エビデンスと導き出される結論のマジックⅡ(2021/09/11)


この「ネジ付ストロー」モデルは、実は下記のスキー論に連結している。それを証明したくて作成したのだった。


我がスキーの師、故・佐々木徳雄氏のサイトより「スキッドターン」 ↓↓

http://olss.jpski.com/QaCarv.html#36.スキッディング


 

スキーの場合、荷重点をスキーのテール寄りに設定してある。このため重心に近いテール側が摩擦抵抗による減速の影響が小さくなり、軽いトップ側よりも先に進もうとする。そこで少しづつスキー滑走軌道の「偏心」が拡大し、結果としてスキーは曲がって進む・・・。
これが進行方向・軸上だとこの現象(偏心による軌道の変化)は起きない。スキーヤーが意識的に「迎え角」を作ることで偏心による軌道の変化が起こる。

実験的にスキーの後端に荷重点を設けたとする(※バインディングをスキーのテールに取り付けたとする) 僕は偶然にも自前のSkwal制作でこれに近い状態を経験した。要するにバインディングの取付け位置を後方にし過ぎたのである。結果、テール側から後ろに滑り出してしまう・・・という惨憺たる結果となり、トリッキーで滑れたものではなかった。

そして大切なことは、抵抗が生じないところでこの現象は起こらない・・・ということだ。大気中(ネジ付ストロー)や雪面上(スキー滑走)だからこそ、このような現象が起きる。

 


そしてカービング・・・包丁が曲がっていては真っすぐには切れない。
もちろん、切る物が存在しない宇宙空間では、こうはならない。カービングは切り裂く雪面があってこそ・・・なのである。


 

要するに・・・

スキーはこの「カービング」と「スキッド」を、スキーヤーが複合して調整しながら滑っている

書けば簡単だが、これをロボットにさせるには凄まじい演算と制御が必要だろう。
そして、このように言い切れるまでに、スキー界は20年近くの歳月を費やしたわけだ。

 

僕自身、思えば、この定理を証明するのに、【プルーク暴言B】006号を書いた当時(2014年)、引用が複雑になり過ぎた感がある。

 

さて、「理論マジック」の話になるが、これは日常、多々、発生し問題を引き起こしていると思う。コロナ禍での議論しかり、戦前戦中の日本の体制しかり、である。
ある結論を導き出すために、細かく理論事実を積み上げて行き、結論を導き出すのが「証明・実証」ということになるが、その際、積み上げて行く理論や事実については、ある一定の「エビデンス」が認められている必要がある。エビデンスの無い積み上げは「仮説・仮定」であり、結果も自ずと甲乙つけがたい曖昧な状態となる。
ところが、相手が気付かない程度のエビデンス無視・理論飛躍を用いて、あり得ない所に到達させることは十分に可能だ。一例を挙げれば「これは人間技ではない。だから地球外知的生物が存在する。」云々・・・

カービング革命」はある所まではそれ相応のスキー理論が書かれている。恐らくベースは1995年版・日本スキー教程と、当時SJ誌に掲載された内容に由来するようだ。そして著者はスキーロボットの制作で知られる大学教授であり、それなりの「格」を有する人物でもある。
そういった学識者なる人物が、スキーに関してそれなりの理論をまとめているわけで、序盤から中盤にかけて、読者は、この書籍の内容について、まず一定の信頼を寄せることになる。要するにエビデンスに基づく事実の積み上げが上手く行っている。
その後、多様で複雑な力学的図面がいくつも登場し、読者は思考停止してしまうが、大抵の場合、それは自分の無知から来るもの・・・と結論付け、とりあえず先に読み進むのである。この思考停止が意図されたものなのか?それはわからない。
そして、思考停止の後、ややスルーしそうなところで、突然、「・・・この結果、カービングターンに必要な内傾姿勢内向姿勢が必要になってくる。」と定義されてしまう。
「ほ~そうなんか・・・」読者の思考は、やや訝し気ながらも、解答を得ることで一気に楽になる。
そしていつの間にか、高速で積極的ターンが可能な「内スキー主導のカービングターン」なるものが完成しているのである。
もしこの「カービング革命」が、きちんと研究され論文化されものであるなら、カービングスキーを使用した高速ターンに、なぜ?内傾姿勢内向姿勢内足主導のスキー操作、が必要となるのか?そこにかなりのページが割かれる必要があるだろう。なぜなら当時、一番そこが読者の知りたかった点だから・・・なのである。

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現在は2021年であり、これらの論争に一定の決着をみているわけだが、当時、このエビデンスの欠如した理論飛躍(一種のマジック)に気付いたスキーヤーも多かった。特に理工系の人々にとっては、結論に至る過程そのものが違和感を感じる内容だったはずだ。

 

Schi Heil !!

エビデンスと導き出される結論のマジック(2021/09/11)

昨夜、泊り勤の際にこんな物を作ってみた。

f:id:skihakuba2drnobo:20210911201346j:plainさて、どちらから先に落ちるだろう・・・
何度やっても、重い方のビスを取付けた側から先に落ちる。

ガリレオの実験・万有引力の法則では「重力による物体の落下速度は、その物体の質量の大きさに依らない」とある。にもかかわらず、重い方から先に落ちるのはなぜだろう?

 

同じペットボトルを準備する。同時に落とすと同時に床に落ちる。同じ物だから同時に床に落ちるのは当たり前である。

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今度は片方に水を入れて落としてみる。ほぼ同時に床に落ちた。

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ガリレオが実験の際に鉛の球を用意したのは、空気抵抗を無視できるよう配慮したと言われている。
真空状態では鉛の錘も羽根毛も同時に地面に着地する。YouTube動画でも確認できる。
月面で同様の実験が行われている ↓↓

 

では、ペットボトルを連結してみればどうなるだろう?
どちら側から先に落ちるのだろうか?

f:id:skihakuba2drnobo:20210911201356j:plain①連結前は同時に落ちたのだから同時に着地する
②実験ストローのように、重い方が先に着地する

果たしてどうだろう?

答えは空気抵抗にある・・・・

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地上に帰還する宇宙船カプセルに、パラグライダーの落下傘を取付け、落としてみる。どちらが先に地面に落ちるのか?は明白だ。

やはり大気圏下では(基本)「重いものが先に落ちる」のだ。

実はガリレオの実験でこの件は証明されている。
ガリレオが証明しようとしたのは、地上で重いものが先に落ちる現象ではなく「万有引力の法則」だった。そのために遭えて空気抵抗係数が小さい(0に近い)鉛の球で実験した・・・とされている。
仮に実験場所がピサの斜塔(高さ約56m)ではなく、宇宙空間からであれば、燃え尽きないことを前提とすれば、次第に空気抵抗の影響を受けて差が生じ始め、重いものが先に地上に到達することになる。

上記、水を入れたペットボトルと空のペットボトル、どちらが先に床に落ちるか?僕の身長では差が発生しない。落とす位置が高くなればなるほど差が生じて、重い水を入れた側から落ちることになる。ネジを取りつけたストローの結果が直ぐに出るのは、その重量バランスと軽量だから・・・ということになる。
やってみるとわかるがこのストローでもビス側が下に向き始めるのに、少なくとも30cm程度は必要なのだ。

 

※下記の実験動画では、空気抵抗の影響を受けない羽根毛が向きを変えずに落ちて行く。圧巻である・・・

 

Schi Heil !!

 

東京2020パラリンピックとチェアスキー(2021/09/11)

東京2020パラリンピックが終わったところで、ふとチェアスキーのレジェンド、大日方邦子さんのことを思い出した。彼女はパラリンピック5大会に連続出場し、長野大会で日本人初となる金メダルに輝いた。獲得したメダルは、金メダル2つを含め、計10個にもなる。これはパラリンピック冬季種目において日本人最多である。

 

何より、SJ誌のコラムが面白かったことを思い出した。

 


ネットから拝借の、大日方邦子さんの滑り。


先日から再び調べていたスキーロボット関係より、チェアスキーに通じるものあり・・・


ネットより拝借の、2007年、NZにて岩谷高峰さんと大日方邦子さん。宿(YMH)も一緒で、この時、僕もここで滑っており、邦子さんの滑りを目の当たりにした。


 

小日方邦子さんとは2006・2007年にNZの宿で一緒だった。YMHということもあり、初日は何と相部屋・・・正直(汗)であった。
確か2007年の滑りを撮影してたかなと今、探している最中なのだが・・・
このYouTube動画が、その当時のものだと思う。

 

邦子さんの滑りがとにかく心に焼き付いている。
僕が撮影した(?)のはフリー滑走だったのだが、健常者でもしんどい荒れた悪雪のゲレンデ・・・彼女の「左官職人が漆喰の壁を塗るが如く」のスキー捌き・・・
動画、見つかると良いのだが。

序盤、ちらっと映る黄色のウェアの男性は岩谷高峰さん。

自然で楽なスキー(2021/09/09)

数日前、「自然で楽なスキー」の自然で楽な・・・は、結果として「手抜きスキー」だったとの結論に至った。

きっかけは、コロナ禍おける紫外線でコロナ予防・・・という「エビデンス無視」の理論を考えている最中だった。この「エビデンス無視」が「自然で楽な・・」と共通している。

これは支持者から、逆にこじつけ論と言われるのだろうが、例えば、トランプ前米大統領の言う「紫外線でコロナウィルスは予防できる。だからこぞって屋外に出よう。」という方法。紫外線は既存のもので、あらゆる生物の敵であり、これは事実・Factである。ところが、これが有効な対策であればCOVID-19によるパンデミックはおろか、風邪症候群もとっくの昔に撲滅されている。この例えは黒酢ダイエット論でも同様である。黒酢のダイエット効果は認められているもののの、ダイエットが完了した方の話は聞かない・・・なぜだろう?

この妙なこじつけ論で思い出されるのが、「自然で楽なスキー」論に振り回された日本のスキー界の「暗黒の10年」である。


僕は先日、「自然で楽なスキー」とは、何もしない「手抜きスキー」だと気付いたが、その「楽な・・」は、単に何もしないこと。ではないか?スキーをそれなりに滑るには、それなりに労力が必要である。
例えば、休日にデリバリーでピザを注文し日がなYouTubeを観ながらゴロゴロ過ごす・・・こんな過ごし方と、自分で生地を仕込んでピザを作り、YouTubeでスキー技術を研究する・・・この違い。どちらを選択しようが、それは自由だし、尊重されなければならない。しかし、健康的な生活・・・という側面で切れば、日がなゴロゴロ過ごすのは不健康でないにせよ、長期的に見ると避けるべきだ。これが自然体で楽な過ごし方・・・だと僕は考える。

ある程度、スキーが勝手に仕事をしてくれるので、限られた条件であればそれなりに滑れる。別にそれで良いではないか? カービングスキーの台頭により、スキーに仕事を任せる部分・・・この範囲が広がったのは事実だった。ところが、スキーが仕事を担う部分スキーヤーが担う部分※2)の区分けがしっかりしておらず、スキーヤーが本来担うべき部分をもスキー任せにしようとしていた・・・と思える。

さらに厄介なことに、※2と「内足主導」の関連も、今で言えば「エビデンス」の欠如したこじつけで、思い出すだけで「流される組織」の怖さすら感じる。

さて、「自然で楽な・・・」と言えばスキーロボットである。スキーロボットというのは初めから自立している。そのようなロボットが倒れずに斜面を滑ったからと言って、スキーの何が解明されるのだろう?

現代の二足歩行ロボット。

もしも脳に障害を負ったなら・・・・立つ・・・という行為は、極めて不安定な代物であり、マネキンを立てる・・・のとは全く意味が違う。

「特に、ATLASはダンスをしながら片足立ちでバランスをとるなど、人間でも難しいと思われるさまざまなアクロバティックな動きを見せてくれる。こうしてステップを踏む姿を見ていると、Boston Dynamicsが実現しているロボットの二足歩行というテクノロジーの完成度の高さを感じさせてくれる。とはいえ、これらのロボットは綿密にプログラミングされた動作を忠実に演じているだけであり、自律的に二足歩行するまでには至っていないようだ。」

もし仮にスキーロボットを・・・というのであれば、この「ATLAS」より先の「自律的二足歩行ロボット」にスキーをさせて、初めて本物・・・ということになる。

自走することでバランスが取れるので、微妙なところだと思う。

 

もし、「スキーの滑走理論のモデル化研究」であれば、1本スキーの下記動画の実験で良かった。これはスノボ、Skwal、スノースクート、モノスキー、そしてチェアスキーに通じるモデルと言える。

 

Schi Heil !!

どこまで秋が来ているか?(2021/09/05)

昨夜から完全に大陸側の空気に入れ替わったようだ。今朝の湿度も57%と低い。

そこで気象データを確認すると、今後しばらく高層のジェット気流と湿度のデータが重複している。これは基本、秋雨前線の位置に重なっている。

これは意外だった。

ジェット気流の流れが安定しているから?なのか、偶然なのか・当たり前なのか?

・・・今後、意識してみたい。

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たまたま感染症のやりとり(2021/09/04)

とある県で季節性インフルエンザ激減の報にある方が疑問を呈してたので返答を。

(2021/09/03夜)マスク手洗い外出抑止・・などの結果とみる専門家は多いです。昨年の2月、沖縄のインフルエンザが激減した時からの流れになります。(※例年、沖縄は本土から遅れて流行するとのこと)ある意味、インフルエンザによる死者は激減したということになりましょうか・・・

返答は実に簡単で、普通感冒、季節性インフルエンザ、新型インフルエンザ、SARS、MERS、COVID-19.....これら全て「風邪症候群」(ウイルスによる上気道感染症)に分類され、治療法は確立されていません。人類がどのようにパンデミックを収束させたか?は、「新型インフルエンザ・パンデミック」「SARS」「MERS」でいろいろ検索して下さい。国立感染症研究所厚生労働省・・などの研究報告を読むことが出来ます。また、山中伸弥教授の「新型コロナウイルス情報発信」にも解説があるかと思います。

試しにネットで順に「風邪症候群」から始めて「普通感冒」「新型インフルエンザ・パンデミック」「SARS」「MERS」で順に検索してみて下さい。優しく解説してあるサイトも多数存在します。
スキーに例えるなら、何がバインシュピール系で、何が自然で楽な系か?おのずと見えてくると思います。

 

(2021/09/03)皆さんの周囲、職場などで、風邪(普通感冒)が激減したと思いませんか? 僕の職場では、設備、警備含めて約20名ほどのスタッフが交代勤務で勤めているわけだが、この1年半の間で、明らかに風邪をひいてると判断できた人は、3名ほどだった。
通年であれば、1人が風邪をひいてしまえば、ほぼ20名で一巡してしまうのが常だったが・・・(※うちはテレワーク不可な業種です)

 

(2021/09/04)この数日、先週のワクチン接種で感じたことの、まとめ記述に取り組んでいた。そんなおり、偶然にもSNS上で少しだけCOVID-19に関するやり取りがあった。
改めて感じたのは「風邪症候群」の難しさである。
「風邪症候群」には、季節性インフルエンザ、新型インフルエンザ、SARS、MERS、COVID-19も含まれている。
通常、我々が風邪と呼んでいるものは「風邪症候群」の中の「普通感冒」と呼ばれるものだ。
だから、COVID-19は「風邪症候群」には違いないが「普通感冒」ではない。ハッシュタグ「コロナはただの風邪」は完全な勘違いである。
現時点で、この「風邪症候群」の治療法(※)は見つかっていない。
何度か書いているが、2007年にマフェトン理論に基づいた登山トレーニングを実施するようになり、風邪をほとんどひかない体質になった。
それ以前は、閉鎖された事務所でのデスクワークや、1時間15~30分の電車通勤という環境もあり、頻繁に風邪をひいた。
その風邪の影響でスキーシーズンの1ヶ月を棒に振ることもしばしば発生していた。
何とかして風邪を防ぎたい、罹患後は直ぐに治したい・・・そう考えて藁をも掴む気持ちで風邪を調べた時期があった。
結果判明したのは、人類が完全に風邪に負けている(※)・・・ことだけだった。これには正直絶望した。
その後、体質改善に成功した結果、偶然にも風邪を克服できたわけだが、この現代において風邪の予防法・治療法が確立されてないのは大変な驚きだった。
僕らは、たまたま「普通感冒」の症状が軽い(※)ため、事無きを得ているに過ぎない。
この状況で2000年代に入ってから、サイトカインストームの発生頻度が高い、新型インフルエンザ、SARS、MERS、COVID-19が発生した。
風邪症候群なのだから、やることは限られている。
それでも人類は、新型インフルエンザ(2009年)SARS(2003年)MERS(2012年)は沈静化したのだ。
(※表現が微妙)

(2021/09/05)昨夜、「現時点で風邪症候群の治療法は見つかっていない」と書いた。

では、先週、僕が接種したワクチンは?
「普通感冒」に対してもワクチンは効果的ではないのか?
「普通感冒」にワクチンは効果的である。
だが、「普通感冒」に関連するウイルス、細菌、他、数千種とも数万種とも言われている。しかも、短期間の間に変異を繰り返している。
これらの全てのワクチンを開発し、事前に接種することは、経済的に不可能ということだ。
しかし、COVID-19の「mRNAワクチン」は人工合成だというから、将来、技術が進歩し、総合感冒薬程度の予算で普通感冒のワクチンが開発される可能性は無いとは言えないのだ。

 

名も無く貧しく美しく(2021/09/02)

高峰秀子主演「名も無く貧しく美しく」(1961年)

何が幸せで何が不幸なのか?それを考えさせるストーリーだが、このろうあの夫婦が、不自由で貧しくながらも幸せで、姉弟らが不幸だ・・・という、単純対比でこの作品を結論付けるのは尚早である。物語の終盤、やや強引に、自分達夫婦は幸せで、姉たちが幸せかどうか?わからない・・・と、強引に結論付ける下りは、現代の視聴者であれば反発を感じるかもしれない。

大切なことは、お金が無ければ生活が出来ないが、その生活に必要なお金を得るために、どこで何をどうするのか?そしてそのために、生活の中の些細なところに幸せが存在することに気付く能力・・・このろうあの夫婦は、社会の底辺で不自由な生活をしているが為に「それが見えている」のである。

この夫婦は決して幸せではない。しかし、幸せである。そして、その幸せはかなり微妙なところで維持されている。この物語の登場人物を少し変化させるだけでとてつもなく物語は変化する。

終盤でハッピーエンドかと思われた矢先に高峰秀子演じる秋子は弾みでトラックに轢かれて亡くなってしまう。幸せとは堅固なものでは無く、そして各人の「視点」なのだ・・・と、そしてろうあ者の置かれた現実を、秋子が亡くなることで、最後に監督は伝えたかったのだと思う。

また、この物語全体にプロレタリアートな雰囲気が流れているが、秋子の母役に原泉をキャスティングしている点で余計にそう感じるのかもしれない。

原泉は戦前の治安維持法下で逮捕歴を持ち、また小林多喜二惨殺の際にはいち早く駆け付けた生き証人でもある。小林多喜二・通夜の写真にて右端に写る洋装の女性が原泉、彼女である。このような関係からも、この作品がプロレタリアート色の強い作品にジャンル分けされると思うが、社会・共産主義崩壊の現代にあっては、労働の尊厳・美しさを伝えることよりも、この夫婦(家族)の、生き続けるためのたゆまぬ努力に視点が当たるはずだ。多種多様な価値観を認め合う現代においては、イデオロギー的対比による白黒的な作品は難しく、現代でのリメイクは困難かもしれない。

何が幸せか?という問いは、むしろ「脳内の報酬系」に話は移るかもしれない。

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