・


 

粘土場と煙突(20200817)

明治初期に撮影された舞子海岸と現在の比較。
撮影は舞子砲台跡付近から・・・
昔、舞子駅浜側のマクドナルドがあった場所・・・と言う方がわかりやすいか。

舞子砲台跡付近から舞子延命地蔵の前あたりまで、現在ではマンション群となっているが、その昔は旅館街だった。
戦前はかなりの盛況ぶりだったらしい。

たしか小学校3年の頃だったと思う。
同級生に、この旅館街の、最後の一軒となった旅館の娘さんが居た。西隣は既にボーリング場となっており、ボーリング場のエントランスで遊んだ思い出がある。
ボーリングブームが去った後、周囲は次々とマンションに建て替えられて行ったが、最後までその旅館は残ってたように記憶している。

さらに西に行くとプールがあった。かなり冷たいプールで足も届かない深さだったが、ここで水泳を習った思い出がある。結局、泳げるようにならず、息を止めて潜るようになってしまった。

 


旅館の客なのだろう。浴衣姿の若者・・・
当時の砂浜は100mほど沖まであったようだ。
集落の手前が東川。


延命地蔵は中央の三角屋根の民家、やや右手辺りだろうか。右の石垣が舞子砲台跡。
延命地蔵は正面の松林の先になる。


現在の状況・・・
砂浜はほとんど消滅している。
小学校の頃はもっとひどかったように思う。


こうしてみると、瓦工場のあった付近まで、よく見通せるのがよくわかる。


明治初期の写真を詳しく見ると、白壁の三角屋根の建物が2棟見えるように思うが、あながち間違いではないかもしれない。


 

もしも日本がスウェーデンと同じ政策をとったなら(2020/08/06)

うがい薬が売り切れ続出らしく、驚いてしまった。
ともかく、コロナ予防=インフルエンザ・風邪予防・・でしかないので、うがいは今さら・・という気がする。

多くの人々が意識してないと思うが、インフルエンザ・風邪を完璧に予防することは、とてつもない労力と節制・摂生、注意が必要となる。

加えて、うがい薬の効果も、実は曖昧だったりする。
(※インフルエンザの場合、喉への着床に対してのみ、10~20分以内であれば効果があるとされる)

さて、経済活動の再開が望まれる昨今だが、仮に日本がスウェーデンと同類の政策を実施していたなら・・・という想像に基づいた試算をしてみた。
(※北欧諸国でも特に際立った特異性が見られるのはスウェーデンのみである)

その結果、スウェーデンの人口100万人当たり死者数は、日本の71倍となった。国民性を考慮して、他の北欧諸国との差を差し引いても軽く60倍くらいにはなる。
(※驚くべきはスウェーデンの死者数は、いまだに増加傾向にある)

8月5日時点の死者数

日本(人口約 1億2650万人)
 死者総数 1021人
 100万人当たり 8人

スウェーデン(人口約1023万人)
 死者総数 5747人
 100万人当たり 569人

他の北欧諸国の100万人当たり死者数
ノルウェー(47人)フィンランド(59人)デンマーク(106人)

①日本の人口はスウェーデンの12.3倍なので
5747×12.3=70688人

②逆にスウェーデンの人口当たりの死亡率は、日本の約71倍なので
1021×71=72491人
こちらの試算でも同等の数字となる。
(※裏表の関係なので当たり前ではある)
(※60倍とみても6万人はこえる)

日本でこれだけの感染があれば、医療崩壊は確実である。
スウェーデンと日本にこれだけの差がありながら、スウェーデン医療崩壊が発生した・・・とい話題がほとんど流れて来ない。

その昔、日本の感染症対策は、避病院・避部落に隔離するのみで、医療行為は無く、看護は病人同士で行うか、最下身分の人々が食料を運び、遺体・汚物・し尿処理を行うのみであった。

現在、沖縄は医療崩壊の瀬戸際まで追い込まれているが、
先日視聴した「コロナ 看護師たちの闘い ~東京医科歯科大学病院の120日~」・・・によると、
コロナ病床のひっ迫は、そのまま地域医療の崩壊に直結しているという。

単純な話、保健所や役所を含めた医療業界全体の人員・資産・資金がコロナに乗っ取られてしまう。
一瞬にして地域医療は人員不足・資産不足に陥るのだという。特に「物」は補充できても「人」は簡単に補充できない。その影響は家族の勤務先にまで及ぶ・・・
そして、医療業界から発生した損害は、医療業界だけにとどまらず、巡り廻って地域全体の経済的損失を引き起こす。

結局のところ、経済が死ぬか、医療が死ぬか・・・である。

 


日本の100万人当たり死者数は、なんと 8人・・・


スウェーデンの100万人当たり死者数は、なんと5747人・・・
ちなみにノルウェー(47人)フィンランド(59人)デンマーク(106人)


7万人ほど亡くなっていた・・・?!