兵庫県:氷ノ山越北斜面(1270.0m)2022/12/17

1st. 2023シーズン 兵庫県:氷ノ山越北斜面(1270.0m)2022/12/17
16日(金)の実家トラブルで仕事を休む事となり、その結果、スキーに行くことができた。まだ、周辺のスキー場はオープンしていないこの時期、降雪のタイミングとピタリと合う。トラブルは午前中に方が着き、午後から時間が出来た。精神的に疲れていたが、これをチャンスと捉え、スタッドレス入替えを実施。体力的負担はあったが、早めの就寝で、睡眠は十分に取れていた。

・新車は15シーズンぶりとなる。
まず、荷降ろしはマンションのエントランスにて実施。これはアトレーの初期、T駐車場の時にやっていたので、特に違和感は無い。

・改めて通い慣れた道を走る。運転はアトレーに比べ格段に楽。
アトレーにはRSRの強化サスを入れていたとはいえ、何箇所かある路面のギャップもプロボックスだとスムーズ。全体的にストレスを受けない感じ。

スタッドレスは空回りする感じはある。アトレーの頃の方がグリップした感じ。カーブでフロント部のアウト側から何か制御の音がする。

・スチールラックはやはり必要。ただし、固定法が決まらない。

・走行距離 296.9km(道の駅・若桜には寄らず)17.07L→17.39km/L。
通常 21~22L入れているようだから、約4Lの省エネ。今回なら¥640円の節約となった。

・ほとんど滑ってないとは言え、体力的には楽だった。プロボックスの影響もあるかもしれない。総じて、秋の登山トレが6回実施出来た結果か?20時、実家へ行くゆとりも・・・滑走後の足の引きツリは激しかった。

 

Schi Heil !! 2023

定期佐賀行・冬前(2022/12/12)

今回の定期佐賀行は、納車後、ひと通りの仕様が完了したプロボックスを使っての初の大規模作戦となった。12/9の21時に自宅を出発。帰宅は12/12の朝4時過ぎのロングドライブであった。

2022/12/09(金)
2107、出発。

2022/12/109(土)
仮眠を繰り返しながら、夜明けを美東SAの手前、防府市にて向かえる。
0715、美東SA、6回目の休憩。意外に小さく驚いた。
0808、関門海峡大橋通過。
0835、遠賀川鉄橋通過(SAは直方)
0857、福岡ICより福岡都市高速
0925、前原ICにて降りる。糸島市内?で少し迷う。
0930、電車から見える平野を走る。
0937、海岸線に出る。
1010、虹ノ松原へ。
1014、虹ノ松原駅
1024、虹ノ松原を出る。
1035、唐津市庁舎前。
1108、寺浦着で記念撮影。
1118、お墓に到着。状況確認の後、腹ごしらえを行い、準備。
1155、準備完了。その時、松本明さんが来る。
明さん、墓を指さして治三郎さんの話をし始めた(手紙で問い合わせていたからだろうか?)どこに祖父等が住んでいたのか?から話が始まり、角に住んでいた事を伝えると、墓を指さして「自分が子供の頃は、まだ元気にしていた。」との事。幟なんかをやっていた。幟を作る仕事をしていたのか?立石の戸数は当時と比べて3~4軒ほどしか減ってない。興福寺の住職は3年ほど前に亡くなった。今は納所の慈恩寺(ジュウオンジ?)の住職が来ている。納骨堂が出来た。
1200、墓の草刈り開始。夏に済ませていたので、かなり楽だった。
1226、草刈りは一旦終了。水洗浄をやろうとしたが、水道は出なかったので断念。1256、出発。ガソリンを入れに行く。656.9kmにて30L。燃費は17km/L。
1334、まいずる9に握り寿司と刺身。パレアの駐車場に移動すると、駐車場は有料となっていた。漁港の駐車場に移動するが、ここもなぜか?満車。仕方がないので1353、公民館の駐車場にて昼食。
14時、追い立てられるように出る。興福寺へ。
1414、興福寺着。納骨堂の工事をしていた。午前中にお坊さんはいるみたい。
14時半、山口米男さん宅。石田には佐賀ナンバーの車が多数。米男さん方も佐賀ナンバー。玄関から訪ねると若い男性。お孫さんが出てきた。農作業をしているという。声をかけた。米男さんは古い耕運機を軽トラに乗せる作業。奥さんは畑。奥さんは「先生は元気にされてますか?」教え子である。
1450、外津湾。震洋基地の何か?と思ったのは、単に地元の漁民。夏場に樹木が生い茂り、そのように見えた。
1550、パレアにて入浴。
1640、漁港駐車場に落ち着く。疲れてそのまま寝る。
18時半頃に起床。満車だったのは何?空いていた。魚山人の送迎を見かける。
再び就寝。

2022/12/11(日)
0525、起床。湯を沸かしてアールグレイカロリーメイト
漁協駐車場は釣りの渡しの発着所になっていた。
0620、パレア駐車場に移動。
0730、セブンイレブンへ。缶コーヒーとフレンチトースト。
0800、山口長治の墓探し。地元のおばさん2名、ウォーキング中、聞くも「照雄さんが知らんなら私らにはわからない。あの方は何でもご存じ・・」
0751、準備中にケアマネより電話「月曜日に便秘薬を薬局に取りに行って欲しい」
0842、興福寺へ。納骨堂、大仏さんを乗せる工事中。受付に女性が居て、連絡先など。和尚さんと電話で事情を話する。
0930、まいずる9へ。サーモン握り、バッテラ。
1130まで仮眠。
1206、パレア駐車場へ移動。時間調整。
1254、漁港駐車場移動。
1300、中島照雄さん方。安行さんが出てこられた。照雄さんは2日前に藤棚の剪定で汗冷えして風邪をひいたとか。玄関で少し話をして退出。山口長治の墓について、2つある納骨堂の奥の左側から入ってその先に・・・との事。
1316、朝の納骨堂のところ。軽登山靴とチャップスを装備して茂みに入る。おおよそ西さんの墓所という感じ(道の下辺りの方)1330、終了。
1338、再び漁港駐車場。圭一郎にカーナビから電話。みやき町到着はナビで1555と伝える。
1346、原発道路とのT字路まで上がり、集落背景に記念撮影。
唐津バイパスより多久へ。この方向で走るのは2009年ぶり。
多久を過ぎたところから高速道へ。高速入り口がわかりにくい。2008年の時を少し思い出す。
1458、小部PAにてトイレ、時間調整。
1522、東脊振・神埼にて高速を降りる。
1532、グッディ前通過。
1537、東尾・白壁小学校前通過。
1543、圭一郎宅前。クルマ談義。お菓子のお土産を頂く。
1615、退出の後、千栗のエネオスにて給油。出口でうまく出れない。この辺りから変だったのかも。
1618、カーナビにて佐賀競馬場経由で鳥栖市街へ。なんか変な具合だった。
国道を道すがら、何か懐かしいものを感じる。ブリジストンサイクルの工場前通過。暑い夏の日に何度か通過していた。それは新鳥栖駅周辺でもあった。
1638、鳥栖より九州自動車道。ここも多久に似て慣れないと難しい。
1706、古賀SAにてお土産を頂く。あっという間に雷雨。会社の土産購入。
雨は時々激しく降る。バックモニターが雨の際に効果有り。かなり良好。
1817、関門海峡大橋通過。
1857、美東SAにてカロリーメイトの夕食。
1934、出発。(※2009年の休憩場所も美東SAだったと帰宅後に判明)
2112、広島IC通過。融雪剤散布で50km/h規制。車がザラザラ。
2150~0046、三原市久井町山中野・高坂PAにて就寝。

2022/12/12(月)○有給
0046、三原市・高坂PAにて起床。
0257、山陽道を西姫路で降りれず(気づかず)東姫路で降りる。ところが下道に降りてしまい播但道から外れてしまう。
0306、花田ICにて播但道へ。入り口が難しい。
その後、加古川バイパスへの進入で、またしても下道に降りてしまう。大塩の国道を東へ。
0329、高砂西ICへ。実はここは西行きのみだった。そのまま明幹にて大蔵谷まで。
0403、明石駅前通過。ナビの予定到着時刻と、然程、変わらず。
0411、朝霧駅南のエネオスにて給油。16.9km/L。
洗車して撥水剤塗布。途中で撥水剤が切れてしまった。
0442、帰宅。マンション前に停車。そのまま玄関に荷物を運び込み。その後、停車位置へ。

 

今回の大規模作戦で思い出されるのが、2008年GWのアトレー号による佐賀行である。2007年7月の納車後、2007シーズン・2008シーズンを終えた直後、まだ満2年に届かない新車の時期だった。この時は、父方の玄海町、父方従兄の住む神崎町、母方のみやき町を経由し、大学で縁のある大分の同級生を訪ねるという、超ロングドライブだった。

そしてこの大ドライブは、振り返れば免許を取って直ぐの夏休みの佐賀行(1982年)は、実家で購入直後のカローラDXだったことに回帰する。

さて2008年のGW、父の最後の里帰り・親戚廻りを、僕の車で実施する・・・という話が浮上したものの、新型インフルエンザの流行と重なり父は里帰りを断念。僕が単独で行くことになった。また、懸案として、7年ほどか経過し連絡がつかなくなった母方の大叔父の現状を確認に行く必要もあった。

単独で親戚廻りを行うのは大事であるが、当時、僕は大叔父へのインタビューで、1999・2000年と一人で佐賀に行った伏線があり、また、この頃は頻繁に母方の叔母・伯母も神戸に来てたので、単独で親戚を廻ることに対する違和感はなかった。
また何より、大学が大分だった経緯もあり、見知らぬ土地に出向くような緊張感もなかった。
また、かなりの大ドライブながら、2000年より白馬(片道約490km)も定期的にこなしていたので長距離ドライブに対する距離的・時間的感覚もあった。

そもそも両親の郷里・佐賀を車で走るということ自体、幼少期より定期的に里帰りする両親に同行しており、また、免許取得直後の初の大トライブが父との里帰りだったりと、それなりの地理感はあった。

、また、平成九年のお墓の建立の際にも現地に行ってたので、地理感はあった。とは言っても、やや平成九年のお墓の建立の時から当時で既に11年が経過していたので、下調べは念入りに行なったのは言うまでもない。

 

プロボックスの良かった点】
完全なスキー仕様では無かったが、良好な感触を得ることができた。

①燃費と走行性能
 基本17.5km/L。少なくとも17.0km/Lは維持しており、航続距離は700km以上にも及ぶ。給油無しで走り切れるのは大きい。高速道路でのクルージングも安定。アトレーのように限界で走ってる感が無い。

②レカロシート
 純正シートも良いのだが、さすがにレカロは素晴らしく、このドライブで腰痛が回復したほどだった。

③バックモニター
 当初、バックモニター型ドラレコの使い勝手は、やや癖があるように感じたが、特に雨天では効果的と判明(※追記;後車のライトがハイビームでも眩しくない。また、バックモニターとしても使用可能だとわかる。)

④カーナビ3D表示
 レカロ取付けで東大阪に行った際も有効だったが、特に、複雑な福岡都市高速を迷わずに行けた点は素晴らしかった。

⑤寝心地最高である。

⑥ハイビームはめちゃくちゃ明るい。

⑦ETC、ICOCAは便利。
 ETCはともかく、SAではICOCAが重宝した。

【悪かった点】

①妙に肩がこる。
 →原因不明?

②取付けのカーテンレールがうまく頭に当たる位置
 →取外し予定(追記;スキー仕様のスチールラックを固定することに成功する。)

③前後の移動困難
 その後、簡単に前後移動可能となる。

④カーナビの案内
 帰りの県内で道迷いする。疲れもあったかもしれないが、基本的にナビ任せにしていたことに問題あり。ナビに頼り切るのでは無く、自分の目的のSA、ICぐらいは頭に入れておくこと。

 

 

 

レカロシート取付け(2022/12/04)

本日は東大阪まで車を走らせ、取り外していたレカロシートを取付けてもらった。

このショップは、以前、乗ってたアトレー号の時に世話になった店で、今回は現地まで行っての取付けとなった。もちろん、シートステーは保安基準適合品である。

この東大阪の某レカロショップだが、想像していたより雰囲気の良い店だった。

・・・というのも、カー用品店といえば某量販店が有名だが、近隣の学園都市店の女性店員は、みちょぱを意識しているのか?何やらギャル系。カー用品店の店員はこんな感じだろうな・・・と予想していたのだが、あっさりと覆された。かなり接客には力を入れていると思われる。全てが個人技としても凄い・・・

取り外した純正シートもしっかりと梱包してもらい、帰宅時の運転は快適そのもの。やはりレカロは違う。

湾岸線を走って約1時間ほど。東大阪へ・・・
週間予報では雨だったが、ポツポツ雨で済んだのはラッキー。

懐かしの赤い橋(港大橋)を通過・・・かつて、毎年のようにNZに行ってた当時、空港リムジンバスで、この港大橋を通過し、関空へ。

某ショップに到着。いやいや凄い車が勢ぞろい・・・

 

これが一番驚いた。TTEセリカ仕様・・・ちなみに同級生がこの型のセリカに乗っており、僕の青春の一頁(1982~1986年)はこのセリカと共にある。それにしても狭い車内・・・

レカロレカロレカロ・・・とにかくレカロ・・・である。
レカロとはいえ、実際に座ってみると、合う合わないがあった。ある意味、それも驚きだった。

これにて納車後の仕様変更は完了となる。完全車検仕様。

純正シートも非常に良いのだが、帰宅時に走ってみて違いを痛感。先でも書いたが、レカロとはいえ、体型にあったものを選ぶのが大切。

ちなみに、燃費は驚異?の18.7km/L・・・昨今では珍しくもないが、僕の歴代の車の中ではトップではないか?アトレー号が、後半、15km/Lが出るようになっていたが、おぼろげな記憶では、カローラDX(1300cc)と同等の値といえる。
推定航続距離は約790kmである。アトレーの350kmとは段違い。さすがの営業車。

 

合鍵・合鍵、他(2022/11/27)

本日は車の1ヶ月点検。ついでにいろいろと課題を済ませる。車の合鍵、実家の合鍵、そして車にワイドバイザーが付いた。

合鍵は近くのコーナンにて作ってもらう。古い実家の鍵が大丈夫かな?と考えていたが、やはり店員さんも探し出すのに四苦八苦だったようだが、無事に完了。

問題は車の合鍵だった。スターターは回るがエンジンはかからない。イモビライザーでは無いのだが、恐らく盗難防止の電子認証があるのだろう。ディーラーからもらったスペアキーがそれなりに大きいのはそのためかもしれない。とりあえずエンジンの始動は不可能だが、ドアを開けることは可能なので、エンジン始動用のスペアキーは車内に隠しておき、スペアを持ち歩くといった形での活用は出来そうだ。

そしていよいよ、ワイドバイザーが付いた。
寒いのでヒートガンで温めて両面テープで接着である。外観はこれにて完了となった。

話題は変わって、車の燃費が出た。13.76km/Lである。普段使いでこれだけ走ってくれたなら大助かりである。長距離だと格段に伸びる可能性有りだ。

空気圧はフロントが2.5kPa、リヤが2.9kPaらしい。商用バンという事で、リヤの2.9kPaは規定だが、フロントもリヤが2.9kPaに揃えておく方が走行安定性は良さそうだ。

それと、右後部ドア付近からのビビリ音の原因が解明。なんとドア取っ手のポケット部品がビビっていた。ディーラーのメカニックも見つけられなかったものだが、まぁ、ひとまず安心である。

 

 

激しい筋肉痛(2022/11/27)

(※後日談;2022/12/02まで太腿筋肉に違和感・筋肉痛を感じる)

今朝は凄まじい筋肉痛・・・

その凄まじい筋肉痛だが、エアロビック(有酸素系・脂肪燃焼)トレーニング主体でやらねばならない秋の登山トレだが、そこにアネロビック(無酸素系・糖質燃焼)をぶち込んでしまったことになる。

確たる定義も無いとは思うが、P.マフェトンの著書によると、エアロビックベースが完成するまでにアネロビックトレーニングを入れ込むと、それまでのエアロビックベースがぶち壊しになるらしい。

・・らしい、というのは、他の文献で同じような記述を読んだことがないから、正直、確かめようが無いのだ。

これは経験値から言えることだが、エアロビック系のトレーニング(僕の場合は心拍数を140拍/分以下)のスピードでも、次第にかなり早く歩けるようになる。そのスピードをトレーニング初期に行うと「心拍数160拍/分→無酸素要素の強い」ぐらいになってしまうのだ。
あくまでも経験値である。

現代人の生活は、ほぼ糖質エネルギー中心に偏っている。
これを内燃機関に例えると、普段、ガソリン(糖質)しか使ってない車に対し、薪(脂質)に少しのガソリンを足しながら燃やして行くようなもの。
ガソリン依存度を減らすことで、薪からのエネルギー補給のパイプを太くするのが秋の登山トレの目的なのである。

して、その検証は?なのだが、これも体感的なもので難しいのだが、
要は、糖質補給無しに、どこまでペースを下げずに歩き通せるか?である。

糖質は口から摂取で、約2時間程度のストックしかないが、脂質は、体内蓄積でほぼ無制限。
昨日であれば、5時半の三ノ宮着から、9時半の摩耶山登山口までの4時間、エネルギー補給は皆無であった。

その昔、20kg以上の荷を担いで8時半着だった頃は、7時半の苧谷崩落復旧工事個所で、確実にエネルギー補給しないと残りが歩けなかった。「シャリバテ」と呼ばれる状態である。

その点を考慮すると、昨日のペースはなかなか良い感じだった。
そして経験上、この状態は来年の1月中旬頃の山スキー始動時まで維持できていることが多い。だいたい2ヶ月ほどは維持できるようである。

今回の激しい筋肉痛で、さすがに、今季1stの頃に戻ってしまうようなことは無いと思うのだが・・・

 

2022/11/26 摩耶山・稲妻坂ルート

6th.【 摩耶山・稲妻坂ルート】(2022/11/26)

予定も詰まっており、このままシーズンインとなりそうである。今季、1回目に登った稲妻坂ルートを再び歩いてみた。

今季初回の前回は、摩耶山からの下山時の最終局面で、例の「ヒザ痛君」が出てしまったが、 今回は難無くクリア。しかし、今季は荷の重量がこれまでと違い、山スキーの際の重量に合わせてあるから、全般、時間がかかっているように思う。

荷の重量に関しては下記に興味深い記録が・・・

比較は山寺尾根ルートだが、2006年はマフェトン直前の一番過酷な時期である。
・2006年(年齢)42歳、シーズン12回目(荷の重量)12kg
・2015年(年齢)51歳、シーズン04回目(荷の重量)08kg

こんな記述がある。長いこと荷の重量のことは気にしてなかったが8kgで歩いていたのは確かだ。2015年の記録で興味深いのは五本松堰堤に6:42着で今日と同時刻。
苧川崩落補修工事現場が07:25通過(7:35)10分遅れ、学校林道分岐7:45通過(7:58)13分遅れ、摩耶山鞍部8:25通過(8:45)20分遅れという点だ。

時間はかかっているが、荷の重量を考えると悪く無いペースだと思う。

下山は快調で約50分。今季はプランクの効果もあって、下山が強くなった。とにかく楽である。下山に有効ということはスキー滑走にも何らかの効果があるだろう。

今季はバックパックがKarrimorの60Lなので、電車内はともかく、18kgぐらいまでは大丈夫である。この数年、山スキーでの力不足を感じていたが、山スキー装備の12kgに合わせたトレーニングは良い方向性かもしれない。
荷を8kgで歩いてみたいところだが、残念ながら今季はこれで終了ではないか?

タイムテーブル
0444、出発。気違いみたいに走り、0451時発に乗車。
0519、三ノ宮に着く頃、やっと呼吸が収まった。歩くと筋肉痛。気分が悪い。
0542、新神戸着。歩くのが辛い。
0609、出発。
0642、五本松堰堤。紅葉が見頃を迎えていた。布引貯水池の水位が低い。
0735、苧谷復旧工事跡地。
0758、学校林道分岐。雨が降り始める。
0845、摩耶山鞍部。
0935、摩耶登山口。駅まで小雨。カロリーメイトを2箱。
1013、JR灘にて、須磨行き乗車。
1033、須磨にて乗換え。缶珈琲を買って飲む。元気が出た。
1105頃、帰宅。

 


全力疾走で吐きそうなぐらい・・・


三ノ宮に着いて、やっと息切れは収まったものの、足が動かない・・・


帰ろうか?どうしようか・・・気分も悪い。


新神戸駅の駐車場空き表示・・・


???これは文字か?


0542、やっとの思いで新神戸着。


0609、出発。意外に時間はかかってなかった。


神戸新聞の記事にもなった「人工の登山道・柵」大正時代の制作との記事だったが・・・菊水町の神戸刑務所の記事のこともあるし、どうだか?


五本松堰堤のモミジが紅葉の見頃を迎えていた。


 


0642、五本松堰堤。


水位が減った布引貯水池・・・


稲妻坂・・・


0735、苧谷復旧工事跡地。マフェトン以前はここでエネルギー補給が必要だった。三ノ宮から歩き始めて2時間。ちょうど糖質が枯渇するタイミングだったとは、驚きである。


学校林道分岐。


ポートアイランド神戸空港


0845、摩耶山鞍部。だいたい8kgペースより20分遅れ。


相変わらすの迫力・・・


折れた根元の状況を観察・・・


摩耶山登山道の紅葉も見頃だった。


雨に降られたが、大阪市街は霞の海の中だった。
芦屋浜・芦屋高層、大阪市街、生駒山・・・


大阪市新庁舎。


0935、摩耶登山口。下山は快調(50分)だったが、結果としてかなり遅い到着となる。


苦戦したスタッドレスタイヤの入手(2022/11/20)

苦戦していたスタッドレスタイヤの入手だったが、昨日夕方、はるばる宮城県から到着した。185/55Rぐらい履かせようと考えていたが、結局、商用バン仕様(155/80R)に落ち着いた。

戦争とコロナの影響はこんなところにもあった・・・
狙い目のアルミが、ことごとくメーカー欠品なのである。

正直、今季のスタッドレス&アルミの入手は無理かもしれない・・と感じたほどだった。(※ちなみに、オートバックスなどで安売り在庫は割りとあったが・・・)

プロボックスという車は情報が少なく、難しさがあるように思う。ネット検索すればカスタム情報は、結構、ヒットするのだが、正確なことはわからずじまいだった。

そんな経緯もあり、結局、純正仕様に落ち着いた訳だが、アルミホイールについては最後まで苦戦した。最終的に、ダンロップのPRD-SP7(商用バン対応)と、タイヤはダンロップ・ウインターマックスに落ち着く。

これ、考えたらアトレーの時(2006年)と、ほぼ同じである。

今、社用車がスタッドレスタイヤに入替えたところで、商用タイヤの選択肢がほとんど無いこともあり、タイヤは同じDL・ウインターマックス。アトレーの時と同じく、ぐにゃっとした走行感・・・あの感じである。

断っておくが、プロボックスの足回りの良さもあって、夏タイヤは155/80Rでもシャープな走行感である。

実はアトレーは足回りもグニャグニャで夏タイヤでも酷かったから、更にスタッドレスに履き替えたスキー道中の運転は苦痛そのものだった。

そのグニャグニャ感を打破するため、2016年に台湾製スタッドレスのナンカンに履き替えて(55R、65Rの2種類を経験)スタッドレスも進化したなぁ・・と感じていたが、古びたナンカン・スタッドレスは夏でも走行に支障が無いことを考えると、これ、DLスタッドレス特有の走行感なのかもしれない。

それにしても、通年、スタッドレスタイヤで走ることの多い僕としては、夏タイヤでのあの切れが感じられないのは、やや不満なところではある。

当分は我慢するしかない。

ここで気になるのが国内製スタッドレスタイヤの寿命である。
基本、推奨は3シーズンほどだが、いったい何年持つのか? コスパ的には5年は持ってもらわないと困るのだが、実に興味あるところ・・・

遥々、宮城県から旅をして来ました。

これまでと変わらず、所定の場所に落ち着きました。