ちくさ高原スキー場ナイター(2022/01/23)

5th. 2022シーズン
ちくさ高原スキー場ナイター(2022/01/23)

2019年2月17日以来、3年ぶりのナイターだった。ナイター滑走如きに3年を要するとは全く不可解であるが、水金土日祝での「明け」もしくは「連休」に当たらなかったり、当日の天候が雨だったり・・が重なり続けた結果といえる。
明けの夜のナイター滑走は、滑走日数不足を補う切り札として、山スキーによる残雪滑走と併せて2017シーズンから導入したものだ。
2017シーズンは遅めのスタートながら、結果、六甲山人工スキー場ナイターを含む、計4回のナイター滑走でシーズン滑走24日を達成できた。これには4月以降の残雪滑走5日も含んでおり、なかなかの好成績といえた。
ところが以降、2018シーズン1回、2019シーズン1回・・と振るわず、2020シーズンに至っては仕事の関係でスキー活動そのものを中断、2021シーズンは0回・・という具合で今日に至った次第だ。
実は今回も今季第一回目として1/12(水)を予定していたが、よもやの悪天候でちくさ高原スキー場が営業中止。これはNZでは日常茶飯事だが、温暖な西日本では異例の事態で、近隣スキー場として遭遇するのは初めてであった。
また明けの当日も、帰宅時に電車が事故で運行停止となったり、突然の左ふくらはぎの痛みと倦怠感も発生・・よもや帯状疱疹、もしくはオミクロン株?と思わせる事態で、順延も考慮するなど、ある意味、試練を乗り越えての滑走であった。
さて当日、兵庫県南部はかなり激しい雨・・昨年までなら即中止の決断となる状況だった。
ところで、今季から滑走不足を補う為、万全の「雨スキー対策」を考えていた。そんなわけで今回は「雨スキー」のテストも兼ねていた次第・・・

 

Schi Heil !! 2022

ス道(2022/01/19)新・スキー道

新・スキー道
スキーは「道」であり「哲学」である・・・
とある高みを目指そうとするところに「道」が生まれ、それに伴い「哲学」が生じる。

 

【道】
スキーは「道」であり「哲学」である・・・

とある高みを目指そうとするところに「道」が生まれ、それに伴い「哲学」が生じる。

ここでいう「道」というのは、剣道・柔道・空手道と同様で「スキー道」ということになる。

昨今は「サ道」(サウナ道)というマンガ・ドラマがヒットした影響で「スキー道」という造語が、僕の考えているイメージにピッタリとはまるようになった。

僕がTOK師匠のサイトで「スキー道」というコラムを始めたのが2001年6月・・・
当時TOK師匠は、野球の神様・川上哲治氏の「野球道」という言葉を返してくれたが、当時と比較して2022年の現在の方が「道」という言葉は使いやすい。

単純に「ス道」ってところだ。

常勤イントラでもない僕にとって、スキーは生存のための必要不可欠な行為では無い。
そんなスキーという道楽・・・に、わざわざ「道」を使う理由だが、スキーという行為を崇高なものに押し上げる・・・そんな作為的なものではない。

先日も書いたように「脳内麻薬」「幸せホルモン」を追い求め、腹の底から湧いて出るもの・・・に素直に従った結果といえる。

マンガ「サ道」では「サウナトランス」が使われたが、その言葉の通り「スキートランス」「スキーハイ」を求めてスキーをするのである。

「道」「哲学」と言いながら、実は本能的・原始脳的な話と言えるだろう。

人は、なぜ山に登るのだろう?
「そこに山があるからだ・・・」
山があれば、確かに人は頂を目指す。
「点の記」、かつての陸軍測量隊が、剣岳を測量登頂した際、オンサイトのはずが、既に平安時代のものと思われる祭器が見つかったという・・・

スキーやカートの場合、それは脳内麻薬の関連する一種の依存症だと僕は考えている。
それはギャンブルが止められないのと理屈は同じだ。ただし、スキーやカート他、趣味で得られた数々のノウハウ・体力は、仕事に・・・つまり社会に還元することで、プラス転嫁することができる。むしろ、趣味での学びが、僕の仕事上の苦境を助けてくれている・・とさえ言える。
そしてまた運転のリスクを冒しながら、脳内麻薬を賞味しに出かけるのだった・・・

 

【武士道】
茶華道、武士道など「道」の文字が付くと、何んだか格式張った儀礼的な要素が目立ってしまい、少し敷居が高くなってしまうと思う・・・だがそうだろうか?

僕は「道」とは、「流儀」や「心得」「理念」「・・シップ」の一種だと考えている。だから、現代の戦場においても「兵士の流儀」が存在し、現代の兵士を、明治以前の日本の戦闘員である武士と言い替えれば、そこに現代の「武士道」が存在するのだと思う。

ただし、ひとつ注意すべき点がある。
それはその流儀が一個人のものではなく、その集団や業界(会社員、兵士、柔道家、空手家、スキーヤー、ボクサー)に属する多くの人々が共有すべき「流儀」・・・である必要性だ。

そう考えると「スキー道」というのは、スキーヤーとしてある高みを目指す集団の、共通の流儀や心得、理念の一種ということになるのだろう。

 

【哲学】(思想→観念)
これもスキーという道楽を、崇高で小難しいものへと押し上げるためのものではない。とある高みを目指す時、そこに「道」が生まれ「哲学」が生じるのである。

例えばスキーにしてもそうだが、初心者から上級者まで、上達のための多彩なカリキュラムが組まれており、それに従ってさえいれば上級者への道は開かれているはずだ。

では実際、講習を受け続ければ上達が保証されているのだろうか?おそらく講習で受けたポイントの意味を理解し、自分のものとしない限り、上達は得られないのだと思う。

トップデモの〇〇氏に教えてもらった・・・で、何がしかのプライオリティが生じるように思われがちだが、まぁ、これはスキーに限らず、勉強も仕事も同様である。

たとえば、我がスキーの師・TOK氏の語録にこんなものがある。

「ゲレンデの大半のスキーヤーが、ターンを仕上げずに終えている。」

この「大半のスキーヤー」というのは、いわゆるゲレンデのレジャースキーヤーを指しているのだが、師曰く、イントラの一部にも該当者は多いのだという。

スキーをやっていると、こういった言葉が意味するところが、突如、天から舞い降りて来る瞬間がある。その瞬間が訪れるまで、言葉の意味を咀嚼し、考え続けることが大切で、それがとりもなおさず哲学的・・・ということになるだろう。

 

Schi Heil !! 2022

雪に身体を預ける(2022/01/17)

2022/01/13の滑走にて気付き

「雪に身体をあずける」

この日は極めて良好な雪質ながら、ザラザラした感じでエッジングがトリッキーとなり非常に滑り難かった。開放から切替えまでの、要するにターンの出口が決まらない状態がしばらく続く。

結果、TOK師匠が滑っていたような「雪面をテールで押し出すようなエッジング」が決まるようになった。→2012 / 02 / 20の滑りについても、その原理が解明出来た。

・インライン20210602の滑りに類似。ただしインラインとは荷重の方向が違う。

・両足をそろえてチャクラ的に「かかと・テール」で雪壁を壊して、それでずれて行く。状況に応じて少し「腰入れ」しても良い。きれいな弧を描くことが出来た。

・ターンへの入り方(谷回りへの入り方)については、今季これまでの「新スキー論」が通用する。

・これまでに無い操作感覚。脚部の動きや腰のアングルなどが最小限の動きとなる。

・実際の生活の中で類似的に感じるのは難しい。

・「代かき・レーキ」の動作に似ているかも。

・ターン前半は新スキー論的に前ズレする→直滑降的に縦に落ちる感じでも良い。
 →完全にテールに体重を預けてテールが雪面を押し削って行く感覚。

・ターン横方向でのズレ回し/完全に体重をあずけ切る・・という操作がこれまで無かった?→では今までは何だったのか??

・他の雪質、重雪・クラスト、アイスバーンではどうか?

 

【TOK語録より合致している点】

「トップは要らない」「ブーツ浅くて硬い方が良い」「受けるだけ」

・ズレと除雪抵抗・雪を動かす、押しのける、の違い。
・体重を載せて雪の海に沈んで行くような。
・トップが返って来る。テール中心の滑りとなる。
・任せる。動かない、むしろ縮む感じ。
・全体的にアクションが少なくなり、滑りを雪に任せる感じとなる。
・硬いブーツの方が合っている?
・ブーツは浅くて硬い方が良い。
・ブーツのたわみとか、関係無い?
・雪質によってはズレのコントロールが難しい場合があるかもしれない。

 


もちろんこの事だけをTOK師匠が伝えようとしたわけでは無いのだが、師匠自身が苦慮していたのではないか?と考える。

 

今この瞬間を大切に(2022/01/17)

「今、この瞬間、快調に過ごせていればそれで良い。」という考え。

懸案事項を羅列して対策を講じるのも不安を取り除くために大切なことだが、先に不安を感じると、今、何も無いのに不安に駆られてしまう。これは心理上良くない。

考えるに「不安感に駆られる」というのは、知力がもたらす予見によるもので、知的生物である人間独特のものではないのか。

若杉高原大屋スキー場(2022/01/13)

4th. 2022シーズン
若杉高原大屋スキー場(2022/01/13)

本日は大荒れの予報だったので近場の大屋を選択した。前日は強風のためちくさ高原スキー場は八方みたく爆風運休。ヨルチクサの予定は中止となる。

難所の若杉峠(県道48号)の除雪などを考慮し、自宅出発を5時少し前とした。
(0436時出発→0700時着)リフト運航は定時の0815時だった。

1本目はHEADでパウダーを滑るが、既に荒らされており、また雪質もザラザラ砂のようで今一つ。2本目からはフォルクルに交換。大屋だと用具チェンジが可能なところが良い。

本日は偶然ながら、極めて大切な気付きを得た。コロナ禍で滑れなかった2020シーズンの気付き→2021シーズン検証の「新スキー論」は、谷回りでの気付きだったが、今回は山回りでの気付きである。

本日は、大屋にしては極めて良好な雪質ながら、ザラザラした感じでエッジングがトリッキーとなり非常に滑り難い状態だった。
開放から切替えまでの、要するにターンの出口が決まらない状態が続く。

そんな中、TOK先生が滑っていたような「雪面をテールで押し出すようなエッジング」が決まるようになった。

そこで感じたのは「雪に身体をあずける」ということ・・・
では今までは何だったのか?大いなる謎・課題となった。

 

さて、「雪に身体をあずける」滑りというのはどういうものか?TOK師匠の魅せた滑りが、そのイメージに一番近いのではないか・・と考える。


この滑り・・・単なる「ずらし」の滑りなのだろうか?
当時、この受講生全員が真似出来ずに終わった経緯がある。

ゆっくり滑れないのだ・・・

当時の雪質では結果的にスキーが湿雪に噛んでしまい真っすぐ進むしかなかった。そこをスピードでごまかしながら滑る・・そんな感じだったのだ。

 

Schi Heil !! 2022

若桜氷ノ山スキー場(2022/01/06)

3rd. 2022シーズン
若桜氷ノ山スキー場(2022/01/06)

本日が実質、今季初の本格的滑走となった。雪質は極めて良好で、この数年、アイスバーンばかり滑っていたのがウソのようである。

本日は、2004シーズンにブレイクした「腰入れ」を積極的に使ってみようと考えた。
新スキー論・第3の滑りのリズムついては、2シーズン目でもあり、ほぼ身体に馴染んで来きている。あとは「コンパクトターン」をいかに実現するか?である。

加えて本日は、試行錯誤の末、以前から気になって、かつ見えてなかった「スノーボード的な切替」のメソッドが見えてきた。

 

Schi Heil !! 2022

角付け(2022/01/05)

野麦峠スキー場で活動するOkky氏が、こんな事を書いていた。

「荷重は普段の生活の中でどんな感じ動けばどれくらい足裏に体重が乗ると実感できるのですが、角付けに関しては直感的につながるところがなく、それで挙動に意識を集中しないと自分がのぞむターン弧になりにくいのかなと思って滑っていました。」

この文章を読んで僕は、これまでのスキー論では、どれぐらいの角付けでどれぐらいの回転弧が得られるか?この点についての研究や明確な伝承はあったのかな?と思った。

それもそのはずで、得られる回転弧というのは、スキーのサイドカーブのラディウス(R)と、スキーのたわみ具合、そしてスキーのズレ具合により変化するからだ。つまりスキー操作の局面に応じて、得られる回転弧は千差万別。そこまで深く探求する必要も、探求した人物も存在しなかった・・・のだろう。

一方、航空工学ではどうだろうか?こういった事象は深く力学的に検証され、まとめられている。というのも航空機が墜落すれば社会的惨事であるから、当然のこと深く研究は成されるのである。

かたや、TOK師匠はどうだったであろう?角付けに関して何か言及があったような記憶も無く、ネット上の知り得る範囲での記述も無い気がする。

一晩考えてみたが、得られた結果は、TOK師匠なら、恐らく「そんなのいらないよ。」ではないか。

イメージングと足裏で得られる圧感覚(強さ・圧の来る方向など)と、タイミング(リズム・加圧とリリース)でターン弧は決められ、エッジ角はそれに伴って深くなったり浅くなったり・・・となるだろう。恐らくエッジ角というのは、2次的に得られる結果で、エッジ角の調整が滑りの目的ではない・・・そんな返事が返って来る気がする。