振れているか?(2021/11/12)

【腰痛防止に・・】
このところ眠い。昨日も明けの正午から夕食を挟んで、全て就寝。先週の11/06~07などは20時間睡眠である。

さて、寝るだけで「身体が硬化してしまう・・」と感じるようになったのが、30歳過ぎたぐらいだったろうか?もちろん、年々それはひどくなって行くのである。対策としていろいろなエクササイズがあると思うが、僕がこの10年ほど、必ず起床後に実践しているのが、居合練習刀による素振りである。

方法は至って単純で、全身を脱力して練習刀を左右に振る・・・という単純なものだ。重さも長さも練習刀がちょうど良く、加えて「刀を振る」という動作も身に付けることができた。

振る物は、木刀や竹刀、ゴルフ・クラブ、など、何でも良いが、ある程度の慣性重量があって、左右に振った時に余韻が残る物が効果的。いろいろ試したが、居合練習刀がバランス的にも一番良かった。

今朝のように、ヤバイぐらい身体がガチガチになっている時は、20分ぐらいかけて、肩の付近から少しづつ解して行く。もちろん炊事などの家事はその後である。・・・でなければギックリーが待っている。

【日本刀は軽々と振れるものか?】
昨今、日本刀をライトセーバーのように振り回すシーンが登場するアニメが流行しているが、反った日本刀を振るのは生易しいものでは無く、ましてや振れているか?となると、かなりの修練が必要になる。

正直なところ僕は、物を振る・・・ということに全く不慣れで、理解も出来ていなかった。であるから、2007年に職場の仲間に誘われてゴルフを始めた時の苦労は相当なものだった。不思議なことに、得意のバドミントンのラケットは振れるのに、ゴルフクラブは全くダメだった。

居合練習刀を振れるようになるまで、足掛け2年ほどかかったように思う。
そうしているうちに、バドミントンのラケットや、空手の突き・蹴り・・などの共通点も見えて来たのだった。そしていつしか、日本刀を理解することで映画やドラマなどの見方も変わって行ったのである。

時代劇の殺陣が、写実的に描かれるきっかけとなった映画として山田洋次監督「たそがれ清兵衛」がある。以降、時代劇(映画)をよく観るようになった。BSで放送のあった藤沢周平シリーズは全て観ている。

練習刀が振れて来ると、改めて見えて来るものがある。

今のところ観た映画・・・にはなるが、殺陣の上手い俳優さんの中で、断トツと言えるのが三船敏郎・・である。

「用心棒」の初見が1980年頃だったろうか?今でもお気に入りの作品だ。

白黒時代の三船敏郎出演作もかなり観たが、そんな中でも実際に「切れている」のが、「用心棒」中、夫婦を逃がすために襲撃に遭ったと見せかける様、小屋の中を壊すシーン。

このシーンでは撮影用の竹光ではなく実刀を使っているようだ。

複数の共演者が回顧しているが、三船敏郎という人の身のこなし(身体能力)は、現代なら総格の試合に出場して良いぐらいだった?と思う(・・・そのように見える)

とにかく、このシーンでの破壊力は並外れている。

そして、殺陣指導は香取神道流「杉野嘉男」・・・

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下書き()

 

探求の目的
ある種の歩行→元気なはずなのに足が前に出ない、困憊しているとき、軟弱斜面の登高など→気付きからスキーへの応用。

 

「崩し」ではなく「崩され」
腕を振る…ではなく、振られ
「肩・上体」の「崩し」+脚の直線的な「前後の運び」=
(により)=残した足とのひねりが生じる
脚の運びは、内→外、で「ハの字的」になる。

 

【回復 】
①21時台には必ず就寝。
②翌朝までアミノバイタル
③以降、黒酢ドリンク。
④翌日の21時就寝は必須。
⑤食事に何か濃い物?トンカツやスペアリブ

 

・笑いの脳の状態→すっとする
・目の周囲の弛緩。弛緩できない場合、何かを我慢している。
・後方を意識すること=昔を思い出すこと→心理的に似てる?
アロマテラピーの香り・香草をイメージしても効果あり  
・心の状態は体調と同じで、日によって違う。
・快楽を感じるのは頭部だが、不快感を感じるのは腹部(自律神経系)
 →不快感が頭まで上がって来ると怖い?(頭に来る)
・マインドフルネスの考え方=一時的にでも心を開放すると効果あり
・「俯瞰」を意識すると心を解放できる
・笑う表情を作ると脳内の状態がリラックスする
・笑う=肯定、怒り=否定
・悪い境遇=否定=怒りとなる→これを→悪い境遇=受容=笑顔
・肘の力を抜くと肩が脱力する

 

 

回転と直線運動の組み合わせ。取り出したい動き。

左右ではなく円弧→慣性力。

物を左右に振り続けて気付いたこと。それは、
人間の動作というのは、直線的運動と回転運動の組み合わせで成立しているという視点。
加えて、動作する部位と背骨を中心とした対極に位置する部位とのカウンターバランスによる交差と運動の相殺、背骨を中心とした交差。
例えば右足を出す動きでは、右腰が前に対極にある左腰は後ろに、右手は後ろに、対極にある左手は前に、その右手と左手は背骨を中心とした軸による回転運動をする。
またこの時、肩のラインと腰のラインは、背骨を中心として交差(ひねり)を起こす。
ヒンジを伸ばす動き
単純に軸線上を左右に動かすだけではなく、軌道をカーブさせて慣性力をつなぐ。

ひたすら練習刀を振り続けて気付いたこと。それは回転運動に内包された直線運動。

 

 

懐かしのザウス(2021/11/07)

mrrnさんのブログネタより、船橋ベイエリアにかつて存在した屋内スキー場・ザウス(SSAWS)の閉館から、凡そ20年が経過したことを知った。ザウスのオープンは1993年7月・・・閉館は2002年9月である。9年と3ヶ月の、長いようで短い営業期間だった。スキーヤー目線で「現存してくれたら・・・」と残念に思う反面、今思えば、切りのよい営業期間だった・・・とも思う。

というのも、2011年の東日本大震災、また、2019年台風災害(長期停電)により、この超巨大施設は如何なる被害を被り、そしてどのような変遷を辿ったであろう。加えて、コロナ禍で更に冷え込んだスキー・スノボ事情を考慮すると、引き際は良いタイミングだったとも思えるのである。

さて、改めて調べると、僕の滑走は合計4日・・・

初回は1996年10月06日、会社の同僚たちとディズニーランドツアーを行った2日目、別行動で滑りに行った。
2回目もディズニーランド絡みである。1999年9月15~16日、職場の組合主催のディズニーランドツアーに便乗。完全に別行動で1泊2日の滑走である。
3回目の遠征は1999年11月27日、仕事関連のスキー仲間との遠征だった。この時は、奈良、愛知へと、車に相乗りしての遠征だった。

最後の滑走である1999年以降~2009年までは、夏にNZへ滑りに行った関係で縁遠くなってしまった。それでも真夏の日本でスキーができるのは大変な魅力といえる。当方からだと、往復の交通費、滑走代、宿泊費を含めると5万はかかってしまうので、何かの折に抱き合わせで行くことにはなっただろう。

さて今後、日本にこのような大規な屋内型人工スキー場の建設はあり得るのだろうか?スキー・スノボ人口の減少や、国内経済の状況を考えると、新たな計画は厳しいと考えるのが妥当だろう。

ところが海外では、地球規模の温暖化の影響もあってか?屋内型人工スキー場の建設計画が複数進行中である。また、国内ではアウトドア体験型の大規模施設が目白押しとなっている。

レジャーのトレンドが少しづつ変化してきているのだ。

コロナ禍前、東南アジア方面からのインバウンドが多いとされる関西空港・・・その周辺のスキー場では、スキー期間中、インバウンド需要で大変な活況を呈していた。

2017年に日本で14年ぶりの新規スキー場となった峰山高原リゾートホワイトピークだが、なぜ今、雪無しの関西圏にスキー場新設の不思議?が、かなりの話題となった。

実は国内的に見ても人工降雪機主体の関西の老舗スキー場、六甲山スノーパークが絶好調なのである。峰山高原でも、内陸地域独特の冷え込みを利用した人工降雪機を備えたコース運用と、京阪神から90分という立地条件でインバウンド需要を見込んでいたのだった。

実は昨今、スキー場経営のトレンドは、①人工降雪コース、②都市近郊、③緩斜面主体、④小規模運営、⑤通年営業(夏季アクティビティ)へとシフトしつつある。これは先に書いた「アウトドア体験型の大規模施設の増加」と重複するものである。(※小規模スキー場の運営規模が一般的大規模施設レジャー施設の規模に類似)

このようなスキー場経営のトレンドの変化は、根っからのスキーマニアである僕にとって、論外で意味のないものである。しかし、本来、スキー場経営というものはマニア主体で考えるべきでは無いのかもしれない。

実は大阪のベイエリアの埋め立て地は、空きが多いという。外貨獲得の目玉として、カジノ建設一辺倒の思考ではなく、関空近辺の空き埋め立て地に屋内型人工スキー場が計画されても良いのではないか・・・と思う。

ザウスのアキレス腱となった空調の運用経費だが、昨今の冷凍技術の進歩で家庭用のエアコンの電気代は30年前と比較して1/3程度まで下がっている。
実際、空調管理業務のトレンドも、ガス吸収式冷温水発生機による大規模な一括方式から、小~中型の電気式ヒートポンプを複数台並べる方式へ変わってしまった。その方が機器の更新費用なども含め、長期的に見て安上がりとなったからだ。
加えて、太陽光発電などの最新のエコ・環境技術を駆使すれば、運用経費はザウス建設当時と比較にならないほど抑えられるように思う。

それよりも危惧すべきは災害対策である。2018年の台風20号で壊滅的な被害を受けた神戸市の須磨海釣り公園は、被害から3年を経過してなお、復旧の目途が立っていない。

先にも書いたが、もしザウスが現存していたなら、関東地方を襲った2つの災害でどのような結末を迎えたのだろう?と思って止まないのである。

 

↓ すばらしいレポート・・・

 

1996/10/06「写ルンです」にて撮影(実際の内部照明はかなり明るかった)

f:id:skihakuba2drnobo:20211107131221j:plain舞浜から4駅。南船橋の駅を降りるとそびえ建つ巨大建築。

f:id:skihakuba2drnobo:20211107131217j:plain隣接するオートレース場。元スマップの森且行が走るのをこの日、見た。

f:id:skihakuba2drnobo:20211107131225j:plainコース内、実際はもっと明るかった・・・

f:id:skihakuba2drnobo:20211107131229j:plain緩斜面はダラダラだったが・・・

f:id:skihakuba2drnobo:20211107131234j:plain急斜面はかなりの勾配で魅力あり・・・雪質も変化せず、片斜面でもないフラットバーンはトレーニングに最適だった。

 

【日記的なものより】元総務若い衆メンバーによるディズニーランドツアー
96/10/05(土)
3:05  起床
5:13  出発
5:22  山陽電車 西舞子
5:34  JR舞子発
5:57  三宮
6:10  新神戸  谷口と会う
10:15  東京着
10:23  舞浜行き 3.4番線
10:40  舞浜着  予想に反して雨模様だった。
カリブの海賊  ウエスタンリバー鉄道  ビッグサンダーマウンテン  トムソーヤ島
(ビッグサンダーマウンテンに乗る頃は雨も小降りになり、
逆に人出が少なく待ち時間も無かった。)
昼食は地図の⑬プラザパビリオン・レストランで食べました。
シンデレラ城  ホーンテッドマンション  スプラッシュマウンテン  トゥーンタウン
みやげ購入  
6:40  夕食“レストラン北斎” かなり高かった。
そうしているうちに夜のパレードが始まったので見に行く。
8:30  花火
千葉マリン行きのマリンライナーに乗る。一度、間違えて違う方面行きに乗った。
夜の闇に“スキードームザウス”が見えていた。
10:00 海浜幕張から徒歩でホテルフランクスへ
夜の映画は“ターミネーター2”が 1時間おくれでやっていた。
他のメンバーは“千葉マリンスタジアム”の前までいっていた。

96/10/06(日)
7:00  一人で朝食
7:55  ホテルフランクス出発
8:02  海浜幕張駅到着
8:30  南船橋
9:30  滑走開始(詳しくは“スキードームザウスにて”を参照)
12:20  滑走終了
12:59  みやげ購入後、キャッシュ終了
オートレース場へ徒歩で向かう。4戦ほど見た。
2:30  オートレース場を出て“ららぽーと”へ向かう。ららぽーとハイパーマートを小さくしたような所だった。おそい昼食ハンバーガー。
4:30  東京駅着
メンバーと連絡を取ろうとするが最終的に携帯につながらなかったので単独行動にする。みやげの購入  夕食(ハヤシライス大盛り)土産をわすれた!  身仕度をする
5:35  東京駅発  楢崎さんを残して…
8:55  新神戸到着
10:00  帰宅しました。かなり気温が暑く感じた。


スキードームザウスにてエキスパート・レンタル

8:30 開門前、既に人がかなり並んでいた。メットを被っている人、ダウンヒル用のポール、フィッシャーのGSプレート付きモデル等…本格的にスキーをやっている人々ばかりであった。(関東の大学のスキー部は全員集合って感じ)
しかし、開門してからチケット売り場まで行くのに15分ほどかかったにもかかわらずレンタルコーナーは人もまばらでマテリアルのエキスパートレンタルの出口で人気の無い所でブーツを履いていたらミズノの里吉デモがいたので写真を撮って頂いた。
リフト待ちは5分ほどで、上級コースは人もまばらであった。
上級コースは始めの1/3ほどが中~急斜面で残りは中級コースより緩くただ流しているだけであった。しかし、急な部分が結構あるのでやはり上級コースへ行ってしまう。
気温は-4℃で気温によるコンデションの変化は無い。終わる頃には足の裏が冷たかった。
天井のカラーはブルー、係りの人は皆若く、とても良いサービスだった。
終わる1時間前ぐらいになるとゲレンデもかなり荒れてきて、中級コースは軽いコブ、
上級コースは、両サイドが削られ固い斜面が見え、削られた雪が中央で軽いコブを形成していた。

1996/10/06(SUN)
ゲレンデ  人は少なめ。1時間でコブができ始め、2時間で両サイドが固いバーンが見え
中央に雪溜りとコブ。ただし、雪が軽いので引っかかる事はなかった。気温-4℃
(ブーツ)ラング Xゼロ9 レーシング 25.5cm
(スキー)サロモン プロリンク エキップ デモ 3S 195cm
(ポール)レキ カーボン

①(ブーツ)ラング Xゼロ9 レーシング
まず、サイズが少し大き目であった。バックルは一番最後まで締めることになるが、きつく締めてもシェルの形が変形しないというのか、足のホールド感は変化しない。シェル硬度は硬めで気温のせいもあるだろうが、自分のXゼロ9 デモに比べてかなり当たる部分が痛く感じられた。
カントは未調整でインソールもノーマルである。特に今回はシダスのインソールの必要性を強く感じた。
②(スキー)サロモン プロリンク エキップ デモ 3S
ブーツが上記の様な状態であった事を考慮しても、ゲレンデコンデションを考慮しても
とにかく思っていたよりも良くない。第一印象は、手にした時の重さが気になったが、滑走中は重さは感じられなかった。
まず、たわみを出すために踏みつけを行ってターンするスキーと膝の切り返しでターンを行うスキーがあると言うことを始めに注意しておきたい。
1.左足のポジションが良くなかった。横滑りがうまくいかなかった。
2.山足伸ばしの滑りでターン前半部でのコンタクトを心がけた。ふだんであれば、この滑りをすると自然とブーツが揃うのだが今回はそのようにはならなかった。
3.脛で押すようにターンの後半部を滑るとスキーに自然なたわみができる。一度たわんだスキーに抜重の間もなく加圧し続けると、くるくる回るショートリズムができるが今回はそのようにはならなかった。
4.クラウチングターンは気持ちよくできたがシュプールは幅広かったかもしれない。
③(ポール)レキ カーボン
まず、長さが120cmと普段より1cmほど長いので、万歳をして滑っているようだった。
チップの先もよく刺さるというのか引っかかる様な感じがあり、とにかくポールが
じゃまになるようなそんな感じであった。また、軽さもバランスを取る時には逆に
マイナスの条件となるという感じだ。


【スキー滑走記録より】
99/09/15(水) スキードーム・ザウス
    時間;PM 12:30 ~ PM 04:30? 気温-3.5℃
    雪質:始めはハードパック、次に表面が取除かれてアイスバーン。その後、急激にコブが成長。
    用具;レグザムFZ-2、ロシニョール9D Pro10.2(170cm)
** レグザム;全て購入時のままでテスト。気温が-3.5℃なのでかなり硬くなった。
構造的にも とにかく”硬い!” 足首が完全に固定されて全く動かせないと言う感じである。旅の疲れでむくんでいたせいもあると思うが、きつめに締めると当りも出てきた。
すごしにくい しんどいブーツと言う感じ。
小回りもスラロームぐらいの回転弧だと良いが、ウェーデルンぐらいのリズムになるとしんどい。間違い無く大回りに合っているブーツだと思う。
ゼロポイント理論の為か?スケーティングの時に、蹴る軸線とスキーの軸線が合っているのでブーツも軸線上にしなる所が良い。慣れると他のブーツは履けないかもしれない。
** ロシニョール9D Pro10.2(170cm)
ブーツになれてなく、当りも出ていたので、正直いって良くわからなかったが、考え方を変えると全く癖がないスキーと言えるのではないか?安定感は非常にあった。体重が上手く乗っていないと(たわんでいないと)エッジに乗った回転弧は少し大きめの感じで、切れ上がり感は強くなかった。
悪くはないんだけどこれと言った特徴も感じられない。ロシニョールはこんな感じなのかと思った。
**ブーツに慣れるまでが大変だったが慣れてからはそこそこ滑れた。慣れる前には片足に荷重が掛り過ぎてカービングスキー独特の踏込み過ぎのスピン状態があった。
ザウスで出会った有名人。
1日目:伊東秀人、五藤伯文、沢田敦、峯嵜秀弘(粟野デモのトレーナー)

99/09/16(木) スキードーム・ザウス
    時間;PM 10:25 ~ PM 02:30? 気温-3.5℃
    雪質:始めはハードパック、次に表面が取除かれてアイスバーン。その後、急激にコブが成長。
    用具;レグザムFZ-2、サロモン Super Axe Equipe 3V(168cm)
** レグザム;前日の状態を考慮して ゆるめにバックルを締めた。上シェルは真中以上締めると足首に当りが出る。
また、足首が全く動かなくなるのでコブはしんどい。少し緩めが良い。下は昨日同様、2つ目だがリフトでは緩めていたら問題無かった。シダスを入れるとまた違うだろう。
** サロモン Super Axe Equipe 3V
話題のショートスラロームスキー。ブーツに慣れたせいもあるのだが、履いた感じはとても軽い。
分割式のプレートと長さの関係か?軽さが高速で少し不安感につながるが、乗り方のつぼを覚えると問題ない。
カービングスキーらしくテールに乗ってしまうとスピン状態になる。それよりもエッジのグリップが良いので大回りばっかりやってた。、大回り専用でも十分いる。スキーに圧が溜まってからの走り(身体の外に出て行くスキー)は、今まで履いた中で一番だったのではないか?動きが非常に速い板だった。
それと、ターン前半で思いきり体を倒し込んでもスキーがカバーしてついて来てくれた。面白い板だった。
**太ももをしたに擦る感じで荷重、腰を起して圧を受ける と言った事を意識しながら気が付いたのは少し後ろ側に(アキレス腱を伸ばしている感じ)突っ張って内ひざを進行方向にひねる(がに股)とバランスがとりやすかった。見た感じがどうだかわからないけど…
スキーが抜けるまで引張って次の内ひざを返しながら斜め前に体を倒す?起す?感じ。
身体が冷えると腰の切れが悪くなるのでストレッチ。左ターンは長く乗る感じ
ザウスで出会った有名人。
2日目:白河三枝(一応話をしました)竹鼻健、伊藤政照、我満嘉治(リフトで横に座った)沢田敦、佐伯幸(レグザムとミズノの板)と

99/11/27(土) スキードーム・ザウス
    時間;PM 08:30 ~ PM 03:00 気温-3.5℃  奈良D・SAK氏、DK・YAM氏
    雪質:始めはハードパック、次に表面が取除かれてアイスバーン。その後、急激にコブが成長。
    用具;レグザムFZ-2、ロシニョール9D Pro9.9(170cm)
レグザム;シダス+コルクだけであったがフィーリングは全くちがうブーツになっていた。シダスによって足裏の安定が得られたのでバックルをきつく締めることも無く当りも減った。長時間のドライブで足がむくんでいることも問題にならなかった。履き始めしびれる感じがあるが時間と共に直っていった。
ロシニョール9D Pro9.9の印象はもうひとつだった。ガツンとくる感じがエッジングで感じられない。
YAM氏のアトミックの方が感じが良かった。特に左足が開く感じで抜けて行く。今までのすっぽぬける感じではなく開いて行く感じだ。右もその傾向があった。またそれを解消するためにターン前半に前荷重にもってゆくとテールが流れた。コブができ始めてからプルークターンやコブをすべってからは両足の同調操作(両足の足首が同じに回る感じ)で動けるようになった。やっとブーツとスキーになれた感じだったので、前が開くのは技術的な物もあるかもしれない。
コブ斜面の対策で、SAK氏にストックの方向に伸び上るといわれたのが良かった。また、コブとコブとの間でいきなり板を横にするより、その間にゆっくり板を回す感じで行くと良かった。
①受けた圧を感じたままからだの前を(重心下を)スキーがクロスオーバーする感じ。(✕身体の下を抜ける)
②ストックの方向に重心移動する感じ。

 

Schi Heil !!

無謀か用意周到か?(2021/11/04)

先にニュースで知ってただけにビックリ・・・
実は内容に興味は無かったのだが。
それよりも、SNSで批判が集中し、中止となった点が印象的だった。
社会の反応が、亡くなった登山家のK氏と重なるものを感じる。
クラウドファンディングで資金集めをして、SNS批判で中止・・・
周囲を説得できるような用意周到さがあったのか?それは全くわからない・・・元ニュースでは、その点が報じられて無かった気もする。
・・・少し怖さを感じる。
真冬には真冬なりの装備が必要で、そういったものを活用することで、人の無いむしろ未開の土地の方が都市部よりも快適に過ごせる。だが、それらを使いこなすことを勧める様なアドバイスは見受けられなかった。スキルの無い大人は反対するしか方法が無いのだろう。

 

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2021/11/02 須磨アルプス逆ルート

3rd.【須磨アルプス逆ルート】

朝礼が早目に終わり10時頃に帰宅。風呂には入らず、洗濯物が終了した時点で出発。この時間帯、記憶では最速だと思う。

カカトが痛むので厚手靴下を2枚重ねしてみた。インソールが無いので容積的にはちょうど度良かった。靴紐も少し緩めに、やや緩いセッティング。

心拍数は前半、155~160拍/分となってしまう。歩みが出てしまい、結果としてゆっくり歩けない。その結果、後半は筋肉のこわばりなど、悪影響が出たように思う。結果としてペースは落ちてくれた。次回からはとにかくゆっくりと歩くことに徹したい。

「甲野流・本物ナンバ」を試す。そこで上体を前に向ければ、前回の歩きになった。「矢野流なんちゃってナンバ」「上体崩し」も試す。状況に応じて使い分けると良いことがわかった。

1120頃に自宅出発。
1134、朝霧駅着。暑く、かなりしんどい。
1153、鷹取着。
1220、板宿コンビニ出発。
1308、東山(21℃)暑い。
1320、馬ノ背。
1337、横尾山。
1353、栂尾山。高倉台にてキツネを見る。
1424、おらが茶屋。トイレ。
1448、鉄拐山。この頃、少し涼しく。
1505、旗振山。
1533、塩屋・西向き地蔵。
1547、塩屋着。1554西明石行き。
帰宅後、足冷水。

 


板宿の街並み、本日は日中にて・・・


「板宿の森」・・・


1308、21℃では、さすがに暑い・・・


馬ノ背と横尾山。


1320、馬ノ背。対向者が多く、歩き難い。


高取山としあわせの村方面。


1337、横尾山。


四百段階段より塩屋~垂水~舞子、明石海峡方面。


ウバメガシの群生、日中編・・・


一の谷の崩落場所。


1448、鉄拐山。この頃になって少し涼しく感じられた。


1505、旗振山。


自宅からも見える旗振山の鉄塔。


塩屋港~垂水港~明石海峡~淡路島。


本日の白い木。


午後の光の中を歩く。


1533、塩屋・西向き地蔵。


 

Schi Heil !!

慣性モーメントの活用(2021/10/29)

動くでもなく、動かされるでもなく、自動的に操られるが如く運動が継続して行く状態がある・・・これを何と命名すべきか?かなり長い間、悩んで来た。

先日来から僕のトレンドとなっている「身体の内方向への筋力の使い方」、そして先日気付いた、合気道・システマの理念についても同様である。
導かれる(Guid)でもなく、補助(Assist)でもなく、中動態・・・自力で動く「能動(Active)」と同時に、他力で動かされる「受動(Passive)」でもある。
もののはずみ(Momentum of things)・・・

考えればきりが無いのだが、ここに至り一つの結論に至った。それは、この・・とある状態にある時の、身体という物体に働く慣性力に付いてである。これをTOK師匠の「Do、Let」とは別次元に「Inertia・慣性力の活用」として定義することにした。

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【DoとLet~中庸】
スキーは他のスポーツとは異なり、例えばテニスや卓球、短距離走などのように、身体能力を最大限に活用するものではない。この考え方でスキーを始めると、わりと初心者のうちに頭打ち現象が発生してしまう。

特に筋力があり、スポーツ万能な初心者ほど陥りやすく、これがスキー指導上の問題となっていた。TOK師匠(故・佐々木徳雄氏)も、長年この指導上の問題について苦慮していたという。

この問題は、スキーが「斜面の上から滑り降りる」スポーツであり、運動に必要なエネルギーを人間自身が発生させるのではなく、重力など外部に依存する割合が高いことから生じていた。

そこで、TOK師匠は、雪面に対し筋力で仕掛ける操作を「Do」とし、その対極に、新たに「外力を受動的に活用」する「Let」を提唱した。TOK師匠のスキー理論は、それまで筋力操作一辺倒だったスキー指導法に「Let・受動」という考え方を持込み、Do~Letの間で、スキー・雪面・スキーヤーの間の最適な状態を作り出すことがスキーの真髄・・・と定義した点で革新的だった。

しかし、事は単純ではない。これは僕自身が経験して来た問題でもあるわけだが、実はスキーがスポーツである以上、一旦、「筋力操作」がしみ込んでしまったスキーヤーに対極の「Let」を理解させるのはかなり困難な仕事である。

恐らく「Let」の感覚は、TOK師匠が提唱するまでもなく、多くのエキスパートスキーヤーが、長年の修練の過程で自主的につかみ取っていたものであろう。とはいえ、長年の修練の先に、いつ訪れるともわからないこの境地をどうやって理解させるか?
そこからTOK師匠の「フィーリング・スキー」が派生したのだと僕は理解している。

 

【引く・・・という動作】
さて、TOK師匠の「引く引くターン」に代表されるように、大雑把には「押す」が「Do」で、「引く」が「Let」ということになる・・・が、必ずしもそうではない。

実は「引く」が単純に「Let」か?というとそうでもなく、筋力を使ったオーバーアクションは全て「Do」の範疇になり、NGである。「Let」には、外力をキャッチする感覚が不可欠で、これが「Letスキー」を理解する上で重要なポイントになっている。

・・・が、表現上「引く」という行為は、随意・不随意はともかく、人間の動作であることに違いはなく、「Do」としての引く・・・なのか、「Let」としての引くなのか?実に曖昧であった。これは「蹴る」という動作でも同じだ。蹴る動作も状況に応じて「伸ばす」と表現することで「Let」の範疇となる。そして、「随意=する・Do」「不随意=られる・Let」・・・という表現も無理があった。

ここの「この違い」について、長年、解決の糸口が見出だせなかった。

【プルーク暴言B】010号「勝手にスキーが動く」を記述したのが2014年のことである。この時、「自然で楽な・・・」の最大の勘違いは、スキーの角付けを行うために「倒す」という自発的操作(要するにDo)を提唱してしまったことにある・・・と書いた。

エッジングにより「圧」を受け止めたスキーは、角付けを開放することでニュートラルを経て、次のターンポジションまで移動(走る・射出)する。これにより自動的に次のターンの角付けが始まる。

書いた当時、この一連の流れを説明する何かが欠けており、そこに多少ながらも筋力を伴なった操作が伴なう事に対して、TOK師匠の「クロッシング」という言葉で代用していた。この「クロッシング」に大きく作用しているのが、スキー本体、そして身体に働く慣性モーメント(Inertia・慣性力)の活用だった。

 

【中庸の基準をどこに求めるか?】
スキーヤーが重力に引っ張られる力」そこから派生する「スキーが進もうとする力」(Inertia・慣性力)に対し、スキーヤーはこの慣性力を活用すべく、スキーの動きを阻害する要素を排除し、適切な運動補助を行い、スキーを最適な状態に維持する・・・こ慣性力の活用が上手く決まった結果が「中庸」である。外部環境が変われば調整も変化し、得られる結果も変わるということだ。そこに「中庸」の意味がある。

「最適な状態」で得られる結果は様々で、それはタイムかもしれないし、スキーヤーの描く弧の丸さ、トリックを決める・・だったりするかもしれない。
それぞれのスキーヤーの求める結果に対し「ピント合わせ・周波数合わせ」を行うことが肝要といえる。

ここでいう「スキーが進もうとする力」(Inertia・慣性力)は、長年、スキー雑誌などで「スキーの推進力を活用した・・」とか「スキーの推進力を妨げない・・」とか表現されて来たように思う。現在でもネットやYouTubeで検索してもかなりの数がヒットする。ところが、この「推進力」を「慣性力」に置き換えると文章がしっくり来ない。
恐らくスキーで言うところの「推進力」は、「慣性力」に上記の調整を加え、得られた中庸の、各それぞれのた結果だからであろう。この辺りはもうしばらく考えてみようと思う。

 

Schi Heil !!